20世紀・シネマ・パラダイス

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Charles_Laughton

チャールズ・ロートン

Charles Laughton

 
1899-1962 (イギリス/アメリカ)


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     代表作
 
The_Private_Life_of_Hemry
 ヘンリー八世の私生活
 The Private Life of
  Henry [.

 (1933年/イギリス)
Mutiny_on_the_Bounty
 戦艦バウンティ号の叛乱
 (南海征服)
 Mutiny on the Bounty
  (1935年/アメリカ)
The_Hunchback_of_Notre_Dame
 ノートルダムの傴僂男
  The Hunchback of Notre
  Dame
  (1939年/アメリカ)
Witness for the Prosecution
  情婦
 Witness for the Prosecution
 (1957年/アメリカ)

    英米で活躍したイギリスを代表する名優の1人

 ・1899年、イギリスのスカーボロ生れ。王立演劇アカデミーで演技を学び、1926年にロンドンで舞台デビュー。
 H・G・ウェルズの小説をもとにした短編コメディの3部作 『Blue Bottles 』、『The Tonic 』、『Daydreams(1928年)で銀幕デビュー。翌29年、同3部作の主演女優エルザ・ランチェスターと結婚。エルザとは 『ヘンリー八世の私生活』、『大時計』、『情婦』 等でも共演。ロートンが亡くなるまで連れ添った。
  (右の写真) エルザ・ランチェスターと
Elsa_Lanchester

Devil_and_the_Deep  ・夫婦で渡米し、舞台 「Peyment Deferred (1931年) でブロードウェイ・デビュー。『魔の家』 (1932年) でハリウッド・デビューをした後、『悪魔と深海』、『暴君ネロ』 (監督:セシル・B・デミル、H・G・ウェルズの小説 「モロー博士の島」 の最初の映画化作品 『獣人島』 (1932年) 等に出演した。
  (左の写真) 『悪魔と深海』 ゲーリー・クーパー(右)と

 ・イギリスに戻って出演した 『ヘンリー八世の私生活』 (1933年/監督:アレクサンダー・コルダ で、アカデミー賞主演男優賞を受賞。外国人の受賞はエミール・ヤニングスジョージ・アーリスに次いで3人目であるが、外国映画での同賞受賞は史上初であった。
The_Private_Life_of_Henry_VIII.-2
Laughton_Oscar
『ヘンリー八世の私生活』
『白い蘭』 (1934年) 撮影時。オスカー像を手にするチャールズ・ロートン、ノーマ・シアラーフレドリック・マーチ

 ・『戦艦バウンティ号の叛乱(南海征服)』 (1935年) の演技で、再びアカデミー賞主演男優賞にノミネート。受賞は逃したが、同作と 『人生は四十二から』 (監督:レオ・マッケリー の2作の演技で、第1回ニューヨーク映画批評家協会賞の主演男優賞を受賞した。
  (右の写真) 『戦艦バウンティ号の叛乱(南海征服)』 クラーク・ゲーブル(右)と
Mutiny_on_the_Bounty-2

St._Martin's_Lane  ・1937年、ドイツの映画製作者エリッヒ・ポマーとメイフラワー社を設立。
 同社の2作目は 『セント・マーティンの小径』 (1938年)ヴィヴィアン・リー『風と共に去りぬ』 (1939年) に出演する前に撮った作品。
  (左の写真) 『セント・マーティンの小径』 ヴィヴィアン・リーと
 
 ・メイフラワー社での3作目 『巌窟の野獣』 (1939年) では、ヒロイン役に無名の新人モーリン・オハラを起用。
 監督のアルフレッド・ヒッチコックは、ロートンとは馬が合わなかったようで、自身の作品の中で最悪なものの1つとしている。
  (右の写真) 『巌窟の野獣』 モーリン・オハラと
Jamaica_Inn

