20世紀・シネマ・パラダイス
伝説の映画製作者たち
◆ エリッヒ・ポマー 戦前のドイツ映画黄金時代の立役者
| エリッヒ・ポマー (1889-1966年)
・1907年、フランスのゴーモン社のベルリン支店に入社し、その後、ウィーン支店に異動。一旦兵役に就いた後、1913年にフランスのエクレア社に入社。
・1915年、ベルリンでデクラ社を設立。『カリガリ博士』(1920年/監督:ロベルト・ヴィーネ)、『死滅の谷』(1921年/監督:フリッツ・ラング)、『ドクトル・マブゼ』(1922年/監督:フリッツ・ラング)等を製作した。
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デクラ社のロゴ
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ウーファ社のロゴ
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・ウーファ社で、『ニーベルゲン』(1924年/監督:フリッツ・ラング)、『最後の人』(1924年/監督:F・W・ムルナウ)、『ヴァリエテ』 1925年/監督:E・A・デュボン)、『ファウスト』(1926年/監督:F・W・ムルナウ)といった名作を製作。ドイツ映画史上空前の巨費を投じた『メトロポリス』(1927年/監督:フリッツ・ラング)が赤字となり、ウーファ社を退社。
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・1927年、渡米し、ポーラ・ネグリ主演の『帝国ホテル』、『鉄条網』(1927年)等を製作。
・1928年、ウーファ社に復帰。ドイツ初のトーキー『嘆きの天使』(1930年)、『会議は踊る』(1931年)等を製作。
(右の写真)フリッツ・ラング監督(右)と
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・1939年、第2次世界大戦が勃発。メイフラワー社作品の配給交渉で渡米していたポマーは、そのままアメリカに留まり、1944年にアメリカの市民権を取得した。 |
・RKO社で、『恋に踊る』(1940年/主演:モーリン・オハラ)、『They Knew What They Wanted 』(1940年/主演:キャロル・ロンバード)の2作品を製作。
・戦後、ヒトラー政権下で壊滅的な打撃を受けたドイツ映画産業の再建に尽力し、数本の映画を製作。晩年はアメリカで暮らした。
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