20世紀・シネマ・パラダ
イス
荒野の七人
The Magnificent Seven
監督:ジョン・スタージェス
(1960年/アメリカ)
◆ 多くのスターを輩出した西部劇の人気作
メキシコの寒村の農民たちは、カルヴェラ 率
いる盗賊団に毎年農作物を掠奪されていた。村長のヒラリオ 等は、長老 の助言に従い、銃を購入するために国境の町テキサスへ向かった。
テキサスに着いたヒラリオ等は、流れ者の2人のガンマン、クリス とヴィン が危険な任務 (先住民の死体を白人専用との慣習がある墓地へ運搬する) を冷静沈着に遂行する様子を目の当たりにした。
ヒラリオ等はクリスを訪ねた。彼等の話を聞いたクリスは、銃を購入するよりもガンマンを
雇った方が良いと助言し、腕の立つガンマンが集まれば助太刀をすると請け合った。
クリスは仲間を集めた。旧友のハリー は
大きな報酬があると勝手に思い込んで仲間に加わった。ヴィンは、6週間で僅か20ドルの報酬と聞いて一度は辞退したが、クリスの心意気に共鳴して仲間に
なった。
名うてのガンマンでありながら薪割りで小遣いを稼いでい た オ
ライリー 、ナイフ投げの名人ブリット も仲間になった。
賞金稼ぎのリー が報酬の前払い
を条件に仲間になり、クリスたちはメキシコへ向かって出発した。道中、年若いチコ が加わり、7
人になった。チコは腕試しのテストに落第したものの、クリスたちの後をつけていたのだった。
村に到着したクリスたちは、戦いに備え、石垣を築いたり、農民たちに銃の撃ち方を教えたり
した。
盗賊団が乗り込んで来た。カルヴェラはガンマンが僅か7人だと知ると戦いを挑んできた。激
しい銃撃戦となったが、農民たちも勇敢に戦い、盗賊団は敗走した。
農民たちは勝利に歓喜したが、カルヴェラたちは手を引いた訳ではなく、双方のにらみ合いが
続いた。
メキシコ人に変装して敵情を探りに行っていたチコが、盗賊団は死に物狂いだとの情報をもた
らした。恐れをなした
雑貨屋のソテロ が戦うことに異議を唱え、村人たちの内輪もめが始まった。クリスは村人たちの被
害を防ぐため、盗賊団の野営地に奇襲をかけることにした。
盗賊団の野営地はもぬけの殻だった。そして、7人が不在の間に村は盗賊団に占領されてい
た。ソテロが裏切って、カルヴェラたちを村へ引き入れたのだった。
クリスたちは丸腰にされ、国境付近まで追い払われた。しかし、農
民たちを見捨てる訳にはいかず、また、カルヴェラから侮辱を受けたままで引き下がってしまう事はガンマンとしてのプライドが許さなかった。再び銃を手にし
たクリスたちは、村へ引き返して戦う覚悟で一致していたが、唯1人、ハリーだけは皆と別れて去っていった。
盗賊団との決戦が始まった。銃撃戦の最中、ハリーも駆けつけ、窮地に陥っていたクリスを
救った。
ハリーとリーが敵の銃弾に倒れた。クリスがカルヴェラを仕留めたが、ブリットとオライリー
が命を落とした…。
『荒野の七人』 予告編動画
VIDEO
◆ 主な出演者など
クリス役
ヴィン役
チコ役
オライリー役
ユル・ブリンナー
スティーブ・マックイーン
ホルスト・ブッフホルツ
チャールズ・ブロンソン
ブリット役
ハリー役
リー役
カルヴェラ役
ジェームズ・コバーン
ブラッド・デクスター
ロバート・ヴォーン
イーライ・ウォラック
・黒澤明監督の 『七人の侍』 (1954年)
を西部劇にアレンジした作品。
『七人の侍』 に感銘を受けたユル・ブリンナーがリメイクの権利を獲得していた。本作の成功により、黒澤明監督の 『羅生門』 (1950年) のリメイク作 『暴行』 (1964年/監督:マーティ
ン・リット) 、『用心棒』 (1961年) のリメイク作 『荒野の用心棒』 (1964年/監督:セルジオ・レオーネ) 等が生れることになったとも言える。
(右の写真) ユル・ブリンナー
・アメリカでの人気も高く、TVでの放映回数が 『オズの魔法使』 (1939年)
に次いで多い作品となっている。
AFI (アメリカ映画協会) が2001年に選定した 「スリリングな映画ベスト100」で第79位、2005年に選定した 「映画音楽ベスト25」 で第8位に。
(左の写真) 撮影時。ジョン・スタージェス監督(左) とユル・ブリンナー
・続編の 『続・荒野の七人』
(1966年/主演:ユル・ブリンナー) 、『新・荒野の七人 馬上の決闘』
(1969年/主演:ジョージ・ケネディ) 、『荒野の七人 真昼の決闘』 (1972年/主演:リー・
ヴァン・クリーフ) が製作されている。
(右の写真) 『荒野の七人』
◆ ピックアップ … チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン
Charles Bronson
1921-2003 (アメリカ)
・1921年、ペンシルベニア州にて、リトアニアからの移民である両親の下、15人兄弟の5男として生れた。本名は Charles
Dennis Buchinsky
。家庭が貧しかったため、高校卒業後は炭坑夫となって家計を助け、第2次世界大戦中は陸軍航空隊で軍務に就いた。
絵を描くことが趣味だったため、除隊後、美術学校に入学。舞台の裏方やエキストラを経験し、俳優を目指すようになった。
・1951年、30歳の時に銀幕デビュー。ジョン・スタージェス監督の 『荒野の七人』 (1960年) 、『大脱走』 (1963年)
で人気スターとなり、アクション・スターとして息長く活躍した。
『さらば友よ』
(1968年/フランス)
アラン・ドロン(右)と
『 ウエスタン』 (1968年/監督:セルジオ・レオーネ)
ヘンリー・フォンダ (右)と
『レッド・サン』
(1971年/監督:テレンス・ヤング)
三船敏郎(右)と
『狼よさらば』
(1974年)
・日本では男性用化粧品マンダムのCMでも人気を博した。 「あなた、あごに何か付
いているよ… 」。
「う〜ん、マンダム 」。
・2003年 、81歳 で他界。
James Coburn
1928-2002 (アメリカ)
・1928年、ネブラスカ州で生まれ、5歳の時にロスアンゼルスに移住した。大学卒業後の1950年にアメリカ陸軍に入隊。除隊後、ロスアンゼルス・シ
ティ・カレッジで演技を学び、舞台やTVに出演。スティーブ・マックイーン主演のTV 「拳銃無宿」 (1959年)
にも出演した。1959年に銀幕デビューし、マックイーンやブロンソンと同様、『荒野の七人』 (1960年) 、
『大脱走』 (1963年) で人気スターとなった。
『荒野の七人』
への出演は、友人のロバート・ヴォーンの推薦によるものだった。コバーンは黒澤明監督の 『七人の侍』 の大ファンで15回も鑑賞していたという。
『シャレード』
(1963年) オードリー・ヘップバーン と
『電撃フリントGO!GO
作戦』 (1966年)
『ビリー・ザ・キッド
/ 21才の生涯』 (1973年)
1998年度のアカデミー
賞授賞式
・息長く活躍し、『白い刻印』 (1998年)
でアカデミー賞助演男優賞を受賞。
・2002年 、74歳 で他界。