20世紀・シネマ・パラダイス
伝説の映画製作者たち
◆
アレクサンダー・コルダ
ロンドン・フィルム社を設立したイギリス映画界の重鎮
アレクサンダー・コルダ
(1893-1956年)
・ハンガリーにて、ユダヤ人の両親のもとに生まれた。ジャーナリストとなり、映画評論や映画誌の編集などをしていたが、1914年に映画監督としてデビューした。
・1919年、ハンガリー革命が起きるなど政情不安定な状況で反ユダヤ主義が蔓延し、国外へ脱出した。
・ウィーン、ベルリン、そして、ハリウッドで映画を撮ったが、ハリウッドのスタジオ・システムに馴染めなかった。
(右の写真)左から、ロバート・フェアバンクス(
ダグラス
の兄)、
サミュエル・ゴールドウィン
、
メアリー・ピックフォード
、
チャールズ・チャップリン
、アレクサンダー・コルダ
・1932年、イギリスでロンドン・フィルム社を設立。
チャールズ・ロートン
主演の『ヘンリー八世の私生活』
(1933年)
、『レンブラント 描かれた人生』
(1936年)
等を自ら製作・監督した。
(左の写真)『レンブラント 描かれた人生』撮影時。左から、コルダ、チャールズ・ロートン、ガートルード・ローレンス
・海外の実力者を積極的に招いた。フランスの
ルネ・クレール
監督には『幽霊西へ行く』
(1935年/主演:
ロバート・ドーナット
)
を、
ジャック・フェデー
監督には『鎧なき騎士』
(1937年/主演:
マレーネ・ディートリッヒ
)
を監督させ、ドイツの製作者
エリッヒ・ポマー
には『無敵艦隊』
(1937年/主演:
ローレンス・オリビエ
、
ヴィヴィアン・リー
)
を製作させた。
『鎧なき騎士』(1937年)撮影時
マレーネ・ディートリッヒと
『無敵艦隊』(1937年)撮影時
ヴィヴィアン・リーと
・第2次世界大戦中はアメリカへ逃れ、同地でイギリス映画『美女ありき』
(1941年/主演:ヴィヴィアン・リー、ローレンス・オリビエ)
を製作・監督するなどした。
・戦後、イギリスへ戻り、
ジュリアン・デュヴィヴィエ
監督の『アンナ・カレニナ』
(1948年/主演:ヴィヴィアン・リー)
、
キャロル・リード
監督の『落ちた偶像』
(1948年/主演:
ラルフ・リチャードソン
)
、
『第三の男』
(1949年/主演:
オーソン・ウェルズ
)
、ローレンス・オリビエ監督の『リチャード三世』
(1955年)
等を製作した。
(右の写真 『アンナ・カレニナ』撮影時。ヴィヴィアン・リーと
*
『第三の男』はキャロル・リード、
デビッド・O・セルズニック
との共同製作。『リチャード三世』はローレンス・オリビエとの共同製作。
・1942年に叙勲され、映画人としては初めて‟
サー
”の称号を得た。
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