20世紀・シネマ・パ
ラダ
イス


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肉体の悪魔
Le Diable au Corps
監督:クロード・オータン=ララ
(1947年/フランス)
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◆ ジェラール・フィリップの人気を決定づけた悲恋映画の傑作
第1次世界大戦下のフランス。パリ近郊にあるクレベール高校の一角は、負傷兵のための臨時病院となっていた。 |
同
校の生徒フランソワは、病
院へ訪ねて来た年上の女性に心を奪われた。彼女の名はマルト。看
護婦である母
親の手伝いに来たのだった。 |
翌日。登校時にマルトを発見したフランソワは、授業をサボって、連絡船で
パリへ買物に行く彼女に同行した。 |
マ
ルトには出征中の婚約者がいたが、フランソワは強引に昼食に誘い、買物につき合った。 |
母親が決めた結婚に元々乗り気でなかったマルトもフラン
ソワに惹かれ、帰りの連絡船の上で2人は口づけを交わした。 |
桟橋にマルトの母親と婚約者が待っていた。マルトは手紙を書くと言い残してフランソワから
離れた。しかし、マルトがフランソワからプレゼントされた花束を持っていたこともあって、母親は娘が男性と一緒だったと感づいてしまった。 |
マルトたちは母親が用意した新居となるアパートへ向かった。こっそり後をつけていたフラン
ソワが窓を見上げると、マルトと婚
約
者が抱き合うシルエットが映っていた…。 |

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フランソワはマルトからの手紙を待っていたが、なかなか届かなかった。彼女の母親が目を光
らせていたのだが、フランソワは知る由もない。
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数日後、病院でマルトと再会したフランソワは、彼女が心変わりをしたと言ってなじった。そ
こへ、マルトの母親が現れ、フランソワは追い出されてしまった。
マルト
は彼を呼び止めようとしたが、母親に制止させられた。
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やけ酒を飲んで夜遅くに帰宅したフランソワは、父親の部屋に入ってピストルをポケットに忍
び込ませた。そこへ、父親がマル
トからの手紙を持って現
れた。マルトは10時に桟橋で待っているという。
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フランソワは父親に促されて桟橋へ行った。時刻は既に11時になっていたが、マルトは桟橋
で待っていた。しかし、所詮は叶わぬ恋。フランソワは彼女と会わずに立ち去った…。
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フランソワは心の痛手を癒すため、夏休みを田舎で過ごすことにし
た…。
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…新学期になって登校したフランソワは、久しぶりにマルトと再会した。フランソワは彼女の
後を追わずにはいられなかった。マルトは既に結婚していたが、夫は出征中だ。フランソワはマルトの部屋を訪ねた。
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マルトもフランソワを忘れられずにいた。部屋に入ったものの、足早に去ろうとするフランソ
ワの背中にマルトが声を掛けた。「これでお別れなの?」。2人は口づけを交わした。マルト 「これから母が来るの…。明日の晩に来
て…」。
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翌日の晩。雨が降る中、フランソワは自宅を抜け出してマルトのアパートへ向かった。そし
て、2人は結ばれた。
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フランソワ「なぜ結婚したの?」 マルト「なぜ(桟橋に)来なかった
の? 来ていたら結婚しなかったわ…」
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戦争が終われば別れなければならないことを承知していながらも、2人は逢瀬を重ねずにはい
られなかった。
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2人の関係は周囲に知れ渡り、マルトは病院から解雇された。ただ、何も知らぬ夫からは手紙
が届いていた。
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マルトはフランソワの子を身籠った。彼女がその事を告白した夜、戦地の夫から会いに来てく
れとの手紙が届いた。フランソワは一緒に行って、全てを打ち明
け
ると決意した。
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フランソワはまだ学生だ。マルトと生まれて来る赤ん坊を養っていけるのか。フランソワは不
安に打ち負け、一緒に行くという決意を翻意してしまった。
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ついに休戦の報が届いた。フランソワがマルトに会いに行くと、アパートは引き払われてい
た。
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駅へ駆けつけると、マルトが母親に見送られながら汽車に乗り
込むところだった。フランソワは走り出した汽車に飛び乗った。
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マルトは叔母のところで出産すると言う。フランソワとマルトはこれまでに幾度も話し合った
事をぶり返した。フランソワ 「僕が大人じゃないんだ…」。 マルト 「私を抱く時は大人なのに…」。
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2人の関係は終わりにしなければならない。フラン
ソワとマルトはパリの思い出のレストランへ行った。
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マルトは気分が悪いと言いながらも帰りたがらず、2人はカフェへ行った。国歌が演奏され、
休戦を祝う人々でごった返すなか、マルトが体調を崩して倒れてし
まった…。
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◆ 主な出演者など

