20世紀・シネマ・パラダ
イス
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キング・コング
King Kong
監督:メリアン・C・クーパー、
アーネスト・B・シェードザック
(1933年/アメリカ)
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◆ 世界中を驚嘆させた特撮映画の古典的名作
映画監督のカール・
デンハムは新作を撮るために奔走していたが、彼の評判はあまりよろしくないので、ヒロイン役の女優さえ決まって
いなかった。 |
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カールは町へ繰り出し、不況のために撮影所をクビになったばかりの女優アン・ダ
ロウをスカウトした。 |
カールとアンは船でロケ地に向かった。目的地は地図にも載っていない東インド諸島の小島。
その小島には、島民に恐れられている‟コング”
という怪物がいるとの噂が…。 |
ついに目的地の島を発見した一行は、小型ボートで上陸した。 |
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ドクロ山の麓に巨大な壁が築かれており、島民たちが集まって何か
の儀式を執り行っていた。 |
カールは儀式の様子を盗撮し始めたが、見つかってしまった。島民たちが、コングへの貢物に
するため、金髪の女性(アン)を島の女6人と交換しろと要求してきたので、カールたちは一旦船へ引き返した。 |
その日の夜、アンは船員のジャック・ドリスコルから愛を告白された。 |
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アンが島民たちに連れ去られた。ドク
ロ山の麓の巨大な壁の扉が開かれ、アンはコングへの貢物台に縛り付けらた。 |
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キング・コングの
登場。 |
アンを救出するために上陸したジャックたちは、コングの後を追っ
てジャングルの奥深くへ入って行ったが、恐竜に襲われたり、コングによって谷底へ振り落されたりして、次々と命を落としていった。
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コングが恐竜と戦っている隙に、ジャックがアンを救出した。2人は崖から川へ落下したが、
何とか皆の所へ戻ることができた。
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コングがアンを追って来た。怒り狂ったコングは壁を壊し、村に入って暴れ回ったが、カール
が投げた爆弾で気絶し、生け捕りにされた…。
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…コングはニューヨークの劇場で、「世界第8の不思議」として見世物になった。カメラのフ
ラッシュを浴びて興奮したコングが鋼鉄の鎖を引き千切った。
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コングは町へ出ると、アンを捕まえ、大暴れ。そして、エンパイア・ステート・ビルに登って
いった…。
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◆ 主な出演者など
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ジャック役
… ブルース・
キャボット Bruce Cabot
アン役
… フェイ・レイ Fay Wray
カール役
… ロバート・アームストロング Robert
Armstrong
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・映画が公開されるや一大センセーションとなり、製作したRKO社には、コン
グについての問い合わせが殺到したという。ちなみに、コングの身長は7.6メートル(25フィート)という設定らしい。 |
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・映画のテーマは「美女と野獣」。冒頭、「野獣は、美女を見て抜け殻となった…」
という古代アラビアの諺なる言葉が表示されるが、これは製作者のメリアン・C・クーパーが考案した言葉。
密林の王者(野獣)が美女に骨を抜かれ、文明の象徴である世界一のビルで最期を遂げる、という話。 |
・映画のラスト、コングがエンパイア・ステート・ビルのてっぺんに登るシーンはあまりにも
有名。
特撮映画の古典的名作、記念碑的作品として映画史に刻まれている。製作総指揮者はデ
ビッド・O・セルズニック。 |
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・AFI (アメリカ映画協会)が1998年に選定した
「アメリカ映画100年ベスト100」で第43位にランクイン。
また、2005年に選定した「アメリカ映画名セリフ・ベスト100」では、「いや、飛行機じゃない。美女が野獣を射止めたんだ
」が、第84位にランクインした。 |
・製作・監督の1人であるメリアン・C・クーパーは、第
1次世界大戦中に戦闘機のパイロットとして活躍しており、映画のラストでコングを攻撃する飛行士の1人を演じてもいる。
後年、ジョン・フォード監督の騎兵隊3部作や、『静かなる男』(1952年)、『捜索者』(1956年)等の製作者と
して活躍。1952年にアカデミー賞名誉賞を受賞している。
(右の写真) メリアン・C・クーパー |
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・コングの実質的な産みの親と言えるのが、特撮
<ストップモーション・アニメ>の先駆者ウィリス・オブライエン。
まだサイレントの時代に『ロスト・ワールド』(1925年)で特殊効果を担当し、この分野
の第一人者となった。
『猿人ジョー・ヤング』(1949年)でアカデミー賞特殊効果賞を受賞。『キング・コン
グ』の時代には、この賞はまだ創設されていなかった。
(左の写真) オスカー像を手にするウィリス・オブライエン |
・1976年、『タワーリング・インフェルノ』(1974
年)のジョン・ギラーミン監督によるリメイク作品が公開され、こちらも大ヒット。ラストにコングが登ったのは、エンパイア・ス
テート・ビルではなく、世界貿易センタービルだった。
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1933年のコング
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1976年のコング
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◆ ピック・アップ … フェイ・レイ
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Fay Wray 1907-2004 (カナダ/アメリカ)
・カナダ出身。子供の頃にアメリカへ移住。16歳の時に短編映画『Gasoline Love 』(1923
年)で銀幕デビュー。
・奇才エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督の『結婚行進曲』(1928年)のヒロインに抜擢され、注目を集めた。 |
『結
婚行進曲』(1928年)
エーリッヒ・フォン・シュトロハイムと
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『或
る日曜日の午後』
(1933年)
ゲーリー・クーパーと
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・『キング・コング』
のヒロインは、コングの黒い毛皮とのコントラストで映えるとの理由で、金髪のジーン・ハーローやジンジャー・ロジャースが候補となったが実現せず、フェイ・レイがかつらを着けて熱演し
た。悲鳴をあげるシーンが評判となり、「叫び声の女王」との称号を得た。幸か不幸か、以後は絶叫する役柄のオファーが続いたという。
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・『キングコング』
以後、ヒット作に恵まれなかったが、1950年代以降はTVを中心に息長く活躍。ヘ
ンリー・フォンダ主演のTVドラマ 『Gideon's Trumpet 』(1980年)が
最後の出演作となった。ピーター・ジャクソン監督の『キング・コング』(2005年)に出演する予定だっ
たが、残念ながら撮影前に亡くなってしまった。
(左の写真)『肉の蝋人形』(1933年/監督:マイ
ケル・カーティス)
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・私生活では3度結婚しており、2度目の結婚相手は、フランク・キャプラ監督の作品で数多くの名作を書き、アカデミー賞も受賞した脚本家のロバー
ト・リスキン。彼が亡くなるまで連れ添っている。
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・2004年、96歳で他界。
彼女が亡くなった日、エンパイア・ステート・ビルは15分間消灯して、彼女を追悼した。
(右の写真) 晩年のフェイ・レイ。エンパイア・ステート・ビルにて。 |
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