20世紀・シネマ・パラダイス
スタンリー・クレイマー
Stanley Kramer
1913-2001(アメリカ)
◆
代表作
(監督作品)
手錠のまゝの脱獄
The Defiant Ones
(1958年/アメリカ)
渚にて
On the Beach
(1959年/アメリカ)
風の遺産
Inherit the Wind
(1960年/アメリカ)
ニュールンベルグ裁判
Judgement at Nuremberg
(1961年/アメリカ)
愚か者の船
Ship of Fools
(1965年/アメリカ)
招かれざる客
Guess Who's Coming to Dinner
(1967年/アメリカ)
◆
製作業から監督業にも進出
・
1913年
、 ニューヨーク州生れ。幼い頃に両親が離婚し、パラマウント社のニューヨーク・オフィスで働いていた母親と祖父母に育てられた。ニューヨーク大学在学中から インターン生として20世紀FOX社の脚本部で働き始め、大学卒業後、MGM社やコロンビア社で編集や製作の仕事に携わり、第2次世界大戦中は軍の教育用 映画の製作に携わった。
製作者時代
・1948年、映画製作会社を設立。2作目の『チャンピオン』
(1949年/監督:マーク・ロブソン)
で成功を収め、以後、自社単独、若しくはコロンビア社とタイアップし、1954年までに20作品近くを製作。
『真昼の決闘』
(1952年/監督:
フレッド・ジンネマン
)
、『ケイン号の叛乱』
(1954年/監督:エドワード・ドミトリク)
の2作品はアカデミー賞作品賞にノミネートされた。
『セールスマンの死』(1951年)撮影時
フレドリック・マーチ
(左)と
『乱暴者』(1953年)撮影時
ジョスリン・ブランド、
マーロン・ブランド
(右)と
製作兼監督時代
・『見知らぬ人でなく』
(1955年)
から監督業にも進出。監督として成功し、製作も兼ねるようになった人は多いが、その逆は稀なケース。特異なキャリアを積むこととなった。
『見知らぬ人でなく』
(1955年)
左から、
フランク・シナトラ
、
ロバート・ミッチャム
、
オリヴィア・デ・ハヴィランド
『見知らぬ人でなく』撮影時
左から、クレイマー監督、オリヴィア・デ・ハヴィランド、
フランク・シナトラ、ロバート・ミッチャム
・社会的な問題を題材とした娯楽作品で多くの傑作を残した。監督3作目、人種差別を題材とした
『手錠のまゝの脱獄』
(1958年)
は、アカデミー賞の作品賞、監督賞など8部門でノミネートされ、撮影賞、脚本賞を受賞。監督としての手腕も一流であることを証した。
『手錠のまゝの脱獄』(1958年)
トニー・カーティス
、
シドニー・ポワチエ
『手錠のまゝの脱獄』撮影時
シドニー・ポワチエ(左)、トニー・カーティス(中央)と
・核戦争を題材とした『渚にて』
(1959年)
を製作・監督。
『渚にて』
(1959年) 左から、
フレッド・アステア
、
グレゴリー・ペック
、
エヴァ・ガードナー
『渚にて』撮影時。左から、フレッド・アステア、
エヴァ・ガードナー、グレゴリー・ペック、クレイマー監督
・『風の遺産』
(1960年)
は進化論と創造論が争われた「モンキー裁判」を題材とした作品で、南部の一部の州では上映禁止となった。『渚にて』ではフレッド・アステア、『風の遺産』では
ジーン・ケリー
。ミュージカルの2大スターを非ミュージカル作品で起用し、キャスティングでも映画ファンを楽しませた。
『風の遺産』
(1960年)
スペンサー・トレイシー、ジーン・ケリー
『風の遺産』
撮影時
スペンサー・トレイシー(左)、フレドリック・マーチ(中央)と
*
「モンキー裁判」 … 1925年、テネシー州で実際にあった裁判。公立学校の教師が、州の法律で禁じられていたダーウィンの進化論を授業で教えたため検挙され、裁判で進化論とキリスト教の創造論が争われた。
・オールスター・キャストによる力作『ニュールンベルグ裁判』
(1961年)
は、アカデミー賞の作品賞、監督賞など10部門でノミネートされ、主演男優賞
(マクシミリアン・シェル)
、脚色賞を受賞した。
『ニュールンベルグ裁判』
(1961年)
マクシミリアン・シェル
『ニュールンベルグ裁判』撮影時
手前左から、クレイマー監督、
ジュディ・ガーランド
、
スペンサー・トレイシー、
リチャード・ウィドマーク
、
マクシミリアン・シェル。
バート・ランカスター
(後)
・1961年度のアカデミー賞でアービング・G・タルバーグ賞を受賞。製作した作品の中、6作品が作品賞にノミーネートされ、監督賞には3度ノミネートされたが、オスカー像を手にすることは出来なかった。
(右の写真)アカデミー賞授賞式にて。主演男優賞を受賞したマクシミリアン・シェル(右)と
・オールスター・キャストによるコメディ『おかしなおかしなおかしな世界』
(1963年)、
メキシコからドイツへ向かう客船内の人間模様を描いた『愚か者の船』
(1965年)
を製作・監督。『愚か者の船』は、アカデミー賞の作品賞など8部門でノミネートされ、撮影賞、美術賞
(白黒部門)
の2部門で受賞。
ヴィヴィアン・リー
の最後の映画。
『愚か者の船』
(1965年)
ヴィヴィアン・リー、リー・マーヴィン
『愚か者の船』撮影時
ヴィヴィアン・リー(左)、
シモーヌ・シニョレ
(右)と
・人種差別を題材にした『招かれざる客』
(1967年)
は、アカデミー賞の作品賞、監督賞など10部門でノミネートされ、主演女優賞
(
キャサリン・ヘップバーン
)
、脚本賞を受賞。クレイマー監督が最も敬愛していた俳優スペンサー・トレイシーの遺作となった。
『招かれざる客』
(1967年)
キャサリン・ヘップバーン、スペンサー・トレイシー
『招かれざる客』撮影時
右から時計回りに、クレイマー監督、
キャサリン・ホートン、キャサリン・ヘップバーン、
スペンサー・トレイシー、
シドニー・ポワチエ
・その後、ゴールデン・グローブ賞の作品賞
(ミュージカル・コメディ部門)
を受賞した『サンタ・ビットリアの秘密』
(1969年)
、
ジョージ・C・スコット
主演の『オクラホマ巨人』
(1973年)
、ジーン・ハックマン主演の『ドミノ・ターゲット』
(1977年)
等を製作・監督。『
The Runner Stumbles
』
(1979年)
を最後に映画界から引退した。
『サンタ・ビットリアの秘密』
(1969年)
アンソニー・クイン
、
アンナ・マニャーニ
『サンタ・ビットリアの秘密』
撮影時
アンソニー・クイン(左)と
・1980年から1996年まで、シアトル・タイムス紙で映画のコラムを執筆し、1997年には自伝を出版した。
・
2001年
、
87歳
で他界。
・2002年、全米製作者組合が「スタンリー・クレイマー賞」を創設し、『アイ・アム・サム』
(2001年)
が受賞。以後毎年、社会的な問題を題材とした優れた作品が表彰されている。
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