20世紀・シネマ・パラダ イス

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Charlton_Heston

チャールトン・ヘストン

Charlton Heston

 
1923-2008(アメリカ)

 

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     代表作
 
The_Ten_Commandments
Touch_of_Evil
十戒
The Ten Commandments

(1956年/アメリカ)
黒い罠
Touch of Evil
(1958年/アメリカ)
Ben-Hur
Planet_of_the_Apes
ベン・ハー
Ben-Hur
(1959年/アメリカ)
猿の惑星
Planet of the Apes
(1968年/アメリカ)
Soylent_Green
Airport_1975
ソイレント・グリーン
Soylent Green
(1973年/アメリカ)
エアポート '75
Airport 1975
(1974年/アメリカ)


     ◆  『十戒』、『ベン・ハー』 … 史劇のヒーロー

 ・1923年、イリノイ州生れ。本名はJohn Charles Carter。10歳の時に両親が離婚。母親が再婚してから母親の旧姓チャールトンと義父の姓ヘストンを併せてチャールトン・ヘストンと名乗るようになった。

 ・高校時代から演技に取り組み、16mmのサイレント映画『Peer Gynt(1941年)では主役を務めた。そして、奨学金を得てノースウエスタン大学で演技を学んだ。

 ・1944年から2年間、陸軍航空隊で無線操縦士などを務め、除隊後、舞台「アントニーとクレオパトラ」(1947年)の端役でブロードウェイ・デビュー。マイナー会社の低予算映画『ジュリアス・シーザー』(1950年)でアントニウスを演じ、銀幕デビューをした。
 (右の写真)『ジュリアス・シーザー』
Julius_Caesar_1950

Dark_City
 ・舞台劇を放映するTV番組で、「嵐が丘」(1950年)のヒースクリフを演じたのが映画製作者ハル・B・ウォレスの目に留まり、フィルム・ノワール作品『虐殺の街』(1950年)の主役に抜擢された。メジャーの映画俳優となるチャンスだったが、さして評判にならず、その後もTV番組への出演が続いた。
 (左の写真)『虐殺の街』 リザベス・スコットと

 ・セシル・B・デミル監督の娯楽大作『地上最大のショウ』(1952年)でサーカス団の団長役を演じ、メジャーの映画俳優となった。
 (右の写真)『地上最大のショウ』 ジェームズ・ステュアート(右)と
The_Greatest_Show_on_Earth

Ruby Gentry
The Naked Jungle
『ルビイ』(1952年)
ジェニファー・ジョーンズ

『黒い絨毯』(1952年)
エレノア・パーカーと


The_Ten_Commandments  ・旧約聖書の英雄モーセを演じた超大作のスペクタクル史劇『十戒』(1956年)が記録的な大ヒット。セシル・B・デミル監督曰く、「(ヘストンは)ミケランジェロが彫刻した聖書の人物にそっくり」。世界的な人気スターとなった。
 (左の写真)『十戒』

 ・フィルム・ノワールの古典的名作となった『黒い罠』(1958年)は、ヘストンの希望により奇才オーソン・ウェルズが10年ぶりにハリウッドで監督を務めた作品。
 (右の写真)『黒い罠』 ジャネット・リー
Touch_of_Evil-2

The_Big_Counry
The_Wreck_of_the_Mary_Deare
『大いなる西部』(1958年)
グレゴリー・ペック(右)と

『メリー・ディア号の難破』(1959年)
ゲーリー・クーパー(右)と


Ben_Hur
 ・ハリウッド史劇の金字塔『ベン・ハー』(1959年)でアカデミー賞主演男優賞を受賞。授賞式のスピーチでは、監督のウィリアム・ワイラー、製作途中で亡くなったプロデューサーのサム・ジンバリスト等の名前を挙げて感謝の意を表した。
 (左の写真)『ベン・ハー』


youtube
 アカデミー賞授賞式。司会:ボブ・ホープ、プレゼンター:スーザン・ヘイワード



 ・舞台劇、中でもシェークスピア劇を好んでいたヘストンは、敬愛していたシェークスピア劇の第一人者ローレンス・オリヴィエが舞台監督を務めたブロードウェイ劇「The Tumbler(1960年)に出演したが、僅か4日で打ち切りとなった。

