20世紀・シネマ・パラダイス

hearttbar
Alida_Valli

アリダ・ヴァリ

Alida Valli

 1921-2006 (イタリア)


heartbar


   代表作

The_Paradine_Case-2
The_Third_Man-3
パラダイン夫人の恋
The Paradine Case

(1947年/アメリカ)
第三の男
The Third Man

(1949年/イギリス)
/Senso-2
Il_grido-2
夏の嵐
Senso
(1954年/イタリア)
さすらい
Il grido
(1957年/イタリア)
Une_aussi_longue_absence
Strategia_del_ragno-2
かくも長き不在
Une aussi longue absence
(1961年/仏・伊)
暗殺のオペラ
Strategia del ragno
(1970年/イタリア)


    スキャンダルを乗り越え、息長く活躍したイタリアの名女優

 ・1921年、イタリアのポーラ(現クロアチア領)生れ。ローマの映画学校で演技を学び、『Il cappello a trepunte(1935年)で銀幕デビュー。『Piccolo mondo antico(1941年)の演技でヴェネツィア国際映画祭の特別賞を受賞するなど女優としての地位を確立したが、戦時中はファシスト政権のプロパガンダ映画への出演を拒否して逮捕されそうになったり、パイロットだった恋人が戦死するなどの憂き目に遭った。

 ・ハリウッドの大物プロデューサー、デビッド・O・セルズニックに招かれて渡米。『パラダイン夫人の恋』(1947年/監督:アルフレッド・ヒッチコックでハリウッド・デビューした。
The_Paradine_Case-3
The_Miracle_of_the_Bells
『パラダイン夫人の恋』(1947年)
グレゴリー・ペック
『奇蹟の鐘』(1948年)
フレッド・マクマレー(左)、フランク・シナトラ

 ・イギリスで、セルズニックが共同製作者の1人である『第三の男』(1949年/監督:キャロル・リードに出演。世界中で大ヒットして国際的な人気スターとなったが、当時のセルズニックはハリウッドでは干されたも同然の状況だったため、その後、『白銀の嶺』 、『Walk Softly, Stranger(1950年)の2作品に出演しただけで契約を終了した。
 (右の写真)『第三の男』 ジョゼフ・コットン
The_Third_Man-4

The_White_Tower
Walk_Softly,_Stranger
『白銀の嶺』(1950年)
グレン・フォード(右)と

Walk Softly, Stranger(1950年)
ジョゼフ・コットン


Les_Miracles_n'ont_lieu_qu'une_fois
 ・イタリアに戻り、全5話のオムニバス『われら女性』(1953年)、歴史大作『夏の嵐』(1954年/監督:ルキノ・ヴィスコンティ等に出演したが、一大スキャンダル、ウィルマ・モンテシ事件に巻き込まれ、2年近く女優としての活動が出来なくなってしまった。
 (左の写真)『奇蹟は一度しか起こらない』(1951年/伊・仏) ジャン・マレーと

Siamo_Donne
/Senso-3
『われら女性』第2話(1953年)
『夏の嵐』(1954年)
ファーリー・グレンジャーと


 ・1956年に舞台で活動を再開し、翌年、『さすらい』(1957年/監督:ミケランジェロ・アントニオーニで3年ぶりに銀幕復帰した。
 (右の写真)『さすらい』スティーヴ・コクランと
Il_grido

Les_Yeux_sans_visage
Une_aussi_longue_absence-2
『顔のない眼』(1960年/仏・伊)
エディット・スコブ(左)と
『かくも長き不在』
(1960年/仏・伊/監督:アンリ・コルピ)
Edipo_re Strategia_del_ragno
『アポロンの地獄』
(1967年/監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ)
『暗殺のオペラ』(1970年/監督:ベルナルド・ベルトルッチ)
ジュリオ・ブロージと

Suspiria  ・1997年、ヴェネツィア国際映画祭の栄誉金獅子賞を受賞。イタリアの女優では、クラウディア・カルディナーレモニカ・ヴィッティに次ぐ栄誉だった。
 (左の写真)『サスペリア』(1977年)

 
2006年84歳で他界。


Alida_Valli-2
Alida_Valli-3


HOME