20世紀・シネマ・パラダ イス

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Robert_Mitchum

ロバート・ミッチャム

Robert Mitchum

 
1917-1997 (アメリカ)

 

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     代表作
 
The_Story_of_G._I._Joe
 G.I.ジョー
 The Story of G.I. Joe
 (1945年/アメリカ)
Out_of_the_Past-2
 過去を逃れて
 Out of the Past
   (1947年/アメリカ)
River_of_No_Return-2
 帰らざる河
 River of No Return
 (1954年/アメリカ)
The_Night_of_the_Hunter-2  狩人の夜
  The Night of the Hunter
 (1955年/アメリカ)
The_Enemy_Below-2  眼下の敵
 The Enemy Below
 (1957年/アメリカ)
Cape_Fear-2
  恐怖の岬
 Capr Fear
 (1962年/アメリカ)
Ryan's_Daughter-2
 ライアンの娘
 Ryan's Daughter
 (1970年/イギリス)
Farewell,_My_Lovely-2
 さらば愛しき女よ
 Farewell, My Lovely
 (1975年/アメリカ)

     スリーピング・アイのタフガイ

 ・1917年、コネチカット州生れ。1歳の時に、鉄道員だった父親が列車事故で他界。母親は身籠っており、半年後に次男を出産。その後、母親が再婚し、一家はデラウェア州に引っ越した。
 * 弟のジョン・ミッチャムも俳優となり、『ダーティハリー』 (1971年) 等に出演。兄が主演の 『エル・ドラド』 (1966年) にも端役で出演した。

 ・13歳の時に、3歳年上の姉と一緒にニューヨークへ。1年後、学校を退学処分とされると、家を飛び出し、肉体労働に従事しながら各地を放浪。ヘビー級のプロ・ボクサーとなり、27試合に出場もした。19歳の時に、女優を目指してカリフォルニア 州に引っ越していた姉と、再び一緒に暮らすようになった。
 * 姉のジュリー・ミッチャムも、脇役ながらもジョン・ウェイン主演 『紅の翼』 (1954年) 等に出演した。 

Dorothy_Spence  ・1940年、ドロシー・スペンスと結婚。
 長男ジェームズ(41年生)、次男クリストファー(43年生)、長女ペトリン(54年生)を授かった。
 ドロシーとは、彼が亡くなるまで連れ添い、3人の子供たちも俳優となった (長女はトリナ・ミッチャムの芸名で活動)
  (左の写真) 妻のドロシーと。1949年頃

 ・飛行機工場の機械オペレーターとして働きながら、劇団の女優で、夜はナイト・クラブのステージに立つ姉の仕事を手伝っていたが、工場の仕事のストレスから視力が低下するようになり、映画俳優に転身。
 1943年、ウィリアム・ボイド主演の 『Hoppy Serves a Writ 』 で銀幕デビュー。当初はボブ・ミッチャムの芸名で活動していた。
  (右の写真) デビュー作 『Hoppy Serves a Writ 』  ウィリアム・ボイド(左)と
Hoppy_Serves_a_Writ

The_Story_of_G._I._Joe-2
 ・大部屋俳優として、エキストラも含め、20数本に出演していたが、『東京上空三十秒』 (1944年/監督:マーヴィン・ルロイでの演技がきっかけで、RKO社と契約。ユナイテッド・アーチスツ社に貸し出されて出演した 『G.I.ジョー』 (1945年/監督:ウィリアム・A・ウェルマンの演技で、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、映画俳優としての地位を確立した。
  (左の写真) 『G.I.ジョー』。主演のバージェス・メレディス(右)と

 ・1945年4月に徴兵されたが、終戦し、同年10月に復員。陸軍の医療機関で、性病患者のペニスをチェックする任務に従事していた。

 ・戦後、ユダヤ人差別を題材にした 『十字砲火』、悪女に翻弄される元私立探偵を演じた 『過去を逃れて』 (1947年) といったフィルム・ノワールの傑作に出演。
 ‟スリーピング・アイ” (眠たげな目) のタフガイとして人気スターとなったが、1948年、マリファナ所持により、逮捕・投獄された。(詳細はこちら
 (右の写真) 『過去を逃れて』 ジェーン・グリアと
Out_of_the_Past
 * 『過去を逃れて』 … テイラー・ハックフォード監督 『カリブの熱い夜』 (1984年) としてリメイクされた。
 
