20世紀・シネマ・パラダイス
グローマンズ・チャイニーズ・シアター
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アン・ハーディング (1930年8月30日)
1921年にブロードウェイ・デビュー。
トーキーの時代になってから銀幕でも活躍。『
Holiday
』
(1930年/日本未公開)
でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
ラオール・ウォルシュ
(1930年11月14日)
超大作西部劇 『ビッグ・トレイル』 のPRの一環としてグローマンズ・チャイニーズ・シアターに。
主演の
ジョン・ウェイン
は不参加。。
(右の写真) 右から2番目がウォルシュ監督
ウォーレス・ビアリー と マリー・ドレスラー
(1931年1月31日)
ウォーレス・ビアリー
マリー・ドレスラー
2人の共演作 『惨劇の波止場』 のPRの一環として。
☆
ウォーレス・ビアリー … 演技の守備範囲の広い個性派俳優として、特に1930年代前半はMGM社のドル箱スターの1人として活躍したが、酒癖の悪さ等、私生活での素行は評判が良くなかった。『チャンプ』
(1931年)
でアカデミー賞主演男優賞、『奇傑パンチョ』 (
1934年)
でヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受賞。
グロリア・スワンソン
の最初の結婚相手。
♡
マリー・ドレスラー … カナダ出身。舞台で活動していたが、
マック・セネット
が監督し、
チャップリン
が共演したハリウッド初の長編コメディ 『醜女の深情け』
(1914年)
で銀幕デビュー。その後、不遇の時期を経て、『惨劇の波止場』
(1930年)
が大ヒットし、アカデミー賞の主演女優賞も受賞した。1932年、33年と2年連続でドル箱 (マネー・メイキング)スター・ベストテンの第1位にランクされる等、大変な人気者となったが、1934年、65歳で他界した。
ジャッキー・クーパー
(1931年12月12日)
エディ・カンター (1932年3月9日)
舞台、映画、ラジオ、そして、TVでも活躍した人気コメディアン。
1957年、アカデミー賞名誉賞を受賞。
ダイアナ・ウィンヤード (1933年1月26日)
『カヴァルケード (大帝国行進曲)』
(1933年)
でイギリス人女優として初めてアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
キャロル・リード監督
の最初の妻。
主に舞台で活動した。
マルクス兄弟
(1933年2月17日)
手前左から、ハーポ、グルーチョ、ゼッポ、チコ。
後はシド・グローマン
左から、グルーチョ、ハーポ、チコ、
シド・グローマン、ゼッポ
ジーン・ハーロー
(1933年9月25日&29日)
シド・グローマン(右)と
モーリス・シュヴァリエ
と ジャネット・マクドナルド (1934年12月4日)
♡
ジャネット・マクドナルド
ミュージカルのスター。『ラヴ・パレード』
(1929年)
、『君とひととき』、
『今晩は愛して頂戴ナ』
(1932年)
、『メリィ・ウィドウ』
(1934年)
でモーリス・シュヴァリエと共演した。
シャーリー・テンプル
(1935年3月14日)
ジョー・E・ブラウン
(1936年3月5日)
シド・グローマン (右)と
シド・グローマン(左)と
アル・ジョルソン (1936年3月12日)
アル・ジョルソン (右から2番目)
シド・グローマン(右)と
世界初のトーキー 『ジャズ・シンガー』
(1927年)
で主役を務め、銀幕からの第一声 「
お楽しみはこれからだ!
-
You ain't heard nothin' yet! -
」 を発した人気歌手・俳優。
存命中に伝記映画 『ジョルスン物語』
(1946年/主演:ラリー・パークス)
も作られ、大ヒットした。
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