20世紀・シネマ・パラダ
イス
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マルチェロ・マストロヤンニ
Marcello Mastroianni
1924-1996 (イタリア )
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◆ 代表作
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甘い生活
La dolce vita (1960年/イタリア)
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夜 La notte
(1961年/伊・仏) |
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イタリア式離婚狂想曲
Divorzio all'italiana
(1961年/イタリア)
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8 1/2
Otto e mezzo
(1963年/伊・仏)
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昨日・今日・明日
Ieri, Oggi, Domani
(1963年/イタリア)
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ひまわり
I Girasoli
(1970年/伊・仏・ソ)
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特別な一日
Una giornata particolare
(1977年/伊・加)
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黒い瞳
Oci ciornie
(1987年/イタリア)
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◆ イタリア映画界最大の名優
・1924年、
フォンタナ・リーリで生れ、トリノ、ローマで育った。学生時代に建築学を学び、ローマの自治体に就職したが、間もなく第2次世界大戦が勃発し、フィレン
ツェの軍事施設で兵役に就いた。休戦後、軍事施設がドイツ軍に占領され、ドイツへ移送されそうになったが脱走し、難を逃れた。 |
・戦後、演劇学校で演技を学び始めた。学生時代にエキストラとして3本の映画に出演しており、元々演技に興味を持っていたようである。演劇学校時代、クラスメートのシルヴァーナ・マンガーノがガールフレンドだったという。
(右の写真) デビュー前のマルチェロ・マストロヤンニ
・『レ・ミゼラブル』 (1948年) の端役で銀幕デビュー。俳優として最初に注目されたのは舞台だった。シェークスピア劇 「お気に召すまま」 (1948年) に出演した際、演出家の
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・1950年、女優のフローラ・カラベッラと結婚。翌51年に娘を授かった。
フローラとの夫婦生活は1970年に破綻したが、離婚はしておらず、彼が亡くなるまで法的には夫婦だった。
(左の写真) 妻のフローラ・カラベッラと |
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・舞台で注目され、映画 『Contro la Legge 』 (1950年) で初めて主役を務めたが、その後は助演の方が多く、主役クラスとしての地位を確立するまでには数年かかった。日本で初めて公開された彼の作品は、『にがい米』 (1949年) のジュゼッペ・デ・サンティス監督が撮った 『恋愛時代』 (1954年) だった。 |
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『Sensualita 』 (1952年) エレオノラ・ロッシ=ドラゴと
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『恋愛時代』 (1954年) マリナ・ヴラディと |
・ソフィア・ローレンと共演したコメディ 『バストで勝負』 (1955年/日本では1967年公開) 等がヒットし、イタリア国内では人気スターとしての地位を確立。『白夜』 (1957年/監督:ルキノ・ヴィスコンティ)で国際的にも名前が知られるようになり、『甘い生活』 (1960年/監督:フェデリコ・フェリーニ) で国際的な名声を得た。以後、名監督たちの名作に数多く出演し、イタリアを代表する映画俳優になった。 |
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『白夜』 (1957年) マリア・シェルと
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『甘い生活』 (1960年)
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・『イタリア式離婚狂想曲』 (1961年/監督:ピエトロ・ジェルミ) で、米アカデミー賞の主演男優賞 (1962年度) にノミネート。
オスカーは逃したが、ゴールデン・グローブ賞の主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) を受賞した。 |
・自身の出演作品の中での最高傑作と評していたのが 『8 1/2』 (1963年/監督:フェデリコ・フェリーニ)。自他共に認める代表作となった。アカデミー賞の外国語映画賞受賞作品。 |
・ヴィットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレンと組んだ全3話のオムニバス 『昨日・今日・明日』 (1963年) が、アカデミー賞の外国語映画賞 (1964年度) を受賞。主演作が2年連続でオスカーを獲得した。
デ・シーカとは、前述の 『バストで勝負』 等、何作かで共演していたが、彼の監督作品に出演したのは 『昨日・今日・明日』 が初めてだった。 |
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『昨日・今日・明日』 (1963年)
ソフィア・ローレンと |
『あゝ結婚』 (1964年/監督:ヴィットリオ・デ・シーカ)
ソフィア・ローレンと |
・伝説の美男子スター、ルドルフ・ヴァレンチノ (イタリア出身) に扮したミュージカル・コメディの舞台劇 「Ciao Rudy こんにちは、ルディ 」 (1966年)が大ヒット。フェデリコ・フェリーニ監督によって映画化される話もあったが実現しなかった。
(右の写真) ヴァレンチノに扮したマルチェロ・マストロヤンニ
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・『恋人たちの場所』 で共演したフェイ・ダナウェーと恋愛関係になったが、1970年に破局した。彼女が正式に結婚して子供を産むことを望んだためと言われている。 |
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『異邦人』
(1967年/監督:ルキノ・ヴィスコンティ) |
『恋人たちの場所』 (1698年/監督:ヴィットリオ・デ・シーカ)
フェイ・ダナウェーと |
・ヴィットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレンとトリオを組んだ3作目 『ひまわり』 (1970年) は、日本において、彼の作品で最も人気の高い作品となった。
『ジェラシー』 (1970年/監督:エットーレ・スコラ) でカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞。 |
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『ひまわり』 (1970年) ソフィア・ローレンと |
『ジェラシー』 (1970年) モニカ・ヴィッティと |
・『哀しみの終わるとき』 (1971年) で共演したカトリーヌ・ドヌーヴと恋愛関係になり、娘を授かったが、1975年頃に破局した。『ひきしお』 (1972年)、『モン・パリ』 (1973年)、『Non toccare la donna bianca 』 (1974年) でも共演した。
『特別な一日』 (1977年/監督:エットーレ・スコラ) でアカデミー賞の主演男優賞にノミネート(2度目)。 |
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『哀しみの終わるとき』 (1971年) カトリーヌ・ドヌーヴと |
『特別な一日』 (1977年) ソフィア・ローレンと |
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『今のままでいて』 (1978年) ナスターシャ・キンスキーと |
『女の都』 (1980年/監督:フェデリコ・フェリーニ) |
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『マカロニ』 (1985年/監督:エットーレ・スコラ)
ジャック・レモン(左)と |
『ジンジャーとフレッド』 (1985年/監督:フェデリコ・フェリーニ)
ジュリエッタ・マシーナと |
・『黒い瞳』 (1987年) でアカデミー賞の主演男優賞にノミネート (3度目)。カンヌ国際映画祭の男優賞を受賞 (2度目)。
オスカー像を獲得することは出来なかったが、外国語 (非英語) の作品で演技賞に3度もノミネートされた俳優は彼だけである (2019年現在)。 |
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『蜂の旅人』 (1986年/監督:テオ・アンゲロプロス)
ナディア・ムルージ と |
『黒い瞳』 (1987年)
エレナ・ソフォーノアと |
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『インテルビスタ』 (1987年/監督:フェデリコ・フェリーニ)
アニタ・エクバーグと |
『スプレンドール』 (1989年/監督:エットーレ・スコラ)
マッシモ・トロイージ(左)と |
・『BARに灯ともる頃』 (1989年/監督:エットーレ・スコラ)で、共演のマッシモ・トロイージと共にヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受賞。 |
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『BARに灯ともる頃』 (1989年/監督:エットーレ・スコラ)
マッシモ・トロイージ(右)と |
『みんな元気』 (1990年/監督:ジュゼッペ・トルナトーレ)
ミシェル・モルガンと |
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・1990年、ヴェネツィア国際映画祭の栄誉金獅子賞を受賞。
(左の写真) ヴェネツィア国際映画祭授賞式にて。
フェデリコ・フェリーニ監督(左)と
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『こうのとり、たちずさんで』 (1991年/監督:テオ・アンゲロプロス)
ジャンヌ・モローと |
『迷子の大人たち』(1992年)
シャーリー・マクレーンと |
・『Un, deux, trois, soleil 』 (1993年)でヴェネツィア国際映画祭の助演男優賞を受賞。『プレタポルテ』 (1994年/監督:ロバート・アルトマン) には、カトリーヌ・ドヌーヴとの間で授かったキアラ・マストロヤンニも出演した。
最晩年まで映画に出演し続け、遺作となった 『世界の始まりへの旅』 (1997年) は没後に公開された。 |
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『Un, deux, trois, soleil 』 (1993年) |
『プレタポルテ』 (1994年) ソフィア・ローレンと
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・遺作となった 『世界の始まりへの旅』 の撮影合間に撮られたドキュメンタリー 『Marcello Mastroianni - Mi ricordo, sì, io mi ricordo 』 (1997年) で様々な想い出を語っている。本作を撮ったアンナ・マリア・タト監督は、1976年から私生活でパートナーだった女性。2人とも彼の死期が近いことを悟っていたのも知れない。 (右の写真) 『Marcello Mastroianni - Mi ricordo, sì, io mi ricordo 』 … 日本ではNHKのBSで放送された。
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イタリアのアカデミー賞と言えるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の主演男優賞は5回受賞。同時代のヴィットリオ・ガスマン、アルベルト・ソルディは最多の
7回受賞しており、イタリア国内では彼等と人気を競っていたことが窺い知れるが、日本においては、イタリアの男優と言えばマルチェロ・マストロヤンニの独
壇場といった感さえあった。
(左の写真) 『8 1/2』 撮影時
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* ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 … 『昨日・今日・明日』 (1963年)、『あゝ結婚』 (1964年)、『ジンジャーとフレッド』 (1985年)、『黒い瞳』 (1987年)、『Sostiene Pereira 』 (1995年) の5作で受賞。
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・1998年、ヴェネツィア国際映画祭が、新人の俳優に贈られる ‟マルチェロ・マストロヤンニ賞” を新設。2011年には 『ヒミズ』 の染谷将太と二階堂ふみが受賞した。
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・2002年、アンナ・マリア・タト著作の 「マストロヤンニ自伝 わが映画人生を語る」 が出版された。
(右の写真) アンナ・マリア・タト |
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・2006年、ドキュメンタリー映画 『マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶』 が公開された。 |
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