20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ フェデリ
コ・フェリーニ監督の人気作
貧しい家庭に生れ育ち、ちょっとお頭(オツム)が
弱いが純粋無垢な心を持つジェルソミーナ。亡くなった姉の後釜として、1万リラで大道芸人のザンパノに買われ、ドサ回りの旅に出た。 |
ザンパノは怪力自慢の粗暴な男だ。ジェルソミーナは道化としての芸を仕込まれ、ザンパノと
大道で芸を披露するようになった。 |
ドサ回りの生活の中でも、ささやかな幸福を見出していたジェルソ
ミーナだったが、ザンパノ
の女癖の悪さには心を痛めていた…。 |
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ザンパノがまたも行きずりの女と関係した。嫌気がさしたジェルソミーナは逃げ出したが、そ
の日の夜に捕まり、連れ戻されてしまった。
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2人はローマに着き、あるサーカス団に合流した。そこの綱渡り芸人イルマット(キ印)は、何かとザンパノをからかい彼を怒らせたが、ジェルソミーナはイルマットが奏でる
バイオリンの哀しいメロディーに惹かれていた。
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イルマットがジェルソミーナをパートナーにしようとしたことがきっかけで、ザンパノと喧嘩
になった。ザンパノがナイフを手にイルマットを追いかけたので、2人は警察に捕まってしまった。
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ジェルソミーナは町を去るサーカス団に誘われたが、投獄されているザンパノを待つことにし
た。夜。彼女が途方に暮れていると、一足先に釈放されたイルマットが訪ねて来た。ジェルソミーナ「私は何の役にも立たない…。死んだほうがいい…」。
イルマット「どんな物でも何かの役に立っている…。この石ころだって…」
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ジェルソミーナとザンパノは再びドサ回りの旅に出た。ジェルソミーナはイルマットが奏で
ていたメロディーを上手に吹くことが出来るようになった。
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ジェルソミーナはザンパノに親近感を抱き始めていたが、優しい言葉の1つも掛けられること
が無かった。
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ある日、2人は偶然にイルマットと再会した。ザンパノが以前の恨
みを晴らすため殴りつけ、頭を
打ったイルマットはその場で事切れてしまった。
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ザンパノは死体を打ち捨て、ドサ回りの旅を続けたが、ジェルソ
ミーナはショックのあまり気
が触れてしまった。彼女のことを持て余すようになったザンパノは…。
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『道』 予告編
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◆ 主な出演者など
イルマット役
リチャード・ベイスハート |
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・フェリーニ監督が、名パートナーだったトゥリオ・ピネリと共同で執筆したオリジナル・ス
トーリー。脚色には、同じく名パートナーだったエンニオ・フライアーノも参加している。
* トゥリオ・ピネリ …
フェリーニ監督のデビュー作から
『魂のジュリエッタ』(1964年)までの全作品と、『ジンジャーとフレッド』(1985年)、フェリーニ監督の遺作『ボイス・オブ・ムーン』(1990
年)でコラボした脚本家。(右の写真)フェリーニ監督(左)、トゥリオ・ピネリ
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・フェリーニ監督は妻のジュリエッタ・マシーナをイメージして脚本を執筆した。最初に映画
化を打診した『白い酋長』(フェリーニの単独監督デビュー作)の製作者はジュリエッタ・
マシーナの主演にNGを出し、最終的にGOサインを出したディノ・デ・ラウレンティスも、当初は自分の妻であるシルヴァーナ・マンガーノとバート・ランカスターの主演を持ちかけていた。(左の写真)フェリーニ監督、ジュリエッタ・マシーナ
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・アンソニー・クインの出演は、『Donne proibite』(1954年/主演:リンダ・ダーネル)で
ジュリエッタ・マシーナと共演していたことがきっかけだった。当初、アンソニー・クインはあまり乗り気ではなかったが、フェ
リーニ監督の『青春群像』(1953年)を観て、気持ちが一変したという。
(右の写真)右から時計回りに、フェリーニ監督、アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ
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・ヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞(監督賞)、アカデミー賞の外国語映画賞(1956年度)を受賞。日本では、フェリーニ監督の作品で最初に公開された作品であり、キネマ旬報ベストテンの第
1位(1957年度) に選出された。ニーノ・ロータの主題曲と共に、映画
ファンに愛され続けている珠玉の名作。
(左の写真)左から、フェリーニ監督、ジュリエッタ・マシーナ、ディノ・デ・ラウレンティス(製作者)。オスカー像を
手に。
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◆ ピックアップ … ジュリエッタ・マシーナ
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Giulietta Masina
1921-1994 (イタリア)
・1921年、イタリアのボローニャ生れ。学生の頃から演劇活動に取り組み、大学卒業後、ラジオドラマの声優をしている時に、脚本家だっ
たフェ
デリコ・フェリーニと出会い、結婚(1943年)。フェリーニが脚本家として名を連ねた
『戦火のかなた』(1946年/監督:ロベ
ルト・ロッセリーニ)で銀幕デビューをした。
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・『道』での演技が、「偉大なチャップリンを彷彿とさせる」
と絶賛され、同じくフェリーニが監督した『カビリアの夜』(1957年)の演技でカンヌ国際映画祭の女優
賞を受賞。自身が国際的な名声を得ただけでなく、夫がイタリアを代表する巨匠となるのに多大な貢献をした。 |
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『ヨー
ロッパ
1951年』(1952年/監督:ロベルト・ロッセリーニ)
イングリッド・バーグマン(右)と
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『道』
(1954年)
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『崖』
(1955年/監督:フェデリコ・フェリーニ)
リチャード・ベイスハートと |
『カ
ビリアの夜』(1957年)
フランソワ・ペリエと |
・キャサリン・ヘッ
プバーンと共演した『シャイヨの伯爵夫人』(1969年)以後は銀幕から遠ざかっていた(時たまTVには出演してい
た)が、フェリーニ監督の『ジンジャーとフレッド』(1985年)等で元気
な姿を披露した。
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・1944年に妊娠したが流産し、翌1945年に授かった子も生後間もなく他界。子宝には
恵ま
れなかった。
・1994年、73歳で他界。フェリーニが亡くなってから5ヶ月後だった。
(右の写真)フェデリコ・フェリーニ、ジュリエッタ・マシーナ
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