20世紀・シネマ・パラダイス
ウォルター・ピジョン
Walter Pidgeon
1897-1984 (カナダ/アメリカ)
◆
代表作
マン・ハント
Man Hunt
(1941年/アメリカ)
塵に咲く花
Blossoms in the Dust
(1941年/アメリカ)
わが谷は緑なりき
How Green Was My Valley
(1941年/アメリカ)
ミニヴァー夫人
Mrs. Miniver
(1942年/アメリカ)
キュリー夫人
Madame Curie
(1943年/アメリカ)
禁断の惑星
Forbidden Planet
(1956年/アメリカ)
◆
グリア・ガースンとの名コンビで人気スターに
・
1897年
、カナダのニューブランズウィック州生まれ。地元の大学に在学中に第1次世界大戦が勃発。軍に入隊したが事故で負傷し、約1年半入院した。大戦後に渡米し、ボストンの銀行で働きながらニューイングランド音楽院で声楽を学んだ。
・ミュージカル「
Puzzles of 1925
」
(1925年)
でブロードウェイ・デビューし、翌1926年に『
Mannequin
』で銀幕デビュー。トーキーの時代になるとミュージカル映画を中心に出演していたが、ミュージカル俳優という型にハマることを嫌い、 1935年にブロードウェイへ戻り、コメディ劇に出演。ミュージカル映画『ショウボート』
(1936年)
への出演オファーも断っている。
・長いこと助演クラスに甘んじていたが、1941年にキャリアの転機を迎えた。反ナチスのサスペンス映画『マン・ハント』
(監督:
フリッツ・ラング
)
の主役に抜擢されて好演。
(右の写真)『マン・ハント』
ロディ・マクドウォール
(右)と
・『塵に咲く花』
(1941年/監督:
マーヴィン・ルロイ
)
で、人気コンビとなる
グリア・ガースン
と初共演。
(左の写真)『塵に咲く花』 グリア・ガースンと
・
『わが谷は緑なりき』
(1941年/監督:
ジョン・フォード
)
が大ヒット作となり、アカデミー賞の作品賞を受賞。
(右の写真)『わが谷は緑なりき』
モーリン・オハラ
と
・翌1942年、
『ミニヴァー夫人』
(監督:
ウィリアム・ワイラー
)
が、その年最大のヒット作となり、ウォルター・ピジョンはアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。自身は受賞を逃したが、同作は作品賞を受賞。2年連続でアカデミー賞作品賞受賞作の主役を務め、キャリアの絶頂期を迎えた。
(左の写真)『ミニヴァー夫人』 グリア・ガースンと
・グリア・ガースンとの共演3作目『キュリー夫人』
(1943年/監督:マーヴィン・ルロイ)
も大ヒットし、2年連続でアカデミー賞主演男優賞の候補となったが、受賞には至らなかった。
尚、同作は日本で戦後に初めて輸入公開
(1946年)
された外国映画。
(右の写真)『キュリー夫人』 グリア・ガースンと
・グリア・ガースンとは、『パーキントン夫人』
(1944年)
、『奥様武勇伝』
(1948年)
、『フォーサイト家の女』
(1949年)
、『
The Miniver Story
』
(1950年)
、『
Scandal at Scourie
』
(1953年)
でも共演
(合計8本)
した。
『パーキントン夫人』
(1944年)
グリア・ガースンと
『奥様武勇伝』
(1948年)
グリア・ガースンと
・1950年代以降も、『雨の朝巴里に死す』
(1954年)
、『禁断の惑星』
(1956年)
、『野望の系列』
(1962年)
、『ファニー・ガール』
(1968年)
等に出演。『
Sextette
』
(1978年)
への出演を最後に引退した。
・
1984年
、
87歳
で他界。
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