 ・本人は、俳優としてのキャリアは台無しになったと思ったそうだが、逮捕後に公開された 『荒原の女』(1948年) が大ヒット。撮影は済んでおり、ミッチャム逮捕の報を受け、RKO社は急ピッチで編集し、予定よりも早く公開された。
The_Big_Steal
 ミッチャムは、当時のRKO社のオーナー、ハワード・ヒューズのお気に入りの俳優で、出所後、直ぐに撮影に臨めるようお膳立てされていたという。
 『仮面の報酬』 (1949年/監督:ドン・シーゲル) の主役も、既に決まっていたジョージ・ラフトからミッチャムに交代。‟バッド・ボーイ” のイメージを逆手に取って、人気スターとしての地位を確固たるものとした。
 (左の写真) 『仮面の報酬』 ジェーン・グリアと


River_of_No_Return
Not_as_a_Stranger
『帰らざる河』 (1954年/監督:オットー・プレミンジャー
マリリン・モンロー

『見知らぬ人でなく』 (1955年/監督:スタンリー・クレイマー
オリヴィア・デ・ハヴィランド


 ・『G.I.ジョー』 (1945年) 以後、アカデミー賞にノミネートされることはなかったが、伝道師になりすました凶悪殺人鬼に扮した 『狩人の夜』 (1955年/監督:チャールズ・ロートンでの演技などは、高く評価されている。
 (右の写真) 『狩人の夜』
The_Night_of_the_Hunter

Heaven_Knows,_Mr._Allison
The_Enemy_Below
『白い砂』(1957年/監督:ジョン・ヒューストン) デボラ・カー
『眼下の敵』 (1957年)

 ・中年となってからは、‟バッド・ボーイ” 特有の風格や渋さも備え、息長く活躍した。
The_Grass_Is_Greener-2
The_Longest_Day
『芝生は緑』 (1960年/監督:スタンリー・ドーネン)
ジーン・シモンズ、デボラ・カー、ケーリー・グラント
『史上最大の作戦』 (1962年)
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El_Dorado
『恐怖の岬』 (1962年)
グレゴリー・ペック(手前)と

『エル・ドラド』 (1966年/監督:ハワード・ホークス
 ジョン・ウェイン(左)と


Ryan's_Daughter
 ・『ライアンの娘』 (1970年/監督:デヴィッド・リーン では、かつての教え子である若い娘を娶ったものの、夜の生活で満足させられず、寝取られてしまう中年教師を、悲哀たっぷりに好演した。
 タフガイのイメージが損なわれるのを恐れ、当初は出演を躊躇していたという。
  (左の写真) 『ライアンの娘』 サラ・マイルズと

The_Yakuza
The_Yakuza-2
『ザ・ヤクザ』 (1974年/監督:シドニー・ポラック) 高倉健と
『ザ・ヤクザ』 岸恵子と

 ・『さらば愛しき女よ』 (1975年) では、ハンフリー・ボガートなど多くの俳優が扮した私立探偵フィリップ・マーロウを演じた。
 ミッチャムのマーロウは好評で、映画はヒット。『大いなる眠り』 (1978年) でも、マーロウを演じることとなった。
 (右の写真) 『さらば愛しき女よ』 シャーロット・ランプリングと
Farewell,_My_Lovely

 ・高校のバスケットボール部員たちの、その後の人生模様を描いた 『栄光の季節』 (1982年) のプレミア時。酔っ払っていたミッチャムは、バスケットボールを投げつけて、女性記者の前歯を2本へし折るという騒動を起した。損害賠償を求めて訴えられ、映画の出演料から支払ったという。還暦を過ぎてもなお、やんちゃ者だった?

Cape_Fear_1991
 ・『恐怖の岬』 (1962年) のリメイク作 『ケーフ・フィア―』 (1991年/監督:マーティン・スコセッシ) に、グレゴリー・ペックと共に出演する等、最晩年まで第一線で活躍。最後の作品となった 『傷心 ジェームズ・ディーン愛の伝説』 (1997年)では、ジョージ・スティーヴンス監督役を演じたが、ディーンの恋人ピア・アンジェリ役を演じたのは、孫のキャリー・ミッチャムだった。
  (左の写真) 『ケープ・フィアー』

 ・一歩間違えば、荒んだ人生を歩んだかもしれない ‟バッド・ボーイ” ぶりだったが、映画スターとして大きな輝きを放ち、遺作では孫娘とも共演。幸福な役者人生を送ったと言える。

 ・1997年79歳で他界。『大いなる眠り』 (1978年) で共演したジェームズ・ステュアートが亡くなる前日だった。

 ・AFI (アメリカ映画協会)が1999年に選定した 「伝説のスター・ベスト50」 で、男優部門の第23位 に選出。

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