20世紀・シネマ・パラダ
イス
波止場
On the Waterfront
監督:エリア・カザン
(1954年/アメリカ)
◆ アカデ
ミー賞作品賞など8部門で受賞した社会派ドラマの名作
ニューヨーク港の荷役を牛耳っているボス、 ジョニー の不正を告発しようとしていた沖仲
士のジョーイが殺された。元ボクサーのテリー は、そうとは知らずに殺人の片棒を担いでしまった
が、昔から世話になって
いるジョニーを咎めることは出来なかった。
港で働く者は皆、殺人犯はジョニーの子分たちだと知っていたが、
報復を恐れてだんまりを決め込んでいた。
港湾地区を管轄するバリー神父 と
ジョーイの妹イディ が、殺人事件の真相を究明しようと教会で集会を開いた。テリーは、ジョニー
の右腕である兄のチャーリー から、集会の参加者を監視するよう依頼された。
ジョニーの子分たちが教会を襲撃した。テリーはイディを救けだし、家まで送り届けた。
イディは父親の反対を押し切って殺人の真相を追及し続け、テリーはそんな彼女に惹かれて
いった。
教会での集会に参加していた沖仲士のデューガンがジョニーを告発
したことが判り、監視を怠ったテリーはジョニーとチャーリーから大目
玉を喰らった。
デューガンが、法廷で証言をする前日に荷役中の事故を装って殺された。現場に駆けつけたバ
リー神父は、ジョニーの一味の悪行とそれを黙認している沖仲士たちの態度を非難した。
その日の夜。テリーはイディからジョーイの上着を渡された。
バリー神父の説教とイディの想いに心を動かされたテリーは、ジョーイ殺害の片棒を担いで
しまったことを神父に打ち明けた。神父に促されてイディにも話をしたが、ショックを受けたイディは逃げ出してしまった。
テリーが刑事と話をしていたとの報告を受けたジョニーは、チャーリーにテリーの口封じを命
じた。チャーリーと向き合ったテリーは、チャーリーの指示で八百長をし
たせいでチャンピオンになり損ねた過去をなじった。今度は自分の信念で行動するとの意思表示だった。
チャーリーと別れたテリーはイディの部屋に向い、激しく彼女を求めた。
暫らくすると、外から声が聞こえて来
た。「テリー、チャーリーが会いたがっているぞ! 」。外へ出たテリーとイディは車に轢き殺されそうになった。
チャーリーが抹殺されていた。テリーはチャーリーから渡された拳銃を手にジョニーの酒場
へ向かったが、ジョニーは不在だった。
酒場に駆けつけたバリー神父に諭され、テリーは法廷で証言することにした。
法廷で証言したテリーは皆から白眼視され、彼のことを慕っていたレース鳩チームの少年から
も罵倒された。命が危険なこの地から去ろうと促すイディにテリーが応えた。「今までゴロツキと言われたきた。だが違うんだ… 」。テリーは荷
役の仕事に就くため波止場へ向かった…。
『波止場』 予告編
VIDEO
◆ 主な出演者など
・ニューヨーク・サン誌に連載され、1949年度のピューリッツアー賞ローカル報道部門賞
を受賞したマルコム・ジョンソンのルポルタージュ「波止場の犯罪」に触発された脚本家のバッド・シュールバーグが執筆したオリジナル・ストーリー。
(右の写真)バッド・シュールバーグ(中央)、マーロン・ブランド(右)
*
バッド・シュールバーグ … 他の作品に『群衆の中の一つの顔』(1957年/監督:エリア・カザン)
等。父親は『つばさ』 (1927年)等を製作したサイレント期の名プロデューサーのB・P・シュール
バーグ
・脚本を読んだエリア・カザン 監
督が20世紀FOX社に映画化を打診したが、ダリル・F・ザナック が港湾労働
者の
映画など誰も観たがらないと却下。独立系の製作者サム・スピーゲル がコロンビア社とタイ
アップして製作するこ
とになった。スピーゲルが脚本の見直しを要求し、当初は新聞記者だった主人公がボクサーくずれの港湾労働者になった。
(左の写真)マーロン・ブランド(左)、エリア・カザン監督
・テリー役はマーロン・ブランドが一度辞退したため、サム・スピーゲルがフランク・シナトラ に打診。映画の舞台となったホーボーケン(ニュージャージー州) 出身のシナトラも乗り気だった。しかし、エリア・カザンがブランドを説得し、ブランドは精神
科医に通うため、毎日16時には撮影を終えることを条件に出演を承諾
した。
(右の写真)マーロン・ブランド
・イディ役は第一候補だったグ
レース・ケリー が、『裏窓』 へ出演するために辞退。TV女優だったエヴァ・マ
リー・セイントが本作で銀幕デビューを果たし、アクの強い個性派の男優たちを相手に存在感を発揮。アカデ
ミー賞助演女優賞を受賞した。
(左の写真)エヴァ・マリー・セイント
・アカデミー賞では10部門でノミネートされ、作品、監督、主演男優、助演女優、脚本、撮
影(白黒部門) 、美術監督・装置(白黒部門) 、編集の8
部門で受賞。『風と共に去りぬ』 (1939
年) 、『地上より永遠に』 (1953年) に並ぶ最多受賞記録(当時) となった。(右の写真)左から、バッド・シュールバーグ(脚本家)、エリア・カザン監督、ボリス・カウフマン(カメラマン)、リチャード・デ
イ(美術監督)。アカデミー賞授賞式にて
・カール・マルデン、リー・J・コッブ、ロッド・スタイガーの
3人がノミネートされた助演男優賞は、票が割れて共倒れとなった。
主演男優賞のマーロン・ブ
ランド
助演女優賞のエヴァ・マ
リー・セイント
・AFI(アメリカ映画協会)が選定した各ランキングで、次の通りにランクイン。「アメリ
カ映画100年ベスト100」(1998年選定) で第8位に。「アメリカ映画ヒーロー&悪役ベスト
100」(2003年選定) でマーロン・ブランド扮するテリーがヒーローの第23位に。
・「アメリカ映画名セリフ・ベスト100」(2005年
選定) で、マーロン・ブランドが発した「You don't understand! I coulda had class.
