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伝説の映画製作者たち

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   サミュエル・ゴールドウィン

 ・1879年、ポーランドのワルシャワにて、ユダヤ系の貧しい家庭に生れた。本名はSchmuel Gelbfisz。16歳の時にイギリスへ渡り、サミュエル・ゴールドフィッシュに改名。その後、19歳の時にカナダ経由でアメリカへ渡り、皮手袋のセールスマンとして大きな成功を収めた。

 ・1910年、コルネット奏者でブロードウェイ劇のプロデューサー、ジェシー・L・ラスキーの妹と結婚。
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 ・1913年、義理の兄ジェシー・L・ラスキー、セシル・B・デミルとジェシー・L・ラスキー・フィーチャー・プレイ・カンパニーを設立。アメリカ初の長編映画『スコウ・マン』(1914年/監督:セシル・B・デミル)等を製作した。その後、同社はアドルフ・ズーカー率いるフェーマス・プレーヤーズと合併(1916年)し、フェーマス・プレーヤーズ・ラスキー・スタジオ(後のパラマウント社)となったが、サミュエル・ゴールドフィッシュは合併後間もなく同社を去った(追われた?)。アドルフ・ズーカー曰く、「彼は他人と協力して事を成すことが出来ない男だった」。 
 * 1915年に離婚し、ラスキーとは義理の兄弟ではなくなっていた。

Goldwyn_Pictures  ・1916年、ブロードウェイ劇の製作者セルウィン兄弟と新会社を設立。ゴールドフィッシュとセルウィンを併せて、ゴールドウィン・ピクチャーズと命名された。サミュエルはこの名を気に入り、自身もサミュエル・ゴールドウィンと改名した。
 (左の写真)「Goldwyn Pictures」のトレード・マーク。ライオンの名はレオ。

 ・1924年、ゴールドウィン・ピクチャーズは、「Metro Pictures」、「Louis B. Mayer Pictures」と合併し、MGM社 (Metro-Goldwyn-Mayer )が成立。ゴールドウィン・ピクチャーズのライオンのトレード・マークはMGM社に引き継がれたが、サミュエルはやはり一匹狼だったのか? MGM社の成立前にセルウィン兄弟によって会社を追われていた。

 ・1923年、サミュエル・ゴールドウィン社を設立。製作した作品はユナイテッド・アーチスツ社から配給した。 (1941年からはRKO社から配給)
 (右の写真)チャールズ・チャップリン(中央)、ダグラス・フェアバンクス(右)、メアリー・ピックフォード


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 ・設立当初はロナルド・コールマンが看板スターで、特にヴィルマ・バンキーとのコンビは人気を博した。同社の作品で最初にアカデミー賞作品賞にノミネートされたのも、ロナルド・コールマン主演の『人類の戦士』(1931年/監督:ジョン・フォードだった。
 (左の写真)ロナルド・コールマン(右)と

 ・1935年、ウィリアム・ワイラー監督と契約。『孔雀夫人』(1936年)、『デッド・エンド』(1937年)、『嵐ケ丘』(1939年)、『偽りの花園』(1941年)の4作品がアカデミー賞作品賞にノミネートされるなど、サミュエル・ゴールドウィン社興隆の最大の貢献者となった。
 (右の写真)ウィリアム・ワイラー監督(右)と
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Samuel_Goldwyn-4  ・同社の最大のスターだったのがゲーリー・クーパー。1936年、クーパーとパラマウント社の契約が終了する時を狙って引き抜いた。クーパーの主演作では、『打撃王』(1942年/監督:サム・ウッドがアカデミー賞作品賞にノミネートされた。
 (左の写真)ゲーリー・クーパー(中央)、レフティ・オドール(右)と。* レフティ・オドール … 『打撃王』撮影時に、クーパーに野球の手ほどきをした元大リーグのスター選手

 ・『我等の生涯の最良の年』(1946年/監督:ウィリアム・ワイラー)が1番の代表作となった。『風と共に去りぬ』に次ぐ歴代第2位(当時)の記録的大ヒットとなり、アカデミー賞作品賞7度目のノミネーションで念願の初受賞。アービング・G・タルバーグ賞も受賞した。アカデミー賞受賞の祝賀パーティーの後、オスカー像を抱きながら涙を流したという。
 (右の写真)ハロルド・ラッセル(中央)、ウィリアム・ワイラー(右)と
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Samuel_Goldwyn-6  ・その後も、自らスカウトしたダニー・ケイヴァージニア・メイヨ主演の『虹を掴む男』(1947年)マーロン・ブランド主演のミュージカル『野郎どもと女たち』(1955年)等のヒット作を製作。『ポーギーとベス』(1959年)を最後に引退するまで、黄金時代のハリウッドにおいて最も成功した独立系の製作者として活躍した。
 (左の写真)チャールズ・チャップリン(左)、ダニー・ケイ(右)と

 ・アカデミー賞のジーン・ハーショルト友愛賞(1958年)、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞(1973年)を受賞。大統領自由勲章(1971年)も授かった。
 (右の写真)マーロン・ブランド(右)と

 ・1974年94歳で他界。
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