20世紀・シネマ・パラダ イス
シドニー・ポワチエ
Sidney Poitier
1927- (アメリカ / バハマ)
◆
代表作
手錠のまゝの脱獄
The Defiant Ones
(1958年/アメリカ)
野のユリ
Lilies of the Field
(1963年/アメリカ)
いつも心に太陽を
To Sir, with Love
(1967年/イギリス)
夜の大捜査線
In the Heat of the Night
(1967年/アメリカ)
招かれざる客
Guess Who's Coming
to Dinner
(1967年/アメリカ)
◆
黒人で初めてアカデミー賞主演男優賞を受賞
・
1927年
、 フロリダ州生れ。バハマのキャット島で農業を営んでいた両親が、トマトなどを売りにマイアミへ行っている時に母親が産気づいた。予定日より2ヶ月も 早く生まれた未熟児を育てるため、父親がタクシー運転手となって同地に3ヶ月間滞在した後、バハマへ戻った。
・7人兄弟の末っ子でほとんど教育を受けずに育った。15歳の時に兄が暮らしていたマイアミへ引っ越し、その後、単身でニューヨークへ渡った。食器洗いなど のアルバイトをしながら、夜はバスターミナルのトイレで寝ていた時期もあったという。16歳の時に年齢を偽って軍に入隊した。
・除隊後、アメリカン・ニグロ・シアターへ入団するためオーディションを受けたが、ハバナ訛りが酷くて落選。半年後
に再チャレンジして入団が叶った。
1946年にブロードウェイ・デビューし、翌47年にエキストラとして映画にも初出演。その後、
リチャード・ウィドマーク
主演の 『復讐鬼』
(1950年/
ジョゼフ・L・マンキーウィッツ
)
で本格的な銀幕デビューを果たした。この時も、まだ22歳だったが27歳と偽って助演クラスの役を得た。
(右の写真) 『復讐鬼』 リチャード・ウィドマークと
・
グレン・フォード
主演の 『暴力教室』
(1955年/監督:リチャード・ブルックス)
が大ヒット。不良生徒の1人を演じたポワチエにとって出世作となった。
(左の写真) 『暴力教室』 グレン・フォード (後方左)と
・
『手錠のまゝの脱獄』
(1958年/監督:
スタンリー・クレイマー
)
で、黒人として初めてアカデミー賞主演男優賞にノミネート。オスカーは逃したが、英アカデミー賞の最優秀外国男優賞、ベルリン国際映画祭の銀熊賞(男優賞) を受賞。映画俳優としての地位を確立した。
(右の写真) 『手錠のまゝの脱獄』
トニー・カーティス
(右)と
『ポギーとベス』 (1959年/監督:
オットー・プレミンジャー
)
ドロシー・ダンドリッジと
『パリの旅愁』 (1961年)
ポール・ニューマン
と
・『野のユリ』
(1963年)
で、黒人では初めてアカデミー賞主演男優賞を受賞。
ハリウッドの歴史に名前を刻んだ。尚、本作で2度目のベルリン国際映画祭の銀熊賞(男優賞) も受賞した。
(左の写真) 『野のユリ』 リリア・スカラと
・黒人俳優で初めてアカデミー賞を受賞したのは、女優の
ハティ・マクダニエル
。男優では、ディズニー映画 『南部の唄』
(1946年)
で主役を演じたジェームズ・バスケットが特別賞を受賞している
。 (右の写真)
イングリッド・バーグマン
からオスカー像を贈呈される
ジェームズ・バスケット
・当時は公民権運動が盛んだった時代。キング牧師が有名な演説 「
I Have a Dream 〜 私には夢がある
」 をしたワシントン大行進
(1963年)
にも参加した。
人種差別を題材にした名作に多数出演し、黒人の地位向上に貢献した。
(左の写真) 左から、
ハリー・ベラフォンテ
、
チャールトン・ヘストン
、
バート・ランカスター
、
シドニー・ポワチエ。ワシントン大行進にて。
『いつも心に太陽を』 (1967年)
『夜の大捜査線』 (1967年)
ロッド・スタイガー
と
『招かれざる客』 (1967年) キャサリン・ホートンと
『失われた男』 (1969年) ジョアンナ・シムカスと
・1967年、ドル箱 (マネー・メイキング)スター・ベストテンの第7位にランクインすると、翌68年は第1位に
(69年も第6位にランクイン)
。『ブラック・ライダー』
(1972年)
では監督業にも挑戦する等、1970年代以降も活躍した。
『ブラック・ライダー』 (1972年) ハリー・ベラフォンテ(左)と
『リトル・ニキータ』 (1988年) リヴァー・フェニックスと
・私生活では1950年に結婚し、娘を4人授かったが1965年に離婚。『ポギーとベス』
(1959年)
、『パリの旅愁』
(1961年)
で共演したダイアン・キャロルとの恋愛が離婚の原因だった。キャロルとは9年間交際したらしいが、結婚には至らなかった。
(左の写真) 『パリの旅愁』 ダイアン・キャロルと
・1976年、『失われた男』
(1969年)
で共演したジョアンナ・シムカスと再婚。娘を2人を授かった。
*
ジョアンナ・シムカス … アラン・ドロン、
リノ・ヴァンチュラ
と共演した 『冒険者たち』 (1967年)、『若草の萌えるころ』 (1968年) 等に出演。日本でも人気があったが、結婚を機に引退した。 (右の写真)ジョアンナ・シムカスと。2015年。
・1974年、大英帝国勲章 (KBE) を授かる
… バハマはイギリス連邦の加盟国。
・1982年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞。
・1992年、AFI (アメリカ映画協会) の生涯功労賞を受賞。授賞式のホストはハリー・ベラフォンテが務めた。
・1995年〜2003年 ウォルト・ディズニー社の取締役に就任。
・1997年〜2007年 バハマ駐日特命全権大使に就任。
・1999年、AFI (アメリカ映画協会)が選定した
「伝説のスター・ベスト50」 で、男優部門の第22位に選出。
・2002年、アカデミー賞の名誉賞を受賞。
・2009年、大統領自由勲章を授かる。
(左の写真) オバマ大統領から勲章を授かるシドニー・ポワチエ
・2002年、アカデミー賞名誉賞受賞時。プレゼンターはデンゼル・ワシントン
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