20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ 名匠ウィ
リアム・ワイラーが描く父娘、男女の愛憎劇
19世紀半ばのニューヨーク。ワシントン広場の近くに豪邸を構えている医師のオースティン・スローパー。亡き妻は美しく社交的だったが、娘のキャサリンが人並み以下の容姿で内向的に育ったことを気に病んでいた。 |
オースティンの妹ラヴィニアが
未亡人と
なって転がり込んで来た。オースティンはラヴィニアにキャサリンの面倒を見るように頼んだ。 |
3人は親戚の娘の婚約パーティーへ出かけた。ある青年がお義理でキャサリンをダンスに誘っ
たが、1曲踊っただけで立ち去ってし
まった。他人のダンスを眺めていたキャサリンの前に見目麗しい青年が現れた。欧州周遊から帰って
来たばかりだというモリス・タウンゼントだ。キャサリンはダンスに誘われた。どうやらモリスは
自分に好意を寄せているらしい。初めての経験にキャサリンは胸をときめかせた。 |
出会ってから、モリスは3日と空けずにキャサリンを訪ねていた。2人の交際を知ったオース
ティンがモリスを夕食に招待した。 |
ラヴィニアは若い2人を応援していたが、オースティンはモリスの目的が財産だと判断した。
モリスはオースティンに嫌われたことを察した。モリス 「お父さんが反対しても僕と結婚してくれ 」。キャサリン 「ええ。何と言わ
れようと。愛
しているわ 」。 |
キャサリンからモリスと婚約したいと告げられ、オースティンはモリスの姉と会った。姉が弟
を悪く言うはずもなかったが、モリスが子供を抱えた未亡人の姉
を援助もせずに欧州周遊で遺産を食いつぶし、未だに無職だという事だけでも結婚に反対するには十分であった。
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オースティンはモリスに結婚を認めないと告げた。だが、キャサリンは結婚すると言い張り、
モリスも祝福されて結婚したいと食い下がった。オースティンは2人に半
年待てと言い渡した。
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オースティンはキャサリンを伴って6ヶ月に渡る欧州旅行に出立した…。
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…半年たっても2人の気持ちは変わらなかった。帰宅したオース
ティンはキャサリンに本音をぶちまけ
た。「お前は何の取り柄もない子だ…。彼の目的は財産だ」。
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キャサリンとモリスは駆け落ちすることにし、夜中にモリスが馬車で迎えに来る約束を交わし
た。別れ際、キャサリンは父親とは憎み合っており、絶縁する覚悟だとモリスに伝えた。
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モリスを待っているキャサリンのところへラヴィニアが現れた。事
の経緯を聞いたラヴィニアがキャサリンを諭した。ラヴィニア 「彼
は貧乏なあなたを見たくないよ…」。キャサリン 「父と同じ事を言うのね…。彼は私を愛しているわ」。しかし、モリスは迎えに来な
かった…。
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キャサリンは自分を侮辱した父親を憎み、決して許さなかった。肺
を病んだオースティンが息
を引き取る間際に会いたがったが、キャサリンは会わなかった。
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キャサリンが広大な屋敷と莫大な遺産を相続してから数年が経ったある日、ラヴィニアがモリ
スを連れて来た。モリスは自分のせいでキャサリンが相続権を失うのが
忍びなかったと言い、今でも愛しているとプロポーズした。キャサリンは欧州で購入していたルビーのカフス・ボタンを贈り、結婚の準備をして今晩また来る
よ
うにと告げたが…。
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『女相続人』 予告編動画
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◆ 主な出演者など
・原作はヘンリー・ジェイムズの小説「ワシントン広場」(1880
年出版)。1947年にブロードウェイで舞台化された。名匠ウィリアム・ワイ
ラーが、
父娘、男女の愛憎を見事に演出し、アカデミー賞では、作品賞、監
督賞など8部門でノミネートされ、主演女優賞、美術・装置賞、劇・喜劇音楽賞、衣装デザイン賞の4部門で受賞した。
(右の写真)
左から、ワイラー監督、モンゴメリー・クリフト、オリヴィア・デ・ハヴィランド
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・舞台を観て、キャサリンを演じることを熱望していたオリヴィア・デ・ハヴィランド
が、内向的な娘から憎悪に満ちた冷酷な女への変貌ぶりを好演して、『遥かなる我が子』(1946年)に続
いて2度目のアカデミー賞主演女優賞を受賞した。
(左の写真)オリヴィア・デ・ハヴィランド |
・生涯で8度もアカデミー賞を受賞した伝説の衣装デザイナー、イーディス・ヘッドが最初のオスカーを獲得した作品でもある。
(右の写真)左から、モンゴメリー・クリフト、オリヴィア・デ・ハヴィランド、ラルフ・リチャードソン
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◆ ピッ
ク・アップ … ラルフ・リチャードソン
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Ralph Richardson 1902-1983 (イギリス)
・1926年に舞台デビューし、ボリス・カーロフ主演の怪奇映画『月光石』(1933年)で銀幕デビュー。以後、英・米の舞台・映画で活躍した。
ロンドンのオールド・ヴィック・シアターで同時代に活躍したジョン・ギールグッド、ロー
レンス・オリヴィエと共に、20世紀の英国の3大舞台俳優として語り継がれている。3人の中で最初にナイト爵を授与され(1947年)、‟サー”の称号を得た。 |
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『超音ジェット機』(1952年/監督:デヴィッド・リーン)
アン・トッドと
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『リチャード三世』
(1955年)
ローレンス・オリヴィエ(左)と |
・『超音ジェット機』(1952年)で英
アカデミー賞の英国男優賞、『夜への長い旅路』(1962年)でカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞。
『女相続人』(1949年)と『グレイストーク 類人猿の王者 ターザンの伝説』(1983年)で米アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされたが受賞は逃した。(
『グレイストーク』は没後にノミネートされた)
・1983年、80歳で他界。
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