20世紀・シネマ・パラダ イス

Megaphonebar
David Lean

デヴィッ ド・リーン

David Lean

  1908-1991 (イギリス)

Megaphonrbar


  ◆ 代表作

Brief_Encounter
Great_Expectations-3
逢 びき
Brief Encounter
(1945年/イギリス)
大いなる遺産
Great Expectations
(1946年/イギリス)
/Summertime
The_Bridge_on_the_River_Kwai
旅情
Summertime
(1955年/英・米)
戦場にかける橋
The Bridge on the River Kwai
(1957年/英・米)
Lawrence_of_Arabia
Doctor_Zhivago
アラビアのロレンス
Lawrence of Arabia
(1962年/イギリス)
ドクトル・ジバゴ
Doctor Zhivago
(1965年/米・伊)
Ryan's_Daughter
A_Passage_to_India-3
ライアンの娘
Ryan's Daughter
(1970年/イギリス)
インドへの道
A Passage to India
(1984年/英・米)


    イギリス映画界を代表する巨匠

 ・1908年、サリー州生れ。高校卒業後、公認会計士だった父親の会計事務 所で働き始めたが性に合わず、20歳の時にゴーモン・ブリティッシュ社に入社。監督助手などを経て、1930年から12年間、編集者として働いた。主な作 品には、ローレンス・オリビエ主演の『お気に召すまま』(1936年)レスリー・ハワード主演の 『ピグマリオン』(1938年)等がある。

 ・ノエル・カワードがイギリス情報省からの要請で製作、脚本、監督、主演した戦意高揚映画 『軍旗の下に』(1942年)の戦闘シーンを監督。カワードとの共同監督として映画監督デビューを果たした。
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In_Which_We_Serve
『軍旗の下に』(1942年)
ノエル・カワード
『軍旗の下に』撮影時
ノエル・カワード(右)と

Noel_Coward ノエル・ カワード (1899-1973年)
 
俳優、作家、演出家として、主に第2次世界大戦前に活躍。
 『軍旗の下に』で、米アカデミー賞の特別賞を受賞。
 1970年に叙勲され、サーの称号を得た。

 ・リーン監督は、『軍旗の下に』 の製作補アンソニー・ハヴロック=アラン、撮影監督ロナルド・ニームと共同で、映画製作会社「シネギルド・プロダクション」を設立。

Anthony_Havelock-Allan アンソニー・ハヴロッ ク=アラン (1904-2003年)
 映画製作者。主な作品には、『ロミオとジュリエット』(1968年)、『ライアンの娘』(1970年)等がある。
 1975年に
叙勲され、サーの称号を得た。

Ronald_Neame ロナル ド・ニーム (1911-2010年)
 撮影監督として活躍後、映画監督に転身。映画監督としての代表作には、『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)等がある。

 ・『幸福なる種族』(1944年)、『陽 気な幽霊』(1945年)、『逢び き』(1945年) と、3作続けてノエル・カワードの戯曲を映画化。3作とも、リーン、ハヴロック=アラン、ニームの3人で脚色した。
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『幸福なる種族』(1944年)
ロバート・ニュートン、セリア・ジョンソン
『幸福なる種族』撮影時
ロバート・ニュートン(右)と

 ・『陽気な幽霊』(1945年)は、米アカデミー賞の特殊効果賞を受賞した。
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『陽気な幽霊』(1945年)
 レックス・ハリソン、コンスタンス・カミングス
1940年代中頃のリーン監督

 ・『逢びき』(1945年)は、カンヌ国際映画祭で大賞(パルムドール)を受賞。米アカデミー賞の監督賞、脚色賞、主演女優賞(セ リア・ジョンソン)の3部門でノミネートもされ、リーン監督は一流監督としての地位を確立した。
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『逢びき』(1945年)
トレヴァー・ハワード、セリア・ジョンソン
『逢びき』撮影時
セリア・ジョンソン、トレヴァー・ハワード(右)と

 ・『大いなる遺 産』(1946年)、『オリヴァ・ツイスト』(1948年)と、イギリスの国民的作家チャールズ・ディケンズの小説を2作続けて映画化。『大いなる遺産』は、米アカデミー賞の作品賞、監督賞、脚色賞など5部門でノミネートされ、撮影賞(白 黒部門)、美術賞(白黒部門)の2部門で受賞した。
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『大いなる遺 産』(1946年)
ヴァレリー・ホブソン、ジョン・ミルズ
『大いなる遺産』 撮影時
ジョン・ミルズ(右)と

