20世紀・シネマ・パラダ イス

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Alain_Delon

アラン・ドロン

Alain Delon

 
1935-     (フランス )

 

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     代表作
 
Plein_soleil  太陽がいっぱい
 Plein soleil
 (1960年/仏・伊)
Rocco_e_i_suoi_fratelli
 若者のすべて
 Rocco e i suoi fratelli
 (1960年/伊・仏)
Any_Number_Can_Win
 地下室のメロディ
 Melodie en sous-sol
  (1963年/フランス)
The_Leopard
 山猫
 Il gattopardo
 (1963年/伊・仏)
he_Last_Adventure
 冒険者たち
 Les Aventuriers
 (1967年/フランス)
The_Samurai
 サムライ
 Le Samourai
 (1967年/仏・伊)
Adieu_l'ami
 さらば友よ
 Adieu l'ami
 (1968年/仏・伊)
Borsalino
 ボルサリーノ
 Borsalino
 (1970年/仏・伊)

     ◆  美男子の代名詞

 ・1935年、パリの郊外で生れる。4歳の時に両親が離婚。継父とそりが合わず、愛情を注がれずに暗い少年時代を過ごしたと言われている。
 17歳の時に海軍へ志願し、インドシナ戦争に従軍。20歳の時に除隊し、1年近くアメリカやメキシコを放浪した。
  (右の写真) 赤ん坊の頃のアラン・ドロン
Alain_Delon-4

Send_a_Woman_When_the_Devil_Fails
 ・1956年に帰国。翌年、国際映画祭開催中のカンヌの街でスカウトされ、アメリカの大物プロデューサー、デビッド・O・セルズニックから契約を打診されたが、フランス国内での活動を選択。
 『女が事件にからむ時』 (1957年) で銀幕デビューをした。
 (左の写真) 『女が事件にからむ時』 ソフィー・ドーミエと
 * 14歳の時に友人の父親が撮影した 『Le rapt 』 (1949年) の出演シーンがYouTube で視聴可能。

 ・3作目の 『恋ひとすじに』 (1958年) で、欧州では既に人気スターとなっていたロミー・シュナイダーの相手役に抜擢された。撮影中、2人は恋に落ち、1959年に婚約した。
 尚、日本で初めて公開されたドロンの作品は、4作目の 『お嬢さん、お手やわらかに!』 (1959年)
 (右の写真) 『恋ひとすじに』 ロミー・シュナイダーと
Christine

Plein_soleil
 ・『太陽がいっぱい』 (1960年/監督:ルネ・クレマンで人気爆発。
 当時のフランスは若手の監督によるヌーヴェルヴァーグ運動の真っ只中だったが、ドロンは同運動とは無縁で、ルネ・クレマン監督、ルキノ・ヴィスコンティ監督など、既に名を成していた巨匠たちの作品でスターとなった。
 (左の写真) 『太陽がいっぱい』 マリー・ラフォレと

Rocco_and_His_Brothers
The_Joy_of_Living
『若者のすべて』 (1960年/監督:ルキノ・ヴィスコンティ)
アニー・ジラルドと
『生きる歓び』 (1961年/監督:ルネ・クレマン)
バルバラ・ラスと


 ・パリでの舞台 「あわれ彼女は娼婦」 (1961年/演出:ルキノ・ヴィスコンティ) で婚約者のロミー・シュナイダーと共演。
 1962年、ドイツ人歌手のニコがドロンの息子を出産。ドロンは父親であることを認めなかったが、男の子はドロンの母親に育てられた。
  (右の写真) 舞台 「あわれ彼女は娼婦」 ロミー・シュナイダーと
'Tis_Pity_She's_a_Whore
Tis_Pity_She's_a_Whore-2
 ドロンとロミーは1963年に破局したが、後年、『太陽が知っている』 (1969年)、『暗殺者のメロディ』 (1972年) で再共演した。
 (左の写真) 舞台 「あわれ彼女は娼婦」 出演時。ロミー・シュナイダーと

Famous_Love_Affairs
The_Eclipse
『素晴らしき恋人たち』 (1961年)
ブリジット・バルドー

『太陽はひとりぼっち』 (1962年/監督:ミケランジェロ・アントニオーニモニカ・ヴィッティ

 ・『地下室のメロディー』 (1963年/監督:アンリ・ヴェルヌイユ) でフランス映画界の御大ジャン・ギャバンと初共演。
 アメリカへ進出して 『黄色いロールス・ロイス』(1964年)、『泥棒を消せ』(1965年)アンソニー・クイン主演の戦争映画 『名誉と栄光のためでなく』、ディーン・マーティン主演の西部劇 『テキサス』 (1965年) に出演した。
 (右の写真) 『地下室のメロディー』 ジャン・ギャバン(左)と
Any_Number_Can_Win-2

The_Leopard-2
The_Black_Tulip
『山猫』 (1963年/監督:ルキノ・ヴィスコンティ)
クラウディア・カルディナーレ
『黒いチューリップ』 (1964年)
Joy_House
The_Yellow_Rolls-Royce
『危険がいっぱい』 (1964年/監督:ルネ・クレマン)
ジェーン・フォンダと

