20世紀・シネマ・パラダイス

Scandalbar

伝説の映画製作者たち

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 1930〜40年代のハリウッドの映画スタジオ
  ビッグ5 … パラマウント、MGM、20世紀FOX、ワーナー・ブラザース、RKO
  リトル3 … ユニヴァーサル、コロンビア、ユナイテッド・アーチスツ
  更に小規模なリパブリックや、独立系の製作会社があった。

20th_Century_Fox
 20世紀FOX社
 1935年、FOX社 (1915年設立) と20世紀ピクチャーズ社 (1933年設立) が合併して成立。

William_Fox
 ウィリアム・フォックス (1879-1952年)

 ・ハンガリー生れ。生後間もなくアメリカへ移住。家庭が貧しく、11歳から働き始め、衣料品業で成功した。
 1900年代初頭から劇場を買収し始め、その後、映画配給会社も買収。12年には、市場を独占していたMPPC (通称エジソン・トラスト) を取引違法で訴え、15年、ニュージャージー州にFOX社を設立した。 

 ・1927年、全米屈指の劇場チェーンのオーナーで、MGM社の社長でもあったマーカス・ロウが亡くなると、遺族から株を買い占め、MGM社のルイス・B・メイヤーから独占禁止法で訴えられた。

 ・1929年、自動車事故で負傷。更に、世界大恐慌の煽りを受け、自ら築いたFOX社の経営権を失った。

 ・その後、FOX社はシャーリー・テンプルの 主演作が立て続けに大ヒットし、倒産の危機を逃れ、35年に20世紀ピクチャーズ社と合併してメジャー・ビッグ5の一角を占めるようになった。
 一方、ウィリアム・フォックスは36年に破産宣告を受け、その財産を調 査する公聴会で判事を買収しようとしたことが発覚し、投獄された。

 ・メジャー会社の創設者でありながら、彼の葬儀に訪れた映画関係者は皆無であったという。

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Darryl_F._Zanuck
 ダリル・F・ザナック (1902-1979年)

 ・ネブラスカ州生れ。6歳の時にロスアンゼルスへ引っ越し、16歳の時に年齢を偽って陸軍に入隊し、フランスへ遠征した。

 ・1922年、脚本家としてデビュー。ユニヴァーサル社やマック・セネット・コメディーズ社などを経て、24年、ワーナー・ブラザーズ社へ。名犬リン・チン・チンの主演作を大ヒットさせた。

 ・29年、製作者に転身。オスカー候補作 『四十二番街』 (1933年) 等を製作したしが、ワーナー兄弟と待遇面で揉めて退社した。
 (右の写真) 左から、ザナック、ジャック・L・ワーナー、リー・ダンカン。手前は名犬リン・チン・チン

 ・1933年、ユナイテッド・アーチスツ社の2代目社長ジョセフ・M・シェンクと共に、20世紀ピクチャーズ社を設立。
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  * ジョセフの弟でMGM社の社長ニコラス・シェンクから資金援助を受けた他、MGM社の副社長ルイス・B・メイヤーの義理の息子であった
  ウィリアム・ゴーツ、喜劇役者のレイモンド・グリフィス (『西部戦線異状なし』 等に出演) も同社の設立に関わった。


 ・1935年、FOX社と合併し、20世紀FOX社が成立。ザナックは副社長に就任した。尚、前年にユナイテッド・アーテスツ社との合併を試みるも失敗に終わっている。

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 ・製作者として、『わが谷は緑なりき』 (1941年/監督:ジョン・フォード『紳士協定』 (1947年/監督:エリア・カザン『イヴの総て』 (1950年/監督:ジョセフ・L・マンキーウィッツ の3作品でアカデミー賞を受賞。アーヴィング・G・タルバーグ賞も最多の3度 (37、44、50年) 受賞した。
  (左の写真) 1950年度のアカデミー賞授賞式にて

 
・1956年、経営から退き、ヨーロッパで活動していたが、62年に復帰。自ら製作した超大作 『史上最大の作戦』 (1962年) を大ヒットさせるなど、『クレオパトラ』 (1963年) の失敗
で倒産の危機に瀕していた20世紀FOX社の経営を立て直した。

 ・息子のリチャード・D・ザナックも映画製作者となり、『ドライビング Miss デイジー』 (1989年) でアカデミー賞を受賞した。

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