El Cid
55_Days_at_Peking
『エル・シド』(1961年)
ソフィア・ローレンと

『北京の55日』(1963年)
エヴァ・ガードナー

The_Greatest_Story_Ever_Told
Will_Penny
『偉大な生涯の物語』(1965年)
『ウィル・ペニー』(1968年)

 ・『ベン・ハー』以後は大ヒット作に恵まれていなかったが、SF映画『猿の惑星』(1968年)が大ヒット。新たなファンも獲得し、続編の『続・猿の惑星』(1970年)にも出演した。
 (右の写真)『猿の惑星』 リンダ・ハリソンと
Planet_of_the_Apes

Antony_and_Cleopatra
 ・イギリス映画『ジュリアス・シーザー』(1970年)でマルクス・アントニウスを演じ、イギリス・スイス・スペインの合作映画『アントニーとクレオパトラ』(1972年)では、再びマルクス・アントニウスを演じただけでなく、自ら監督も務め、シェークスピア劇の映画化という長年の夢を実現させた。
 (左の写真)『アントニーとクレオパトラ』 ヒルデガード・ニールと

 ・1970年代は数多くの大作映画で主役を務めた。
Soylent_Green-3
Airport_1975-2
『ソイレント・グリーン』(1973年)
エドワード・G・ロビンソン(右)と

『エアポート '75』(1974年)
Earthquake
Midway-
『大地震』(1974年)
エヴァ・ガードナーと
『ミッドウェイ』(1976年)
ヘンリー・フォンダ(右)と


 ・息子のフレイザーが脚本を執筆した『ワイオミング』(1980年)、『大金塊』(1982年)にも出演。以後、TV出演の方が多くなったが、大ヒット作『アルマゲドン』(1998年)ではナレーターを務め、『PLANET OF THE APES/猿の惑星』(2001年/監督:ティム・バートン)に類人猿役で出演する等、晩年まで息長く活躍した。
 (右の写真)『PLANET OF THE APES/猿の惑星』
Planet_of_the_Apes_2001

Lydia_Clarke
 ・私生活では、大学で知り合ったリディア・クラークと1944年(プロの俳優となる前)に結婚。自身が亡くなるまで64年間連れ添った。
 彼女は『地上最大のショウ』の端役で銀幕デビューし、女優、カメラマンとして活動した。
 (左の写真)妻のリディア・クラークと

 ・人種差別の撤廃を訴え、キング牧師が有名な演説「I Have a Dream 〜 私には夢がある」をしたワシントン大行進(1963年)にも参加した。スキャンダルもなく誠実な人柄で、俳優仲間からの信望も厚く、1965年から1971年まで映画俳優組合の代表を務め、1977年度のアカデミー賞でジーン・ハーショルト友愛賞を受賞した。
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ワシントン大行進(1963年)時
シドニー・ポワチエ(左)、ハリー・ベラフォンテ(中央)と

1977年度のアカデミー賞授賞式にて
プレゼンターのベティ・デイビス

 ・政治的には民主党の支持者だったが、1970年代前半から共和党を支持するようになり、1998年には共和党の最大の支持団体の1つでもある全米ライフル協会の会長に就任。コロンバイン高校銃乱射事件(1999年)を題材としたドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002年)の中でのマイケル・ムーア監督による突撃インタビュー等は物議を醸した。2002年、アルツハイマー病と診断され、俳優業から引退し、全米ライフル協会の会長も辞任。2003年、大統領自由勲章を授かった。
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全米ライフル協会の集会にて ジョージ・W・ブッシュ大統領(右)と

 ・2008年84歳で他界。

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