20世紀・シネマ・パラダイス
ルネ・クレマン
Rene Clement
1913-1996(フランス)
◆
代表作
鉄路の闘い
La Bataille de Rail
(1945年/フランス)
鉄格子の彼方
Au-dela des grilles
(1949年/仏・伊)
禁じられた遊び
Jeux Interdits
(1952年/フランス)
居酒屋
Gervaise
(1956年/フランス)
太陽がいっぱい
Plein soleil
(1960年/仏・伊)
パリは燃えているか
Paris, brule-t-il ?
(1966年/仏・米)
◆
戦後のフランス映画界を代表する巨匠の1人
・
1913年
、ボルドー生れ。子供の頃から映画が好きで、パリの美術学校で建築学を学びつつ短編映画を自主製作していた。
・1934年、カメラマン、助監督として映画界入り。
ジャック・タチ
主演の短編『乱暴者を求む』
(1934年)
で助監督を務めたりした後、同じくジャック・タチ主演の短編『左側に気をつけろ』
(1936年)
で監督デビュー。その後、数本の短編映画を撮った。
(右の写真)『左側に気をつけろ』 ジャック・タチ (右)
・第2次世界大戦後、軍事活動委員会からの要請で初の長編『鉄路の闘い』
(1945年)
を監督。占領下のフランスで、ナチスの軍用列車の走行を妨害するフランス鉄道従業員組合の活動を実際にレジスタンス活動に従事した人々を起用してセミ・ドキュメンタリータッチで描いた。
第1回カンヌ国際映画祭で国際審査員特別賞と監督賞を受賞し、クレマン監督の出世作となった。
・『鉄格子の彼方』
(1949年)
で再びカンヌ国際映画祭の監督賞を受賞。米アカデミー賞の名誉賞
(現在の外国語映画賞)
も受賞した。
(右の写真)『鉄格子の彼方』
ジャン・ギャバン
、イザ・ミランダ
・詩情豊かな反戦映画の名作
『禁じられた遊び』
(1952年)
は世界各国で賞賛され、ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞、米アカデミー賞の名誉賞等を受賞。フランス映画界を代表する名監督としての地位を不動のものとした。
『禁じられた遊び』(1952年)
ブリジット・フォッセー
、ジョルジュ・プージュリー
『禁じられた遊び』撮影時
ブリジット・フォッセーと
『しのび逢い』(1954年)
ジェラール・フィリップ
『しのび逢い』撮影時
ジェラール・フィリップ(左)と
・エミール・ゾラの小説を映画化した『居酒屋』
(1956年)
は、ヴェネツィア国際映画祭で国際映画評論家連盟賞を受賞。我が国においても、キネマ旬報社のベスト・テンで28名の選考委員全員が選出し、第2位の『必死の逃亡者』
(監督:
ウィリアム・ワイラー
)
に大差をつけて第1位になるなど、高い評価を得た。
『居酒屋』(1956年)
マリア・シェル
『居酒屋』撮影時
マリア・シェル
と
・サスペンスの名作
『太陽がいっぱい』
(1960年)
を監督。同作で世界的な人気スターとなった
アラン・ドロン
とは、『生きる歓び』
(1961年)
、『危険がいっぱい』
(1964年)
でも組んだ。
『太陽がいっぱい』(1960年)
アラン・ドロン、マリー・ラフォレ
『生きる歓び』
(1961年)
アラン・ドロン、バルバラ・ラス
『危険がいっぱい』
(1964年)
アラン・ドロン、ジェーン・フォンダ
『危険がいっぱい』撮影時
アラン・ドロン(左)、ジェーン・フォンダと
・大作『パリは燃えているか』
(1966年)
は、アメリカの『史上最大の作戦』
(1962年)
に対抗した作品とも言われており、豪華キャストが集結した。
『パリは燃えているか』
(1966年)
アラン・ドロン
『パリは燃えているか』撮影時
ジャン=ポール・ベルモンド
(左)、アラン・ドロン(右)と
・
チャールズ・ブロンソン
主演の『雨の訪問者』
(1970年)
等の娯楽作品を撮り、『危険なめぐり逢い』
(1975年)
を最後に引退。
(左の写真)『雨の訪問者』マルレーヌ・ジョベール、チャールズ・ブロンソン
・1983年、セザール賞の名誉賞を受賞。
・日本映画『ヨーロッパ特急』
(1984年/主演:武田鉄矢)
に出演。
・
1996年
、
82歳
で他界。
HOME