20世紀・シネマ・パラダ イス

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To Be or Not to Be

       生きるべきか死ぬべきか
        To Be or Not to Be
         監督:エ ルンスト・ルビッチ
        (1942年/アメリカ)
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  占領下のポーランドを舞台にナチスを痛烈に風刺したコメディの傑作

 1939年8月、ポーランドの首都ワルシャワ。人気俳優のジョセフマリアのトゥラ夫妻は、ナチスを風 刺した新作劇「ゲシュタポ」の稽古中だった。
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 トゥラ夫妻主演の舞台「ハムレット」 の公演中。楽屋のマリア宛にファン・レターが届いた。差出人に心当たりのあったマリアは、ジョセフの「生きるべきか死ぬべきか」 の台詞を合図に、楽屋へ来るように返事を出した。
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 ハムレット役のジョセフが「生きるべきか死ぬべきか」 の台詞を発した時、観客の1人が席を立った。 To_Be_or_Not_to_Be-5

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 若くてハンサムなポーランド空軍のソビンスキー中尉と会ったマリアはデートの約束 をした。

 出番を終えたジョセフが楽屋へ戻って来た。芝居の途中で観客が席を立ったことにショックを 受けているジョセフを、マリアはそ知らぬ顔で慰めた。
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 新作劇「ゲシュタポ」が政府の命令により公演中止となり、「ハムレット」 が続演された。マリアと中尉の密会も続いており、中尉は結婚を迫ったが、離婚する気のないマリアは困惑していた。
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 そんな折、ドイツ軍がポーランドに侵攻してきた。数日後、ワルシャワの街は占領されてし まっ た。
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 『生きるべきか死ぬべきか』 予告編



  主な出演者など

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ジョセフ・トゥラ役 … ジャック・ベニー
マリア・トゥラ役 キャ ロル・ロンバード
ソビンスキー中尉役 … ロバート・スタック
シレツキー教授役 … スタンリー・リッジス
エアハルト大佐役 … シグ・ルーマン

 ・エルンスト・ルビッチ監 督の『ニノチカ』(1939年)の原案者で もあるメルヒオル・レンジェルが執筆した脚本を、エドウィン・ジャスタス・メイヤーとルビッチ監督が脚色。
 ルビッチ監督は脚本を書いている時から、主役のジョセフ役はジャック・ベニーしかいないと決めていたという。
 (右の写真)撮影時のジャック・ベニー(手前左)とルビッチ監督(手前右)
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 ・ヒロインのマリヤ役は、ルビッチ監督のお気に入りの女優ミリアム・ホプキンスが候補だったが実現せず、キャロル・ロンバードが起用された。
 ルビッチ監督はキャロル・ロンバードの憧れの監督であり、彼女はそれまでのどの作品の撮影よりも楽しんでいたと言われている。
 (左の写真)打ち合わせ時のルビッチ監督とキャロル・ロンバード

 ・キャロル・ロンバードは本作の撮影後、戦時国債キャンペーン中の飛行機事故で他界。
 彼女がファンに向かって言った最後の言葉「V for Victory !」 は、彼女の台詞ではないが、本作の中で登場するフレーズである。
 (右の写真)ジャック・ベニー、キャロル・ロンバード
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 1983年、リメイク作の『メル・ブルックスの大脱走』が製作された。


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  ピック・アップ … ジャック・ベニー

Jack Benny
 Jack Benny 1894-1974 (アメリカ)

 ・イリノイ州シカゴ生れ。父親はポーランド、母親はリトアニアからの移住者で共にユダヤ人。

 ・高校を中退し、子供の頃から習っていたバイオリンを手にボードヴィリアンとなった。第1次世界大戦中は海軍に入隊。戦後、舞台に出演しているところを スカウトされ、『The Hollywood Revue 1929 』で銀幕デビューした。

 ・1932年にスタートしたラジオのコメディ番組「The Jack Benny Program」は、1950年からはTV番組となり、1965年まで30年以上続いた人気番組だった。

 ・出演した映画は少なく、現在、DVD等で彼の姿が観られるのは、本作の他に『踊るブロードウェイ』(1935年)と、 カメオ出演した『おかしなおかしなおかしな世界』(1963年/監督:スタンリー・クレイマーくらい。『カサブランカ』(1943年)にもカメオ出 演しているとの説があり、ファンの間では彼がどのシーンに出演しているのか話題になったとか。
 
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ゲーリー・クーパー(右)と マリリン・モンローボ ブ・ホープ(右)と

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 ・第16回(1944年)、第19回(1947年)のアカデミー賞授賞式で司会を務めた。
 (左の写真)クラーク・ゲーブル(左)、キャロル・ ロンバードと

 ・1974年80歳で他界。


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