20世紀・シネマ・パラダ
イス


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第三の男
The Third Man
監督:キャロル・リード
(1949年/イギリス)
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◆ 「イギリ
ス映画ベスト100」 で第1位に選出されたイギリス映画の金字塔
第2次世界大戦後、米英仏ソの4国が分割統治しているウィーン。
アメリカ人のしがない作家ホリー・マーチンスは、親友のハリー・ライムに仕事があると呼び出されてウィーンへやって来た。だが、アパートの管理人から、「ハ
リーは車に轢かれて死んだ 」 と知らされた。墓地へ行くと、ハリーの葬儀が執り行われていた。 |
マーチンスは葬儀で出会ったイギリス軍のMPキャ
ロウェイ少佐から、ハリーが悪辣な闇屋であったと知らされた。俄かには信じ難いことである。マーチンスはハリーの汚名を晴らす決意を固め
た。
マーチンスは、ハリーの友人であったというオーストリア人のクルツ男爵から呼び出された。ク
ル
ツが事故時の状況を説明した。「私とポペスクの2人でハリーの死体を運んだ…」。 |
マーチンスはハリーの恋人だった舞台女優ア
ンナ・シュミットを訪ねた。彼女の話によると、ハリーは自分の運転手に轢かれたと
の事である。どうも腑に落ちない。2人は事故を目撃していたアパートの管理人を訪ねた。管理人曰く、「死体を運んだのは三人だ。もう一人、第
三の男がいた…」。
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マーチンスはアンナをアパートまで送ったが、彼女の部屋はキャロウェイ少佐率いるMPが家
宅捜索をしていた。そして、アンナは偽造パスポートを所持していたため連行された。
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マーチンスはハリーの主治医だったビンケルを
訪ねたが、新たな情報を得ることは出来なかった。
マーチンスは釈放されたアンナと共にクルツを訪ね、そこでポペスクと会った。彼も、ハリーの
死
体を運んだのは自分とクルツの2人だけだと語った。
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アパートの管理人が詳細を話すというので、マーチンスはアンナと共にアパートへ向かった。
しかし、管理人は殺されており、マーチンスは犯人だと疑われてしまった。
その後、マーチンスがイギリス軍の民生局に依頼されていた講演をしていると、ポペスクが現れた。2人の手下を連れており、危険を察したしたマーチンスは
キャロウェイ少佐のもとへ逃げ込んだ。
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キャロウェイ少佐は、ハリーが密売した粗悪品のペニシリンによって多くの人が命を奪われた
ことを、証拠を示しながら話して聞かせた。帰国することに決めたマーチンスは、別れを告げにアンナを訪ね、彼女への想いを告白した。だが、アンナはハリー
への想い
を払拭出来ていなかった。
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アンナの部屋を後にしたマーチンスは、建物の影に男が隠れていることに気付いた。「隠
れていないで出てこい 」。
マーチンスが大声を出したため、近所の住民が部屋の灯を点け、隠れていた男の顔が照らし出された。ハリーだ。
驚いたマーチンスは駆け寄ったが、ハリーは逃げ去ってしまった。
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マーチンスから報告を受け、キャロウェイ少佐はハリーの墓を掘り返したが、埋葬されていた
の
別人だった。
アンナが偽造パスポートの件でソ連のMPに連行された。キャロウェイ少佐はアンナを自室に呼び、ハリーが生きていることを知らせ、彼の居場所を尋ねた
が、アンナにとっても寝耳に水の事だった。
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マーチンスはクルツを訪ね、観覧車の前でハリーを待つと伝えた。暫らくするとハリーが現れ
た。ハリーは悪びれた様子もなく、仲間に加わるようにマーチンスを誘った。
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マーチンスはアンナの釈放を見返りに、ハリー逮捕の捜査に協力することにした。だが、その
事
を知ったアンナは、新たに発行されたパスポートを破り捨て、マーチンスの前から立ち去った。
どうでもよくなったマーチンスは、捜査への協力も止め帰国する旨をキャロウェイ少佐に伝えたが、病院で密売ペニシリンの被害者である多くの子供たちを見
て、
捜査に協力することにした。
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おとりとなってカフェでハリーを待つマーチンス。カフェの周りには、イギリス軍MP、地元
オーストリアの警官が身を潜めて待機していた。クルツから情報を得たアンナがカフェに現れた。彼女がマーチンスを罵っていると、裏口からハリーが現れ
た…。
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『第三の男』 予告編動画
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◆ 主な出演者など
・製作はイギリス映画界の重鎮アレクサンダー・コルダと、ハリウッドの大製作者デビッド・O・セルズニック。
この2人が組んだ作品というだけで、当時の映画
ファンは期待で胸を膨らましたのではないだろうか。
(右の写真) 左から、グレアム・グリーン、デビッド・O・セルズニック、キャロル・リード
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・コルダからの依頼で、グレアム・グリーンがウィーンへ取材に行って書き上げたオリジナ
ル・シナリオ。監督 (共同製作者) はキャロ
ル・リード。元々、コルダの紹介で出会ったグリーンとリードは、グリーンの短編小説を映画化した 『落ちた偶像』
(1948年) を撮って成功を収めていたので、リード監督の起用は既定路線だったのだろう。
(左の
写真) キャロル・リード(左)とグレアム・グリーン
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・リード監督の意向でキャストされたオーソン・ウェルズが圧倒的な存在感を示した。有名な
台詞 「…スイスの500年の平和と民主主義は何をもたらした? 鳩時計だけだよ 」
はウエルズ自身が考案した。イギリスでは、ウエルズが
パーソナリティーのラジオ番組 「ハリー・ライムの生涯」 も製作 (1951年〜) された。
(右の写真) 撮影時のオーソン・ウェルズ(左)とキャロル・リード監督
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・モノクロ画面の光と影のコントラストを見事に映し出したカメラマンはロバート・クラス
カー。リード監督の出世作 『邪魔者は殺せ』 (1947年) でも素晴らしいカメラ・ワークを発揮し
ている。その他、『逢いびき』 (1945
年)、『夏の嵐』 (1954年)、『空中ブランコ』 (1956
年)、『コレクター』 (1965年) 等を撮影した。
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・グレアム・グリーンのオリジナル・シナリオでは、マーチンスとアンナが結ばれるハッ
ピー・エンドであったが、セ
ルズニックとリード監督が現存のストーリーに変更した。
映画史上屈指の名ラスト・シーン。
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・カンヌ国際映画祭のグランプリ、英アカデミー賞の英国作品賞を受賞。米アカデミー賞で
は、監督、撮影、編集の3部門でノミネートされ、撮影賞 (白黒部門) を受賞した。
(左の写真) 撮影時のジョゼフ・コットン(左) とキャロル・リード監督
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・キネマ旬報が1999年に実施した
「映画人が選ぶオールタイムベスト100・外国映画編」 で第1位。同年、イギリス映画協会が選定した 「イギリス映画ベスト100」 でも第1位に。
(右の写真) 撮影時のオーソン・ウェルズ(左) とキャロル・リード監督
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