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Oliver_Twist
『オリヴァ・ツィスト』(1948年)
アレック・ギネス
ジョン・ハワード・デイヴィス
『オリヴァ・ツイスト』 撮影時
ジョン・ハワード・デイヴィスと

 ・H・G・ウェルズの小説を映画化した『情熱の友』(1949年)を監督。
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『情熱の友』(1949年)
クロード・レインズ、アン・トッド
『情熱の友』撮影時
トレヴァー・ハワード(中央)、アン・トッドと

 ・19世紀のスコットランドで、恋人を砒素で毒殺したとされる実在のブルジョワ娘マデリーン・スミスを描いた 『マデリーン 愛の旅路』(1950年)を監督。本作を最後に「シネギルド・プロダクション」での活動に終止符を打った。
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『マデリーン 愛の旅路』(1950年)
イヴァン・デニ、アン・トッド
『マデリーン 愛の旅路』撮影時
アン・トッドと

 ・ロンドン・フィルム社で、『超音ジェット機』(1952年)を製作・監督。米アカデミー賞の録音賞、英アカデミー賞の作品賞、主演男優賞(ラルフ・リチャードソンを受賞した。
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『超音ジェット機』(1952年)
アン・トッド、ナイジェル・パトリック
『超音ジェット機』撮影時
カメラを覗いているリーン監督

 ・『情熱の友』、 『マデリーン 愛の旅路』、『超音ジェット機』の3作品でヒロインを務めたアン・トッドは、リーン監督の当時の妻。リーン監督は生涯で6度結婚したが、アン・トッドは3番目の妻だった。

 ・コメディの秀作『ホブスンの婿選び』(1954年)を製作・監督。第4回ベルリン国際映画祭で、黒澤明監督の『生きる』等を押しのけ、金熊賞を受賞。英アカデミー賞の英国作品賞も受賞した。
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Hobson's_Choice
『ホブスンの婿選び』(1954年)
左から、チャールズ・ロートン、ブレンダ・デ・バンジー、
ジョン・ミルズ
『ホブスンの婿選び』撮影時
チャー ルズ・ロートン(左)、ジョン・ミルズ(右)と

 ・ブロードウェイのヒット作「かっこう鳥の頃」を映画化した『旅情』(1955年)は、リーン監督本人のお気に入りの作品。米アカデミー賞の監督賞、主演女優賞 (キャ サリン・ヘップバーンの2部門でノミネート。受賞は逃したが、ニューヨーク映画批評家協会賞の監督賞を受賞した。
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『旅情』(1955年)
キャサリン・ヘップバーン、ロッサノ・ブラッツィ

『旅情』撮影時
キャサリン・ヘップバーンと

 ・独立系の名プロデューサー、サム・スピーゲル製作の大作『戦場にかける橋』(1957年)では、日・英・米の軍人気質の違い、戦争の狂気を見事に描いた。その年の全米で最大のヒット作、インフレ調整後の興行成績では歴代第80位(2015年現在)となる大ヒット作品となった。
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『戦場にかける橋』(1957年)
左から、アレック・ギネス、ウィリアム・ホールデン
ジャック・ホーキンス

『戦場にかける橋』撮影時
早川 雪洲(右)と

 ・米アカデミー賞では8部門でノミネートされ、作品賞、監督賞、主演男優賞(アレック・ギネス)、脚色賞、撮影賞、作曲賞、編集賞の7部門で受賞。
 唯一、助演男優賞の候補だった早川雪洲が受賞を逃したのが残念。
 (左の写真)オスカー像を手にするリーン監督。
 プレゼンターのソフィア・ローレンと
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 ・サム・スピーゲルと再び組んだ『アラビアのロレンス』(1962年)では、砂漠の英雄と謳われたT・E・ロレンスの栄光と苦 悩、挫折を壮大なスケールで見事に描き、映画史上に燦然と輝く名作に仕立て上げた。興行面でも『戦場にかける橋』を上回る大ヒットとなり、インフレ調整後の興行成績では歴代第72位 (2015年現在)。
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『アラビアのロレンス』(1962年)
ピーター・オトゥール

『アラビアのロレンス』撮影時
ピーター・オトゥール(中央)、オマー・シャリフ(右)と

Sam_Spiegel  ・米アカデミー賞では10部門でノミネートされ、作品賞、監督賞、撮影賞(カラー部門)、美術賞(カラー部門)、音響賞、編集賞、作曲賞の 7部門で受賞した。
 (左の写真)製作者のサム・スピーゲル(左)と


