20世紀・シネマ・パラダイス
ジェラール・フィリップ
Gerard Philipe
1922-1959 (フランス)
愛称:ファンファン(
Fanfan
)
◆
代表作
肉体の悪魔
Le diable au corps
(1947年/フランス)
悪魔の美しさ
La beaute du diable
(1950年/フランス)
花咲ける騎士道
Fanfan la Tulipe
(1952年/フランス)
しのび逢い
Monsieur Ripois
(1954年/フランス)
赤と黒
La rouge et le noir
(1954年/フランス)
モンパルナスの灯
Les amants de Montparnasse
(1958年/フランス)
◆
36歳で天に召された伝説の美男スター
・
1922年
、カンヌ生れ。父親は弁護士でホテルの支配人。裕福な家庭で育った。
・1941年、法律の専門学校に通っていたが、母親の知人だった映画監督マルク・アレグレと出会い、彼の勧めでニースの演劇学校に入学。役者の道を歩み始めた。
*
マルク・アレグレ … 『乙女の湖』(1933年)、『チャタレイ夫人の恋人』(1955年)等の監督。
(右の写真)兄(左)と母親と。10歳頃のジェラール・フィリップ
・1942年、ニースで舞台デビュー。その後、フランス各地を巡業し、翌年、パリの舞台でデビュー。演技を磨くためコンセルヴァトワール(フランス国立高等演劇学校)に入学した。
・1944年、マルク・アレグレ監督の『フレール河岸の娘たち』
(日本未公開)
で銀幕デビュー。同監督の弟イヴ・アレグレ監督の『夢の箱』
(1945年)
への出演が先だったが、『フレール河岸の娘たち』の方が先に公開された。
(左の写真) 『フレール河岸の娘たち』
・コンセルヴァトワールを優秀な成績で卒業。パリの舞台では主役を務め、演劇界期待の新星となった。
初の主演映画『星のない国』
(1946年)
、ドストエフスキー原作の『白痴』
(1946年)
に出演した。
(右の写真)『白痴』
・ラディゲ原作の
『肉体の悪魔』
(1947年/監督:クロード・オータン=ララ)
が大ヒットし、世界的な人気スターになった。
日本では、次作の『パルムの僧院』
(1948年)
等が先に公開されたが、人気を決定づけたのは『肉体の悪魔』だった。
(左の写真)『肉体の悪魔』 ミシュリーヌ・プレールと
『パルムの僧院』(1948年)
ルネ・フォールと
『すべての道はローマへ』(1949年)
ミシュリーヌ・プレールと
・ファウスト伝説をコミカルに描いた『悪魔の美しさ』
(1950年/監督:
ルネ・クレール
)
、オールスター・キャストの 『輪舞』
(1950年/監督:マックス・オフュルス)、
『愛人ジュリエット』
(1951年/監督:
マルセル・カルネ
)
と、巨匠たちの作品に出演。
(右の写真)『悪魔の美しさ』 ニコール・ベナールと
『輪舞』(1950年)
シモーヌ・シニョレ
と
『愛人ジュリエット』(1951年)
スザンヌ・クルーティエと
・1951年、ベルギー出身のジャーナリスト、アンヌ=マリー=ニコール・フールガードと結婚。
(左の写真)妻と
・舞台にも出演し続け、演出も手掛けた。
(右の写真)舞台「
Le Prince de Hombourg
」(1951年)
ジャンヌ・モロー
と
・剣劇アクション・コメディ『花咲ける騎士道』
(1952年)
が大ヒット。主人公の名前‟
ファンファン
”は彼の愛称となった。
(左の写真)『花咲ける騎士道』
ジーナ・ロロブリジーダ
と
・詩的リアリズムの黄金時代が過ぎ去り、ヌーヴェルヴァーグが興るまでの間、今一つ精彩を欠いていたフランス映画界において、孤軍奮闘とも言える大活躍をしていた。
『夜ごとの美女』(1952年/監督:ルネ・クレール)
ジーナ・ロロブリジーダと
『狂熱の孤独』(1953年/監督:イヴ・アレグレ)
ミシェル・モルガン
と
・1953年、第1回フランス映画祭に招かれ、愛妻と一緒に来日もした。
『しのび逢い』(1954年/監督:
ルネ・クレマン
)
ジョーン・グリーンウッドと
『赤と黒』(1954年/監督:クロード・オータン=ララ)
ダニエル・ダリュー
と
・『戦いの鐘は高らかに』
(1956年)
では、監督、主演、脚本の3役をこなした。
(右の写真)『夜の騎士道』(1955年/監督:ルネ・クレール)ミシェル・モルガンと
『戦いの鐘は高らかに』
(1956年)
ニコル・ベルジェと
『奥様ご用心』
(1957年/監督:
ジュリアン・デュヴィヴィエ
)
ダニエル・ダリューと
・画家モジリアーニの伝記映画『モンパルナスの灯』
(1958年/監督:
ジャック・ベッケル
)
は、晩年の代表作となった。
『モンパルナスの灯』(1958年)
アヌーク・エーメ
と
『危険な関係』(1959年/監督:ロジェ・ヴァディム)
ジャンヌ・モロー
と
・奇才
ルイス・ブニュエル
監督の『熱狂はエル・パオに達す』
(1959年)
の撮影中に体調を崩し、同作が遺作となった。
(左の写真)『熱狂はエル・パオに達す』マリア・フェリックスと
・
1959年
、
36歳
で急逝。
(右の写真)ジェラール・フィリップの葬儀にて。妻のアンヌ=マリー=ニコール・フールガード
・淀川長治さん曰く、「
フランス映画界の宝石
」。「
フランスだけでなく、映画史上最高のアイドル
」。
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