20世紀・シネマ・パラダイス

Megaphonebar
Louis_Malle

ルイ・マル

Louis Malle

1932-1995 (フランス)

Megaphonrbar

  ◆ 代表作

Ascenseur_pour_l'echafaud
 死刑台のエレベーター
 Ascenseur pour l'echafaud
 (1958年/フランス)
Les_Amants
 恋人たち
 Les amants
 (1958年/フランス)
Zazie_dans_le_metro
 地下鉄のザジ
 Zazie dans le metro
 
(1960年/フランス)
Le_Feu_follet
 鬼火
 Le Feu follet
 (1963年/仏・伊)
Lacombe_Lucien
 ルシアンの青春
 Lacombe Lucien
 (1974年/フランス)
Pretty_Baby
 プリティ・ベビー
 Pretty Baby
  (1978年/アメリカ)
Atlantic_City-2  アトランティック・シティ
  Atlantic City
 (1980年/仏・加)
Au_revoir_les_enfants
 さよなら子供たち
 Au revoir les enfants
 
(1987年/フランス)

   
     ◆
 25歳の若さでデビューし、様々なジャンルの映画を撮った才人

 ・1932年、 フランスのノール県にて、先祖代々、製糖業を営む大ブルジョワ一家に生まれた。カトリックの寄宿学校を経て名門ソルボンヌ大学に入学したが、14歳の時に 8mmカメラを買い与えられて以来、映画に夢中になっていた彼は両親を説得して大学を中退し、高等映画学院 (IDHEC) で映画を学んだ。

 ・海洋冒険家でアクアラングの発明者でもあるジャック=イヴ・クストーがアシスタントを求めて高等映画学院 (IDHEC) を訪ねた際に選抜され、ドキュメンタリー映画 『沈黙の世界』 (1956年) の共同監督を務めた。
  * 『沈黙の世界』 … カンヌ国際映画祭のパルム・ドール大賞、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。

 ・『死刑台のエレベーター』 (1958年) で 実質的な映画監督デビュー。当時のフランス映画のムーヴメント、‟ヌーヴェル・ヴァーグ” (新しい波) の先駆的な作品となった。マル自身は映画への批評や注釈を嫌い、ヌーヴェル・ヴァーグ運動には関わっていなかったが、弱冠25歳の新鋭監督が自己資金で撮った作品 は同運動を力強く後押しした。
 (右の写真) 撮影時。映画音楽を担当したマイルス・デイヴィスと
Ascenseur_pour_l'echafaud

Les_Amants-2
 ・前作に引き続きジャンヌ・モローをヒロインに起用した 『恋人たち』 (1958年) も大ヒット。ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。
 アメリカのオハイオ州では、本作を上映した映画館主がわいせつ罪で起訴され有罪判決となる騒動があった (その後、連邦最高裁判所で無罪判決になった)。
 (左の写真) 撮影時。ジャンヌ・モローと

 ・10歳の少女がパリを探検する36時間をファンタスティックに描いたコメディの傑作 『地下鉄のザジ』 (1960年) を監督。
 前2作品とは全く違うムードの作品で、映画監督として多才ぶりを発揮した。
 (右の写真) 300人の中から選ばれた主人公ザジ役のカトリーヌ・ドモンジョ
Zazie_dans_le_metro-2

 ・自殺を決意をした男の最期の48時間を描いた 『鬼火』 (1963年) でヴェネツィア国際映画祭の審査員特別賞を受賞。ゲシュタポとレジスタンスの闘争に巻き込まれた若者とユダヤ人娘の悲劇を描いた 『ルシアンの青春』 (1973年) は英アカデミー賞の作品賞を受賞した。
Vie_privee
Le_Feu_follet-2
『私生活』 (1962年) 撮影時
ブリジット・バルドーマルチェロ・マストロヤンニ(中央)と

ヴェネツィア国際映画祭(1963年) にて
『鬼火』 の主人公モーリス・ロネ(左)と

Viva_Maria!
Histoires_extraordinaires
『ビバ!マリア』 (1965年)撮影時
ジャンヌ・モロー(左)、ブリジット・バルドーと
『世にも奇妙な物語』 「第2話 影を殺した男」 (1968年) 撮影時
アラン・ドロン(左)と
Le_Souffle_au_Coeur
Lacombe_Lucien-2
『好奇心』 (1971年) 撮影時
ブノワ・フェルー(左)と

『ルシアンの青春』 (1973年) 撮影時
オロール・クレマン、ピエール・ブレーズ(右)と


Pretty_Baby-2
 ・アメリカへ渡り、『プリティ・ベビー』 (1978年) を監督。イングマール・ベルイマン監督とのコンビで知られた名カメラマンのスヴェン・ニクヴィストが撮影。
 12歳の娼婦に扮したブルック・シールズの体当たりの演技がセンセーションを巻き起こし、世界中でヒットした。
 (左の写真) 撮影時。ブルック・シールズと

 ・犯罪ドラマ 『アトランティック・シティ』 (1980年) がヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞。アカデミー賞では主要5部門、作品賞、監督賞、主演男優賞 (バート・ランカスター、主演女優賞 (スーザン・サランドン)、脚本賞でノミネートされたが無冠に終わった。
 (右の写真) 撮影時。バート・ランカスター(左)と
Atlantic_City

 ・その後、アメリカで 『My Dinner with Andore(1981年)、『クラッカーズ』 (1984年)、『アラモベイ』 (1985年) の3作品を撮った。また、『ブルース・ブラザーズ』(1980年) のジョン・ベルーシとダン・エイクロイドを主役に起用した政治風刺ドラマを撮る計画もあったが、ベルーシの急死 (1982年) で実現しなかった。

Au_revoir_les_enfants-2
 ・フランスに戻り、『さよなら子供たち』 (1987年) を製作・監督。
 少年時代にカトリックの寄宿学校で過ごしたマル監督の自伝的な作品。
 ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞 (2度目) し、セザール賞の作品賞、監督賞など7部門を受賞した。
 (左の写真) 撮影時。主役の子供たちと

Milou_en_mai
Damage
『五月のミル』 (1990年)
『ダメージ』 (1992年)
ジュリエット・ビノシェ と ジェレミー・アイアンズ


Vanya_on_42nd_Street
 ・アメリカで 『42丁目のワーニャ』 (1994年) を監督。アントン・チェーホフの戯曲 「ワーニャ伯父さん」 の舞台劇をリハーサルしている演出家や役者たちをドキュメンタリー・タッチで描いた作品。マル監督の遺作となった。
 (左の写真) 撮影時のマル監督

 ・私生活では、ジャンヌ・モロー、ミジャヌー・バルドー (ブリジット・バルドーの妹)等との交際を経て、1965年に翻訳家・女優のアン=マリー・デショットと結婚したが2年で離婚。
 『鬼火』 に出演したカナダ人女優のアレクサンドラ・スチュワルトとの間で娘を授かり、『好奇心』 に
出演したドイツ人女優のギラ・フォン・ヴィターハウゼンとの間では息子を授かったが、結婚には至らなかった。
 その後、スーザン・サランドンとの交際を経て、1980年にアメリカ人女優のキャンディス・バーゲンと結婚。娘を1人授かり、彼が亡くなるまで連れ添った。
 (右の写真) キャンディス・バーゲンとの結婚式時
Louis_Malle_&_Candice_Bergen

 ・1995年、カリフォルニア州ビバリーヒルズにて、63歳で他界。

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