20世紀・シネマ・パラダイス

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Jean Gabin

ジャン・ギャバン

Jean Gabin

1904-1976 (フランス)


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     代表作
 
La_bandera
La bell equipe
地の果てを行く
La Bandera
(1935年/フランス)
我等の仲間
La Belle Equipe
(1936年/フランス)
Pepe_le_Moko
La grande illusion
望郷
Pepe le Moko
(1937年/フランス)
大いなる幻影
La Grande Illusion
(1937年/フランス)
Le quai des brumes Touchez_pas_au_grisbi-3
霧の波止場
La Quai des brumes
(1938年/フランス)
現金に手を出すな
Touchez pas au grisbi
(1954年/フランス)
Des_gens_sans_importance-3 Melodie en sous-sol
ヘッドライト
Des gens sans importance
(1956年/フランス)
地下室のメロディ
Melodie en sous-sol
(1963年/フランス)

   
    フランス映画界最大のスター

 ・1904年、パリにて、ミュージック・ホールの芸人だった両親のもとに生まれ、18歳の時から舞台芸人として働くようになった。

 ・1925年、女優のギャビー・バセットと結婚。
 (右の写真)最初の妻ギャビー・バセットと

 
・1928年、『Ohe! Les Valises』で銀幕デビュー。
Gaby Basset

Chacun sa chance  ・自身初のトーキー『Chacun sa chance(1930年)では夫婦で共演もしたが、1933年にバセットと離婚。その後、ダンサーのJanne Mauchainと再婚したが、1943年に離婚した。
 (左の写真)『Chacun sa chance

 ギャビー・バセットと

 


 ・ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『白き処女地』(1934年)で注目を集め、以後、同監督の『ゴルゴダの丘』(1935年)、『地の果てを行く』(1935年)、『我等の仲間』(1936年)『望郷』(1937年)、ジャン・ルノワール監督の『どん底』(1936年)『大いなる幻影』(1937年)、『獣人』(1938年)、マルセル・カルネ監督の『霧の波止場』(1938年)、『陽は昇る』(1939年)等、巨匠たちの名作で主役を務め、フランス映画界を背負って立つ大活躍。ギャバンが主役なら外れ(駄作)なし、とも言われていた。
Maria ChapdelaineLa Bandera-3
『白き処女地』(1934年)
マドレーヌ・ルノーと
『地の果てを行く』(1935年)
 アナベラ

La_belle_equipe-2.
Les_bas-fonds
『我等の仲間』(1936年)
シャルル・ヴァネル(左)と

『どん底』(1936年)
ルイ・ジューベ(右)と

Pepe le Moko-3 La_grande_illusion-2
『望郷』(1937年) 『大いなる幻影』(1937年)
 ピエール・フレネー(左)と

Le_quai_des_brumes-2
La_bete_humaine
『霧の波止場』(1938年)
ミシェル・モルガン

『獣人』(1938年)
シモーヌ・シモンと


 ・第2次世界大戦中はアメリカへ移住し、同じくアメリカへ逃れていたデュヴィヴィエ監督の『逃亡者』(1943年)等のハリウッド映画に出演。

 ・アメリカの地で、マレーネ・ディートリッヒと恋に落ちた。英語はディートリッヒから教わっていたという。
 (右の写真)マレーネ・ディートリッヒと
Gabin-Dietrich

Gabin-Dietrich-3
 ・ ギャバンは愛する祖国の為に自由軍フランスに志願し、戦地へ赴いた。
 1944年、連合国軍の兵士慰問活動で戦地を廻っていた ディートリッヒとアルジェリアの地で再会もした。
 (左の写真)マレーネ・ディートリッヒと

 ・戦後、2人はパリで一緒に生活を始め、『狂恋』(1946年) で共演もしたが、その生活は長くは続かなかった。
 ギャバンは1949年にモデルのChristiane Fournierと3度目の結婚をした。
 (右の写真)『狂恋』 マレーネ・ディートリッヒと
Martin_Roumagnac

 ・戦後もフランス映画界を代表するスターとして活躍。その演技は国際的に高く評価され、『夜は我がもの』(1951年) でベネチア国際映画際の男優賞を受賞。『現金に手を出すな(1954年/監督:ジャック・ベッケル、『われら巴里っ子』(1954年/監督:マルセル・カルネ)の2作の演技で再びネチア国際映画際の男優賞を受賞。更に、『放浪者アルシメード』(1959年)でベルリン国際映画際の男優賞(銀熊賞)を受賞した。
Le_mura_di_Malapaga La_nuit_est_mon_royaume
『鉄格子の彼方』(1948年/監督:ルネ・クレマン
イザ・ミランダと
『夜は我がもの』(1951年)
シモーヌ・ヴァレールと
Touchez_pas_au_grisbi-2 L'air_de_Paris
『現金に手を出すな』(1954年)
リノ・ヴァンチュラと
『われら巴里っ子』(1954年)
アルレッティ
French_Cancan Des_gens_sans_importance
『フレンチ・カンカン』
(1954年/監督:ジャン・ルノワール)
フランソワーズ・アルヌール
『ヘッドライト』
(1956年/監督:アンリ・ヴェルヌイユ)

フランソワーズ・アルヌールと
Les_miserables Archimede,_le_clochard
『レ・ミゼラブル』 (1957年)
ブールヴィル(右)と
『放浪者アルシメード』(1959年)

Belmondo Delon Gabin
 ・1960年代以降も、ジャン=ポール・ベルモンドアラン・ドロンといった次世代のスターと共演し、その圧倒的な存在感で映画 ファンを楽しませ、『Le chat (1971年)で再びベルリン国際映画際の男優賞(銀熊賞)を受賞。『脱獄の報酬』(1976年)が遺作となった。
 (左の写真) ジャン・ポール・ベルモンド(左)、アラン・ドロンと

Un_singe_en_hiver Melodie_en_sous-sol-2
『冬の猿』(1962年/監督:アンリ・ヴェルヌイユ)
ジャン・ポール・ベルモンド(右)と
『地下室のメロディ』(1963年/監督:アンリ・ヴェルヌイユ)
アラン・ドロンと
Le_clan_des_Siciliens Le Chat
『シシリアン』(1969年/監督:アンリ・ヴェルヌイユ)
アラン・ドロン(左)、リノ・ヴァンチュラ(右)と
Le chat 』(1971年)
シモーヌ・シニョレ
Deux_hommes_dans_la_ville L'annee_sainte
『暗黒街のふたり』(1973年)
アラン・ドロンと
『脱獄の報酬』(1976年)
ダニエル・ダリュー

 ・1976年72歳で他界。遺言により遺骨はブルターニュの海に撒かれた。


Jean Gabin-2
Jean Gabin-3


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