I coulda
been a contender. I coulda been somebody instead of a bum, which is
what I am 」=「違う、(ボクシングの) タイトルを取れたんだ!少しは大きな顔
もできる身になれた。見ろ、今のこの俺はただのゴロツキだ 」が第3位に。
・「アメリカ映画音楽ベスト25」(2005年選定) で
第22位に。指揮者としても高名なレナード・バーンスタインが作曲した唯一の非ミュージカル映画音楽。アカデミー賞の劇・喜劇映画音楽賞にノミネートされ
たが受賞は逃している。
◆ ピック・アップ … ロッド・スタイ
ガー
Rod Steiger
1925-2002 (アメリカ)
・1925年 、ニューヨーク州生れ。幼い頃に両親が離婚し、母親に育てられた。16歳の時に高校を退学。海軍に入隊し、太平洋戦争で戦っ
た。
・除隊後、1946年に舞台俳優としてデビュー。1950年にブロードウェイの舞台に立った。
・『Teresa 』(1951年/監督:フ
レッド・ジンネマン ) で銀幕デビューしたが、最初に注目を集めたのはTVドラマの「マーティ」(1953
年) だっ
た。
* 「マーティ」 … アーネスト・ボーグナイン 主演で映画化(1955年)され、アカデミー賞作品賞、主
演男優賞等を受賞。
・2作目の劇場用映画『波止場』
でブレイク。マーロン・ブランドの兄を演じたが、実際はブランドよりも1歳年下だった。車の中で会話を交わす場面の2人の演技は、映画史において屈指の名
演技の1つとして高く評価されている。同作でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。
『波
止場』(1954年)
マーロン・ブ
ランド(右)と
『殴
られる男』(1956年)
ハンフリー・ボガート (左)と
・ミュージカル『オクラホマ!』(1955年/監督:
フレッド・ジンネマン) 、ゲーリー・クーパー 主演の『軍法会議』(1955年/監督:オットー・プレミンジャー ) 、
ハンフリー・ボガートの遺作となった『殴られる男』(1956年) 等に出演。
・デビュー間もない頃、アクターズ・スタジオでメソッド演技法 を
学んだこともあり、その実力が遺憾なく発揮されたのが、本人のお気に入りでもある知られざる名作『質屋』(1964年/
監督:シドニー・ルメット ) 。役作りのため頭髪を抜いて撮影に臨んだ。
ベルリン国際映画祭の主演男優賞、英アカデミー賞の最優秀外
国男優賞を受賞。アカデミー賞の主演男優賞にもノミネートされた。
『質
屋』(1964年)
『ド
クトル・ジバゴ』(1965年/監督:デヴィッド・リーン )
ジュリー・クリスティと
・『夜の大捜査線』(1967年/監督:ノーマン・ジュ
イソン) で、アカデミー賞主演男優賞、英アカデミー賞の最優秀外
国男優賞等を受賞。その後、イタリア・ソ連合作の大作『ワーテルロー』(1970年) で主役のナポレオン
を演じ
た他、『夕陽のギャングたち』(1971年/監督:セルジオ・レオーネ) 等、イタリア映画でも活躍した。
『夜
の大捜査線』(1967年)
シドニー・ポワチエ (左)と
『ワー
テルロー』 (1970年)
・1979年に心臓の手術を受けてからは助演・脇役クラスに甘んじたが、最晩年まで第一線
で活躍した。
・私生活では5度結婚したが、2番目の妻は女優のクレア・ブルーム 。黒澤明監督の『羅生門』(1950年) を
舞台劇にした「Rashomon 」(1959年)、 映画『いれずみの男』(1969年) で共演もした。
(右の写真)オスカー像を手に。クレア・ブルームと
・2002年 、77歳 で他界。