The_Hunchback_of_Notre_Dame-2  ・再びハリウッドに招かれ、『ノートルダムの傴僂男』 (1939年) に出演。奇怪なメイクを施し、作品は大ヒットした。
 同作の撮影後、第二次世界大戦が勃発。イギリスでの映画製作が困難となり、メイフラワー社は解散を余儀なくされた。
  (左の写真) 『ノートルダムの傴僂男』
 ・『ノートルダムの傴僂男』 のヒロイン役でハリウッド・デビューしたモーリン・オハラは、メイフラワー社の解散に伴いRKO社と契約した。
 オハラはアカデミー賞名誉賞を受賞 (2014年) した際のスピーチにおいて、映画女優として世に出る機会を与えてくれたロートンの名前を挙げて、感謝の言葉を捧げた。
  (右の写真) モーリン・オハラと
Maureen_O'Hara

 ・その後もハリウッドで、オールスター・キャストのオムニバス映画 『運命の饗宴』 (1942年/監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ、モーリン・オハラとの最後の共演作となった 『自由への闘い』 (1943年/監督:ジャン・ルノワール、『パラダイン夫人の恋』 (1947年/監督:アルフレッド・ヒッチコック)、『凱旋門』 (1948年/監督:ルイス・マイルストーン、サスペンス映画 『大時計』 (1948年) 等に出演。
Tales_of_Manhattan-2
 1950年にはアメリカの市民権を取得した。
  (左の写真) グローマンズ・シアターで手形を押す 『運命の饗宴』 出演者たち。
   手前左から、ヘンリー・フォンダシャルル・ボワイエリタ・ヘイワース
   チャールズ・ロートン、エドワード・G・ロビンソン

 ・演技だけでなく、演出でもその力量を発揮。まずはブロードウェイで次の3作品を演出した。
 バーナード・ショーの戯曲 「Don Juan in Hell(1951〜52年)
 
自ら主役の1人を演じただけでなく、舞台監督を務め、シャルル・ボワイエにトニー賞の特別賞をもたらした。
  (右の写真) 「Don Juan in Hell 」。右から時計回りに、チャールズ・ロートン、
   アグネス・ムーアヘッド、セドリック・ハードウィック、シャルル・ボワイエ。

Don_Juan_in_Hell
 「John Brown's Body(1953年)。舞台監督に専念した作品。主演はジュディス・アンダーソン、レイモンド・マッセイ、タイロン・パワー
The_Caine_Mutiny_Court-Martial
 同じく舞台監督に専念した「The Caine Mufiny Court-Mattial (1954年)。
 ケイン号の叛乱を題材とした作品で、主役はヘンリー・フォンダ。
  (左の写真) 手前の着席者。左からチャールズ・ロートン、アン・バクスター、
  ヘンリー・フォンダ(右端)。
  後列。左から、ロイド・ノーラン、タイロン・パワー、レイモンド・マッセイ

 ・『狩人の夜』 (1955年) で映画監督デビュー。
 現在ではフィルム・ノワールの名作としてカルト的 な人気を誇る作品であるが、公開当時は興行的に失敗作となり、ロートンにとって最初で最後の監督作品となった。
  (右の写真) 『狩人の夜』 撮影時。ロバート・ミッチャム(左)と
The_Night_of_the_Hunter

Witness_for_the_Prosecution-2
 ・『情婦』 (1957年/監督:ビリー・ワイルダー で、自身3度目のアカデミー賞主演男優賞候補となり、妻のエルザ・ランチェスターも助演女優賞にノミネートされた。夫婦の最後の共演作。
 この年のオスカー受賞者は、ロートンが辞退した役を演じた 『戦場にかける橋』アレック・ギネスだった。
  (左の写真) 『情婦』 撮影時。エルザ・ランチェスターと

Spartacus
Advise_&_Consent
『スパルタカス』 (1960年/監督:スタンリー・キューブリック)
ピーター・ユスティノフ(左)と

『野望の系列』 (1962年/監督:オットー・プレミンジャー
ドン・マレー(左)と


 ・『情婦』 でのロートンの演技に感服していたビリー・ワイルダー監督は、『あなただけ今晩は』 (1963年) のビストロ「口ひげ」 のオーナー役をオファーし、ロートンも乗り気であったが、『野望の系列』 が遺作となった。

 ・1962年63歳で他界。

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