『黄色いロールス・ロイス』(1964年)
シャーリー・マクレーン


Nathalie_Delon  ・1964年、モデル、カメラマンのナタリー・バルテルミーと結婚。長男のアントニーを授かった。
 (左の写真) 妻のナタリーと

 ・アメリカでは成功を収めることが出来なかった。フランスに戻り、『冒険者たち』 、『サムライ』 (1967年) といった人気作品に出演。『サムライ』 で妻のナタリー・ドロンが銀幕デビューした。
 (右の写真) 『冒険者たち』 リノ・ヴァンチュラ (右)と
The_Last_Adventure-2

The_Samurai-2
Histoires_extraordinaires
『サムライ』 (1967年/監督:ジャン=ピエール・メルヴィル)
ナタリー・ドロンと

オムニバス 『世にも奇妙な物語』 「第2話 影を殺した男」
 (1968年/監督:ルイ・マル) ブリジット・バルドーと
The_Girl_On_A_Motorcycle
Adieu_l'ami
『あの胸にもういちど』 (1968年/監督:ジャック・カーディフ)
マリアンヌ・フェイスフルと

『さらば友よ』 (1968年)
チャールズ・ブロンソン(左)と

 ・1968年、ドロンのボディガードが何者かに殺害され、彼も容疑者として取り調べを受けるという事件が発生。妻のナタリーとは疎遠になり、別居を経て、1969年に離婚した。
Mireille_Darc  そんな折、『ジェフ』 (1969年) で共演したミレーユ・ダルクとパートナーになり、その関係は1982年まで続いた。
 尚、ナタリー・ドロンとは 『もういちど愛して』 (1971年) で再共演し、ミレーユ・ダルクとも別離後にTVドラマ (2003年) や舞台 「マディソン郡の橋」 (2007年) で再共演した。
 (左の写真) ミレーユ・ダルクと

The_Swimming_Pool
The_Sicilian_Clan
『太陽が知っている』 (1969年/監督:ジャック・ドレー)
ロミー・シュナイダーと

『シシリアン』 (1969年/監督:アンリ・ヴェルヌイユ)
ジャン・ギャバン(中央)、リノ・ヴァンチュラ(右)と


 ・本国フランスではジャン=ポール・ベルモンドの方が人気があったらしいが、日本では断然ドロンの方が上だった。洋服のCMにも起用された。
  「D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne  ダーバン、現代の男
  のエレガンス
」。
 (右の写真) 『ボルサリーノ』 ジャン=ポール・ベルモンド (左)と
Borsalino-2

The_Red_Circle
Red_Sun
『仁義』 (1970年/監督:ジャン=ピエール・メルヴィル) レッド・サン』 (1971年/監督:テレンス・ヤング)
三船敏郎(右)と

The_Assassination_of_Trotsky
Two_Men_in_Town
『暗殺者のメロディ』 (1972年/監督:ジョゼフ・ロージー)
ロミー・シュナイダーと

暗黒街のふたり』 (1973年)
ジャン・ギャバン (右)と


Zorro
 ・1968年に製作会社 Adel Productions を設立し、製作業にも進出していたが、『パリの灯は遠く』 (1976年) でセザール賞の作品賞を受賞。
 『危険なささやき』 (1981年)、『鷹』 (1983年) では自ら監督もこなし、『真夜中のミラージュ』 (1984年)でセザール賞の主演男優賞を受賞した。
 (左の写真) 『アラン・ドロンのゾロ』 (1975年)

Monsieur_Klein
The_Concorde_..._Airport_'79
『パリの灯は遠く』 (1976年/監督:ジョゼフ・ロージー)
ジャンヌ・モロー

『エアポート’80』 (1979年)
シルビア・クリステルと

For_a_Cop's_Hide
Notre_histoire
『危険なささやき』 (1981年/監督:アラン・ドロン)
アンヌ・パリローと

『真夜中のミラージュ』 (1984年)
ナタリー・バイと


 ・自身の歌 「Comme aucinema (1987年) のPVに出演したオランダ人モデルのロザリー・フォン・ブレーメンとパートナーとなり、2児を授かったが、2002年に別れた。
 (右の写真) ロザリー・フォン・ブレーメンと
Rosalie_van_Breemen

Une_chance_sur_deux
 ・ジャン=ポール・ベルモンドと共演した 『ハーフ・ア・チャンス』 (1998年) 出演後、引退を宣言したが、その後カムバックした。
 (左の写真) 『ハーフ・ア・チャンス』 ジャン=ポール・ベルモンド(左)と
 

 ・1990年、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章を授かる。
  1995年、ベルリン国際映画祭の金熊名誉賞を受賞。
  2005年、レジオン・ドヌール勲章のオフィシエ章を授かる。
  2019年、カンヌ国際映画祭のパルム・ドール名誉賞を受賞。授賞式で引退を表明した。
 (右の写真) カンヌ国際映画祭にて。83歳のアラン・ドロン。
Cannes_2019

 ・日本では、‟美男子=アラン・ドロン” という存在で、全盛期には、小さな子供からお年寄りまで、誰もが知っている人気スターだった。

< アラン・ドロン写真館 >

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Alain_Delon-3.

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