20世紀・シネマ・パラダイス
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ダニエル・ダリュー
Danielle Darrieux
1917- 2017 (フランス)
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◆ 代表作
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うたかたの恋 Mayerling
(1936年/フランス) |
輪舞
La Ronde
(1950年/フランス) |
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赤と黒
Le Rouge et le Noir
(1954年/フランス) |
チャタレイ夫人の恋人
L'Amant de lady Chatterley (1955年/フランス) |
◆ 戦前から活躍したフランスを代表する美人女優
・1917年、フランスのボルドーで生まれ、パリで育った。コンセルヴァトワール(国立高等音楽学校)ではチェロを学んでいた。
・14歳の時にオーディションに合格し、『ル・バル』(1931年)で銀幕デビュー。後にハリウッドで大成するビリー・ワイルダーの初監督作品『悪い種子』(1934年)では主役を務めた。
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『ル・バル』(1931年) ダニエル・ダリュー(左) |
『悪い種子』(1934年)
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・1935年、『緑のドミノ』を監督したアンリ・ドコワンと結婚。
(右の写真) アンリ・ドコワンと |
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・オーストリア皇太子と男爵令嬢の心中事件を描いた『うたかたの恋』(1936年/監督:アナトール・リトヴァク)が大ヒットし、国際的な人気スターに。
当時の日本では皇室の尊厳を傷つけるという理由で公開禁止となったが、戦後の1946年に公開され大ヒットした。
(左の写真)『うたかたの恋』 シャルル・ボワイエと |
・日本では「官能的白痴美」と称された。ご本人がどう思うか微妙な表現だが、その圧倒的な美貌により、日本でも大人気だった。
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『背信』(1937年/監督:アンリ・ドコワン)
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『Mademoiselle ma mère』(1937年/監督:アンリ・ドコワン) |
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・1938年、ハリウッドへ渡ったが、『巴里の評判娘』1作に出演しただけで帰国した。
(左の写真)『巴里の評判娘』
ダグラス・フェアバンクス・ジュニア(左)、ミーシャ・オウアと |
・帰国後、夫アンリ・ドコワン監督の『暁に帰る』(1938年)、『Battement de coeur 』(1940年)、『Premier rendez-vous 』(1941年)に出演したが、ドコワンとは1941年に離婚した。
(右の写真)『暁に帰る』 |
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・1942年、ドミニカ共和国の外交官で、プレイボーイとして評判だったポルフィリオ・ルビロサと再婚したが、1947年に離婚した。
(左の写真) ポルフィリオ・ルビロサと |
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・第2次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下のフランスで演劇活動を続けたため、国民からバッシングを受けたが、後に、彼女は脅迫されていたことが判明した。 |
・1948年、脚本家のジョルジュ・ミトキシデスと3度目の結婚。この結婚は彼が亡くなる(1991年)まで続いた。 |
・戦後、オールスター・キャストの『輪舞』(1950年)、2作目のハリウッド映画『Rich, Young and Pretty 』(1951年)等に出演。
最初の夫アンリ・ドコワン監督の『La verite sur Bebe Donge 』(1952年)では、ジャン・ギャバンと初共演した。
(右の写真)『La verite sur Bebe Donge 』 ジャン・ギャバンと |
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『チャタレイ夫人の恋人』 (1955年) |
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・1956年、日仏合作の『忘れえぬ慕情』(1957年)のロケの為に来日し、約3ヶ月間滞在した。
尚、同作の監督イヴ・シャンピと共演者の岸恵子が1957年に結婚(1975年に離婚)した。
(左の写真)『忘れえぬ慕情』 ダニエル・ダリュー |
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左から、岸恵子、ジャン・マレー、ダニエル・ダリュー
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左から、ジャン・マレー、岸恵子
ダニエル・ダリュー、桂小金治
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『奥様ご用心』(1957年/監督ジュリアン・デュヴィヴィエ)
ジェラール・フィリップと
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『夜の放蕩者』(1958年)
ジャン・ギャバンと
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・映画では歌声も披露し、1960年代にはレコードも出して、コンサート活動も行った。
また、1969年には、キャサリン・ヘップバーンの代役としてブロードウェイのミュージカル「Coco 」で主役を務めた。
(右の写真)『脱獄の報酬』(1976年) ジャン・ギャバンと
* ジャン・ギャバンの遺作 |
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・1962年、レジオンドヌール勲章を受勲。
・1985年、セザール賞の名誉賞を受賞。
・21世紀に入ってからも第一線で活躍。そのキャリアは80年に及んだ。
・2017年、100歳で他界。
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