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 アカデミー賞監督賞の受賞シーン。プレゼンターはジョーン・クロフォード



 ・ジョージ・スティーヴン ス監督の『偉大な生涯の物語』(1965年)の数シーンを監督。

 ・ロシアの作家ボリス・パステルナークの小説を映画化した『ドクトル・ジバゴ』(1965年)は、前2作程の高評価を得ることは出来なかったが、インフレ調整後の興行成績では歴代第8位(2015年現在)となる記録的な大ヒットとなった。
 米アカデミー賞では、作品賞、監督賞など10部門でノミネートされ、脚色賞、撮影賞、美術賞、作曲賞、衣装デザイン賞の5部門で受賞した。
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『ドクトル・ジバゴ』(1965年)
ジュリー・クリスティー、オマー・シャリフ
『ドクトル・ジバゴ』撮影時
オマー・シャリフ(左)と

 ・『ライアンの娘』(1970年)は、『アラビアのロレンス』、『ドクトル・ジバゴ』 の脚本家ロバート・ボルトが書き下ろしたオリジナル・ストーリーで、かつての「シネギルド・プロダクション」の朋友アンソニー・ハヴロック=アランが製作した。ちなみに、ヒロインを演じたサラ・マイルズはロバート・ボルトの妻。
 アカデミー賞では、主演女優賞(サラ・マイルズ)など4部門でノミネートされ、助演男優賞 (ジョン・ミルズ)、撮影賞の2部門で受賞した。
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『ライアンの娘』(1970年)
ロバート・ミッチャム、サラ・マイルズ
『ライアンの娘』撮影時
ロバート・ミッチャム(左)、サラ・マイルズと

 ・『ライアンの娘』 は、期待していた程には興行成績が上がらず、また、当時のアメリカで最も影響力のあった「ザ・ニューヨーカー」誌の映画批評家ポーリン・ケイルなどから酷評され、リーン監督は新作を撮る気を失くしたと言われている。
 
 ・1973年、CBE勲章を授けられる。

 ・1970年代後半、リーン監督と脚本家のロバート・ボルトは、何度か映画化されている戦艦バウンティ号の反乱を題材とした新作に着手したが、1979年にボルトが 脳卒中で倒れこともあり、製作を断念した。
  * ボルトの脚本は、メル・ギブソン主演『バウンティ / 愛と反乱の航海』(1984年/監督:ロジャー・ドナルドソン)として映画化された。

 ・E・M・フォースターの小説を自ら脚色した『インドへの道』(1984年)を監督。『ライアンの娘』から実に14年ぶりの作品。米アカデミー賞では作品賞、監督賞など11部門でノミネートされ、助演女優賞(ペギー・アシュクロフト)、作曲賞の2部門で受賞。ニューヨーク映画批評家協会賞では作品賞と監督賞を受賞。御 年76歳の巨匠デヴィッド・リーン健在なり、を示した。
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『インドへの道』(1984年)
ジュディ・デイヴィス、ヴィクター・バナルジー
『インドへの道』撮影時
アレック・ギネス(左)と

 ・1984年、KBE勲章を授けられ、サーの称号を得る。

 ・AFI(アメリカ映画協会)の生涯功労賞を受賞。イギリス人ではアルフレッ ド・ヒッチコック監督に次いで2人目。

Steven_Spielberg
 ・リーン監督を師と仰ぐスティーブン・スピルバーグの製作で、『太陽の帝国』(1987年)を監督する構想もあったが、同作はスピルバーグが監督した。リーン監督はその後、ジョセフ・コンラッドの小説「ノストローモ」 の映画化に着手。マーロン・ブランド、ピーター・オトゥール、クリストファー・ランバードなどがキャストされたが、リーン監督が病に倒れてしまった。
 (左の写真)スティーブン・スピルバーグ(右)と

 ・1991年83歳で他界。

 ・1999年、英国映画協会が発表した「20世紀の英国映画ベスト100」に、以下の7作品がランク入り。
 『逢びき』(第2位)、『アラビアのロレンス』(第3位)、『大いなる遺産』(第5位)、『戦場にかける橋』(第11位)、『ドクトル・ジバゴ』(第27位)、『オリヴァ・ツイスト』(第46位)、『軍旗の下に』(第92位)。
 正にイギリス映画界を代表する巨匠だった。
 (右の写真) 『アラビアのロレンス』で、自身2個目のオスカー像を手にするリーン監督
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