20世紀・シネマ・パラダイス
ロベルト・ロッセリーニ
Roberto Rossellini
1906-1977 (イタリア)
◆
代表作
無防備都市
Roma, citta aperta
(1945年/イタリア)
戦火のかなた
Paisa
(1946年/イタリア)
ドイツ零年
Germania anno zero
(1948年/イタリア)
神の道化師、フランチェスコ
Francesci, giullare di Dio
(1950年/イタリア)
イタリア旅行
Viaggio in Italia
(1954年/伊・仏)
ロベレ将軍
Il generale Della Rovere
(1959年/イタリア)
◆
イタリア・ネオレアリズモの巨匠
・
1906年
、ローマ生れ。父親は著名な建築家で裕福な家庭だった。30歳頃から映画の仕事に携わるようになり、数本の短編映画を撮った。
《 ファシスト3部作 》
・初の長編は海軍の病院船の活動を描いた『白い船』
(1941年)
。その後、空軍のパイロットの活躍を描いた『ギリシャからの帰還』
(1942年)
、陸軍の従軍司祭を描いた『十字架の男』
(1943年)
を監督した。
《 戦争3部作 》
・ローマ解放後、製作資金の工面に奔走し、撮影機材も不十分な状況下で、『無防備都市』
(1945年)
を撮った。ナチス占領下のローマで命を落とした実在の人物たちをモデルに、ナチスの弾圧とレジスタンス活動に従事する市民たちをドキュメンタリー・タッチで描いた。 世界中に衝撃を与え、ネオレアリズモ映画の幕開けを告げる記念碑的作品となった。カンヌ国際映画祭で大賞(パルムドール)を受賞。
『無防備都市』(1945年)
アンナ・マニャーニ
、アルド・ファブリーツィ
『無防備都市』撮影時
アンナ・マニャーニ
と
・『戦火のかなた
』(1946年)。
連合軍のシチリア上陸からイタリア解放までに、イタリアの各地であった実話を基にした全6話のオムニバス作品。日本では『無防備都市』よりも先に戦後初のイタリア映画として公開された。
(右の写真)『戦火のかなた』第2エピソード
・『ドイツ零年』
(1948年)
。廃墟となったベルリンで、心が荒廃していくドイツの少年を描いた。
『ドイツ零年』の前に、アンナ・マニャーニ主演の『アモーレ』
(1948年)
を監督。『無防備都市』、『戦火のかなた』に脚本家として名を連ね、後にイタリアを代表する名監督となる
フェデリコ・フェリーニ
が俳優として出演した。
(左の写真)『ドイツ零年』
エドモンド・メシュケ
《 イングリッド・バーグマンとのコラボ 》
・『無防備都市』、『戦火のかなた』に衝撃・感銘を受けた
イングリッド・バーグマン
から手紙が届いた。両人とも既婚者で子供もあったが、初めて組んだ作品『ストロンボリ/神の地』
(1950年)
の撮影中に恋に落ち、各々の離婚が成立してから結婚
(1950〜1957年)
した。
(右の写真)イングリッド・バーグマンと
『ストロンボリ/神の地』
(1950年)
『ヨーロッパ 1951年』(1952年)
『我ら女性』(1953年)… オムニバスの第3話
『イタリア旅行』(1954年)
『不安』(1954年)
『火刑台上のジャンヌ・ダルク』(1954年)
・バーグマンとは6作品で組んだ。
ジャン=リュック・ゴダール
が『イタリア旅行』
(1954年)
を称賛するなど、後年再評価された作品もあるが、公開当時はどれも不人気で2人の結婚生活は破綻した。
(左の写真)『火刑台上のジャンヌ・ダルク』撮影時
イングリッド・バーグマンとロッセリーニ監督(右)
・この時期、バーグマンの主演作以外にも、カトリック教会フランシスコ会の創設者を描いた『神の道化師、フランチェスコ』
(1950年)
、オムニバス映画『七つの大罪』
(1952年)
の第4話「ねたみ」等を撮った。
《 バーグマンと破局後 》
・ロッセリーニと同じく、イタリア・ネオレアリズモの立役者の1人である
ヴィットリオ・デ・シーカ
を主役にした『ロベレ将軍』
(1959年)
が、ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞。復活を印象づけ、『ローマで夜だった』、『イタリア万歳』
(1960年)
等を監督。
『ロベレ将軍』
(1959年)
ヴィットリオ・デ・シーカ(中央)
ヴィットリオ・デ・シーカ (左)と
・一時期、活動の場をTVに移したが、11年ぶりに劇場用映画『元年』
(1974年)
を撮り、次作の『救世主』
(1974年)
が最後の劇場用映画となった。
・
1977年
、
71歳
で他界。
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