* Borscht Belt …
キャッツキルト山脈のリゾート地。ニューヨークに住むユダヤ系の人々が集うリゾート地だったため、キャッツキルト山脈は「ユダヤ人のアルプス」
とも言われていた。 エディ・カンター、ジャック・ベニー、マルクス兄弟、ジェリー・ルイス、メル・ブルックス、ウッディ・アレンといったユ
ダヤ系コメディアンたちが、このリゾート地のステージに立った。
・1933年、劇団で‟Three Terpsichoreans”(3人の踊り子)を結成。この時から芸名 Danny Kayeを名乗るようになった。
翌1934年、アジア巡業の一環として来日。大阪での公演時、台風の影響で劇場が停電してしまい、ダニーは懐中電灯を手にアドリブで
歌や踊りを披露。英語が通じない観客を楽しませるために披露した顔芸やパントマイムが芸風を生み出すきっかけになったとの伝説がある。
(左の写真)‟Three Terpsichoreans” 真ん中がダニー・ケイ
・1937年、エデュケーショナル・ピクチャーズ社と契約し、短編映画 『Dime
a Dance』(1937年)で銀幕デビュー。2年間で4本の短編映画に出演したが、大ブレイクとはならなかった。
(右の写真)3本目の短編映画『Cupid Take a Holiday 』(1938年)
・1939年、舞台「The Straw Hat Revue」
でブロードウェイ・デビュー。舞台はさして評判にならなかったが、作詞・作曲家のシルヴィア・ファインと出会い、翌1940年に結婚した。
・ニューヨークのナイト・クラブでシルヴィアのピアノ伴奏に合わせて歌やダンスを披露して
いたパフォーマンスが劇作家モス・ハートの目に留まり、彼の戯曲で大女優ガートルード・ローレンス主演のブロードウェイ・ミュージカル「Lady
in the Dark」(1941年)に出演。同舞台でシルヴィアが作詞・作曲した「チャイコフスキー」
を披露。僅か40秒弱の間に50人のロシア人作曲家の名前を唄い、絶賛された。
(左の写真)シルヴィア・ファインと
・映画製作者サミュエル・
ゴールドウィンの誘いを断って、ブロードウェイで初主演のミュージカル・コメディ「Let's Face It !」(1941年)に出演。1年半に及ぶロングランの大ヒットとなった。
* 「Let's Face It !」 … ボ
ブ・ホープ主演『腰抜けと原爆娘』(1943年)として映画化された。