20世紀・シネマ・パラダイス
キャロル・リード
Carol Reed
1906-1976(イギリス)
◆
代表作
邪魔者は殺せ
Odd Man Out
(1947年/イギリス)
落ちた偶像
The Fallen Idol
(1948年/イギリス)
第三の男
The Third Man
(1949年/イギリス)
オリバー!
Oliver !
(1968年/英・米)
フォロー・ミー
Follow Me !
(1972年/イギリス)
◆
イギリス映画不滅の名作『第三の男』を監督
・1906年、ロンドン生れ。ナイトの称号を与えられた舞台俳優ハーバート・ビアボーン・ツリーと愛人との間の次男。16歳の時に、兄が営んでいる養鶏 場(アメリカのマサチューセッツ州)へ赴いたが半年で帰国。父親と同じ俳優となり、人気作家エドガー・ウォーレスの劇団に入団。ウォーレスのアシスタント も務めた。
・1927年、ウォーレスがブリティッシュ・ライオン・フィルムズ社の会長に就任し、映画界にも進出。彼の下で映画製作を学んでいたが、ウォーレスが
『キングコング』
(1933年)
の脚本を執筆中の1932年に急死。リードはアソシエーテッド・トーキング・ピクチャーズ社に移籍し、助監督等を経て、『
Midshipman Easy
』
(1935年)
で監督デビュー。その後、10数本を監督し、第2次世界大戦中は陸軍の映画班に所属した。
・戦後の初監督作品『邪魔者は殺せ』
(1947年)
が、英アカデミー賞の英国作品賞を受賞。
『邪魔者は殺せ』(1947年)
ジェームズ・メーソン
『邪魔者は殺せ』撮影時
ジェームズ・メーソン(右)と
・イギリス映画界の重鎮
アレクサンダー・コルダ
から作家のグレアム・グリーンを紹介され、グリーンの短編小説「地下室」を映画化した『落ちた偶像』
(1948年)
を監督。同作も英アカデミー賞の英国作品賞を受賞した。
『落ちた偶像』(1948年)
ボビー・ヘンリー
、
ラルフ・リチャードソン
『落ちた偶像』撮影時
ミシェル・モルガン
と
・コルダ、グリーンと再び組んだ
『第三の男』
(1949年)
も英アカデミー賞の英国作品賞を受賞。3年連続の受賞で3作ともサスペンス映画。『第三の男』はカンヌ国際映画祭でグランプリも受賞し、リード監督はイギリスを代表する巨匠の1人となった。
『第三の男』(1949年)
オーソン・ウェルズ
『第三の男』撮影時
オーソン・ウェルズ(右)と
・海洋小説家ジョゼフ・コンラッド原作の『文化果つるところ』
(1951年)
、再びのサスペンス『二つの世界の男』
(1953年)
を監督。
『文化果つるところ』
(1951年)
ケリマ、
トレヴァー・ハワード
『二つの世界の男』
(1953年)
ジェームズ・メーソン、
クレア・ブルーム
・1953年、ナイト爵を授与され、父親と同じくサーの称号を得た。映画人では、アレクサンダー・コルダ
(1942年)
、
ローレンス・オリヴィエ
(1947年)
に次いでの名誉だった。
・人情喜劇『文なし横丁の人々』
(1955年)
を撮った後、ハロルド・ヘクトと
バート・ランカスター
の独立プロに招かれ、ハリウッドで娯楽大作『空中ぶらんこ』
(1956年)
を監督。ランカスターにベルリン国際映画祭の男優賞をもたらした。
『文なし横丁の人々』(1955年)
セリア・ジョンソン
『空中ぶらんこ』(1956年)
ジーナ・ロロブリジーダ
、バート・ランカスター
・‟赤狩り”によりイギリスへ逃避した
カール・フォアマン
製作・脚本の『鍵』
(1958年/英)
を監督。
トレヴァー・ハワード
に英アカデミー賞の主演男優賞をもたらした。
『鍵』(1958年)
トレヴァー・ハワード (左)、
ウィリアム・ホールデン
『鍵』撮影時
ソフィア・ローレンと
・作家グレアム・グリーンとの3作目のコラボとなる『ハバナの男』
(1959年/英)
を監督。
『ハバナの男』
(1959年)
アレック・ギネス
、
モーリン・オハラ
『ハバナの男』撮影時
アレック・ギネス(左)と
・再びハリウッドに招かれ、『戦艦バウンティ』
(1962年)
の撮影に臨んだが、主演の
マーロン・ブランド
と馬が合わず、
ルイス・マイルストーン
監督と交替。イギリスに戻り、『逃げる男』
(1963年)
を監督。
『戦艦バウンティ』撮影時
マーロン・ブランドと
『逃げる男』(1963年)
リー・レミック、ローレンス・ハーヴェイ
・ミケランジェロの生涯を描いた『華麗なる激情』
(1965年/米・伊)
を監督。
『華麗なる激情』(1965年)
チャールトン・ヘストン
『華麗なる激情』撮影時
チャールトン・ヘストン(右)と
・イギリスの国民的作家チャールズ・ディケンズの小説「オリバー・ツイスト」を映画化した『オリバー!』
(1968年/英・米)
で、62歳にして初めてミュージカルに挑んだ。
『オリバー!』
(1968年)
ジャック・ワイルド、マーク・レスター
『オリバー!』撮影時
マーク・レスターと
・『オリバー!』は米アカデミー賞で、その年最多の11部門でノミネートされ、作品、監督、美術・装置、音響、ミュージカル映画音楽の5部門で受賞。
リード監督は、『落ちた偶像』、『第三の男』に次ぐ3度目のノミネーションでの受賞だった。
(右の写真)オスカー像を手にするリード監督
『最後のインディアン』
(1970年)
アンソニー・クイン
『最後のインディアン』
撮影時
アンソニー・クイン
(左)、
シェリー・ウィンタース
と
・ミア・ファロー主演の恋愛コメディ『フォロー・ミー』
(1972年)
を監督。最後の作品となった。
『フォロー・ミー』(1972年)
マイケル・ジェイストン、ミア・ファロー
『フォロー・ミー』撮影時
ミア・ファローと
・
1976年
、
69歳
で他界。
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