20世紀・シネマ・パラダイス

Megaphonebar
Julien Duvivier

ジュリアン・デュヴィヴィエ

Julien Duvivier

1896-1967(フランス)

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   代表作

Poil_de_Carotte
Le paquebot Tenacity
にんじん
Poli de Carotte
(1932年/フランス)
商船テナシチー
Le paquebot Tenacity
(1934年/フランス)
La_Bandera-2
La_belle_equipe-3
地の果てを行く
La Bandera
(1935年/フランス)
我等の仲間
La belle equipe
(1936年/フランス)
Pepe le Moko Un carnet de bal
望郷
Pepe le Moko
(1937年/フランス)
舞踏会の手帖
Un carnet de bal
(1937年/フランス)
La fin du jour Tales of Manhattan
旅路の果て
La fin du jour
(1939年/フランス)
運命の饗宴
Tales of Manhattan
(1942年/アメリカ)


    戦前の日本で大いに受けたフランスの巨匠

 ・1896年、フランスのリール生まれ。リール大学卒業後にパリへ出て、リアリズム演劇の先駆者アンドレ・アントワーヌ率いる「自由劇場」に入団。舞台進行係や役者として働き、その後、アントワーヌと共に映画界に進出。アントワーヌ監督の助監督等を経て、自ら脚本を執筆した『Haceldama ou Le prix du sang (1916年)で監督デビューを果たした。

 ・1925年、フィルム・ダール社に招かれ、自身初のトーキー『資本家ゴルダー』(1930年)、『にんじん』(1932年)、『商船テナシチー』(1934年)等のヒット作を発表。
 (右の写真)『にんじん』 ロベール・リネン
Poil_de_Carotte-2

Jean Gabin and Julien Duvivier  ・『白き処女地』(1934年)が、第1回フランス・シネマ大賞を受賞。
 同作の主役に、ほぼ無名だったジャン・ギャバンを起用。以後、『ゴルゴダの丘』(1935年)、『地の果てを行く』(1935年)、『我等の仲間』(1936年)『望郷』(1937年)等でコンビを組み、自身が国際的な名声を確立しただけでなく、フランス映画界を代表する大スター、ジャン・ギャバンを世に送り出した。
 (左の写真) ジャン・ギャバン(左)と

 ・『舞踏会の手帖』(1937年)を撮った後、ハリウッドに招かれ、MGM社で『グレート・ワルツ』(1938年)を監督。この時は1作だけで帰国した。
 (右の写真)『グレート・ワルツ』撮影時。ルイーゼ・ライナーと
The_Great_Waltz

Charles_Boyer_and_Julien_Duvivier  ・第2次世界大戦中はアメリカに逃れ、オールスター・キャストによるオムニバス作『運命の饗宴』(1942年)、『肉体と幻想』(1943年)、ジャン・ギャバン主演の『逃亡者』(1944年)などを撮った。
 (左の写真)『運命の饗宴』、『肉体と幻想』に出演したシャルル・ボワイエ(左)と

 ・戦後に帰国し、『パニック』(1946年)を撮った後、イギリスの映画製作者アレクサンダー・コルダに招かれ、ヴィヴィアン・リー主演の『アンナ・カレニナ』(1948年)を監督。
 (右の写真)『アンナ・カレニナ』撮影時。デュヴィヴィエ監督(右から3番目)、ヴィヴィアン・リー(1番左)、
Anna Karenina

 ・ルネ・クレールジャック・フェーデージャン・ルノワールマルセル・カルネと共に、フランス映画黄金時代の5大巨匠と称されたデュヴィヴィエ監督。亡くなるまで現役の監督として精力的に映画を撮り続けた。
Don_Camillo
La Fete a Henriette-3
『陽気なドン・カミロ』(1952年)
フェルナンデル

『アンリエットの巴里祭』(1952年)
ミシェル・オークレール、ダニー・ロバン
L'Affaire_Maurizius-2 Marianne
埋もれた青春』(1954年)
エレオノラ・ロッシ=ドラゴ(中央)、ダニエル・ジェラン(右)
『わが青春のマリアンヌ』(1955年)
マリアンヌ・ホルト、ピエール・ヴァネック
* 『アンリエットの巴里祭』 … オードリー・ヘップバーンウィリアム・ホールデン主演『パリで一緒に』(1964年)としてリメイクされた。

  ・「世界映画全史」の著者ジョルジュ・サドゥール(フランス)は、「この監督は、東洋の一小国だけにおいて、過大な評価を得ている」と評している。過大かどうかは別にして、日本においては、間違いなくフランス映画を代表する人気監督の1人だった。
 (右の写真)『奥様ご用心』(1957年)撮影時。ダニエル・ダリュー
Pot-Bouille

La Femme et le pantin  ・「キネマ旬報ベスト・テン」にも、多くの作品がランクインした。
 昭和9年:『商船テナシチー』(第1位)、『にんじん』(第3位)。昭和11年:『白き処女地』(第4位)、『地の果てを行く』 (第5位)。昭和12年:『我等の仲間』(第2位)、『巨人ゴーレム』(第8位)。昭和13年:『舞踏会の手帖』(第1位)。昭和14年:『望郷』(第1 位)。昭和15年:『幻の馬車』(第10位)。昭和21年:『運命の饗宴』(第2位)。昭和23年:『旅路の果て』(第5位)。昭和27年:『巴里の空の 下セーヌは流れる』(第9位)。昭和29年:『陽気なドン・カミロ』(第8位)。昭和30年:『埋もれた青春』(第4位)。 
 (左の写真)『私の体に悪魔がいる』(1959年)撮影時。ブリジット・バルドー

 ・1967年、交通事故により71歳で他界。
 遺作となったアラン・ドロン主演の『悪魔のようなあなた』が、本国フランスで公開される2ヶ月前だった。
 (右の写真)『悪魔のようなあなた』撮影時。アラン・ドロン(右)と
Diaboliquement_Votre


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