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・フランソワ役 …ジェラール・フィリッ
プ
・マルト役 … ミシュリーヌ・プレール
・フランソワの父親役 … ジャン・ドビュクール
・マルトの母親役 … デニーズ・グレイ |
・夭折の天才作家レイモン・ラディケ(1903-1923年)が、16〜18歳の時に執筆
した処女作の映画化作品。
当時24歳のジェラール・フィリップが、繊細な高校生の役を見事に演じて、世界的な人気スターとなった。
(右の写真)撮影時のミシュリーヌ・プレール、ジェラール・フィリップ、クロード・オータン
=ララ監督(右)
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・ジェラール・フィリップとミシュリーヌ・プレールは、実際は同年生まれだった。 |
・ジェラール・フィリップとミシュリーヌ・プレールの美しさに、ただただウットリするばか
り。2人は、『すべての道はローマへ』(1949年/フランス)、『Villa Borghese』(1953年/イタリア)の2作品で再共演した。
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『すべての道はローマへ』(1949年) |
『Villa
Borghese』(1953年) |
◆ ピック・アップ … ミシュリーヌ・プレール

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Micheline Presle
1922- (フランス)
・1922年、パリ生れ。修道院卒業後、『La fessee』(1937年)で銀幕デ
ビュー。当時の芸名はミシュリーヌ・ミシェルだった。
・ドイツの巨匠G・W・パブスト監督の『Jeunes filles en detresse』(1939
年)での演技により、有望な新人女優に与えられるシュザンヌ・ビアンケッティ賞を受賞。同作の役名プレールを採り、以後、ミシュリーヌ・プ
レールの芸名で活動
するようになった。
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『偽れる装い』(1945
年/監督:ジャック・ベッケル)
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『す
べての道はローマへ』(1949年)
ジェラール・フィリップと |
・『肉体の悪魔』が世界中で大ヒットし、フランスを代表する人気女優の1人となった。ハリ
ウッドにも進出したが、あまり作品に恵まれなかった。 |
・2004年、セザール賞の名誉賞を受賞。
(右の写真)セザール賞の名誉賞受賞時
・私生活では、ミシェル・モルガンと離
婚した米国人俳優・映画監督のウィリアム・マーシャルと1950年に結婚。娘のトニーを授かったが、1954年に離婚した。 |

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・娘のトニー・マーシャルは女優、映画監督となった。トニーが監督し、ミシュリーヌ・プ
レールも出演した『エステサロン/ヴィーナス・ビューティ』(1999年)は、女性監督の作品としては初
めてセザール賞の作品賞を受賞。トニーは監督賞、脚本賞も受賞した。
(左の写真) セザール賞の授賞式後。娘のトニー(右)と
・2020年、娘のトニー(享年68歳)に先立たれてしまった。
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左から、ミシェル・モルガ
ン、
ミシュリーヌ・プレール、ダニエル・ダリュー
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左から、ミシュリーヌ・プ
レール(左)、
ダニエル・ダリュー、ミシェル・モルガン |
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