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Megaphonebar
Vittorio_De_Sica

ヴィットリオ・デ・シーカ

Vittorio De Sica

  1901-1974 (イタリア)

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  ◆ 代表作

Sciuscia
Ladri_di_biciclette
靴みがき
Sciuscia
(1946年/イタリア)
自転車泥棒
Ladri di Biciclette
(1948年/イタリア)
Miracolo_a_Milano
Umberto_D.
ミラノの奇蹟
Miracolo a Milano
(1951年/イタリア)
ウンベルト・D
Umberto D.
(1952年/イタリア)
Stazione_Termini
Ieri,_oggi,_domani
終着駅
Stazione Termini
(1953年/伊・米)
昨日・今日・明日
Ieri, Oggi, Domani
(1963年/イタリア)
I_Girasoli
Il_giardino_dei_Finzi_Contini
ひまわり
I Girasoli
(1970年/伊・仏・ソ)
悲しみの青春
Il Giardino dei Finzi-Contini
(1971年/イタリア)


    俳優としても活躍したイタリア・ネオレアリズモの巨匠

 ・1901年、イタリアのラツィオ州ソーラ生れ。子供の頃から演劇が好きで、アマチュア劇団の舞台に立ち、映画『Il processo Clemenceau(1917年)にも出演した。

 ・1922年、プロの俳優として舞台デビュー。人気スターとなり、映画『殿方は嘘吐き』(1932年)、『ナポリのそよ風』(1937年)等で主役を務めた。

 ・主役も兼ねた『紅いバラ』(1940年)で、ジュゼッペ・アマトとの共同で監督デビュー。その後、1人立ちして3本のコメディ映画を監督した。
  * ジュゼッペ・アマト … 『自転車泥棒』(1948年)、『ウンベルト・D』(1952年)、フェリーニ監督の『甘い生活』(1960年)等の製作者。

 ・5作目の『子供たちは見ている』(1944年)で監督としての本領を発揮。脚本家の1人として名を連ねたのがチェーザレ・ザヴァッティーニ。以後、ザヴァッティーニとの名コンビで数多くの名作を生み出していくこととなった。
 (右の写真)脚本家のチェーザレ・ザヴァッティーニ(右)と
Cesare_Zavattini

Sciuscia-2  ・7作目の『靴みがき』(1946年/脚本:ザヴァッティーニ他)が、米アカデミー賞の特別賞(現在の外国語映画賞)を受賞。
 デ・シーカ監督が国際的な名声を確立したネオレアリズモの初期の名作。
 (左の写真)『靴みがき』 リナルド・スモルドーニ(中央)、フランコ・インテルレンギ(右)

 ・9作目の『自転車泥棒』(1948年/脚本:ザヴァッティーニ他)も、米アカデミー賞の特別賞(現在の外国語映画賞)を受賞。
 ネオレアリズモを代表する名作であり、デ・シーカ監督はイタリアを代表する巨匠の地位を確立した。
 (右の写真)『自転車泥棒』エンツォ・スタヨーラ(左)、ランベルト・マジョラーニ
Ladri_di_biciclette-3

Miracolo_a_Milano-2  ・3年ぶりの作品『ミラノの奇蹟』(1951年/脚本:ザヴァッティーニ他)は、カンヌ国際映画祭のパルム・ドール大賞受賞した。
 主人公が空を飛ぶシーンは、スティーヴン・スピルバーグの『E.T.』(1982年)に影響を与えたとも言われているファンタジーの名作。
 (左の写真)『ミラノの奇蹟』 フランチェスコ・ゴリザーノ

 ・『ウンベルト・D』(1952年/脚本:ザヴァッティーニ)では、貧しく孤独な老人の絶望を描いた。主人公モデルはデ・シーカ監督の父親ウンベルト・デ・シーカ。父親に捧げたこの作品はデ・シーカ監督本人のお気に入りだったが、興行的には振るわなかった。ニューヨーク映画評論家協会賞の外国語映画賞を受賞。
 (右の写真)『ウンベルト・D』 カルロ・バティスティ
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Stazione_Termini-4
 ・ハリウッドの大プロデューサー、デビッド・O・セルズニック製作の『終着駅』(1953年/脚本:ザヴァッティーニ他)を監督。
 セルズニックの最後の作品となった『武器よさらば』(1957年)には俳優として出演し、アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされた。
 (左の写真)『終着駅』 ジェニファー・ジョーンズモンゴメリー・クリフト

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Stazione_Termini-3
『終着駅』(1953年)撮影時
ジェニファー・ジョーンズと

『終着駅』(1953年)撮影時
モンゴメリー・クリフト(左)と

 ・『ふたりの女』(1960年/脚本:ザヴァッティーニ)では、ソフィア・ローレンにアカデミー賞主演女優賞をもたらした。
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La_Ciociara
『ふたりの女』(1960年)
ソフィア・ローレン

『ふたりの女』撮影時
ソフィア・ローレンと

 ・3話から成るコメディ『昨日・今日・明日』(1963年/脚本:ザヴァッティーニ他)は、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。
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Ieri,_oggi,_domani-2
『昨日・今日・明日』(1963年)
マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン
『昨日・今日・明日』撮影時
マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレンと

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『ああ結婚』(1964年)
マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン
『ああ結婚』撮影時
ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ(右)と
Le_Streghe
/Amanti
オムニバス『華やかな魔女たち』(1966年)
シルヴァーナ・マンガーノ、クリント・イーストウッド

恋人たちの場所』(1968年)
フェイ・ダナウェー、マルチェロ・マストロヤンニ


 ・晩年にも名作を撮った。『ひまわり』(1970年/脚本:ザヴァッティーニ)は、ヘンリー・マンシーニの主題曲とともに映画ファンに愛され続けている人気作品。
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I_Girasoli-4
『ひまわり』(1970年)
マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン

『ひまわり』撮影時
マルチェロ・マストロヤンニ(左)、ソフィア・ローレンと

 ・『悲しみの青春』(1971年)は、ベルリン国際映画祭の金熊賞、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞。音楽は息子のマニュエルが作曲した。
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『悲しみの青春』(1971年)
ドミニク・サンダ、リノ・カポリッチオ

『悲しみの青春』撮影時
ドミニク・サンダと


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 ・監督として巨匠の地位を確立してからも、俳優として映画に出演し続けた。中には、新作を撮る資金を稼ぐ為に、仕方なく出演した作品もあったという。
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Pane,_amore_e_fantasia
『たそがれの女心』(1953年)
シャルル・ボワイエ(左)、ダニエル・ダリュー

『パンと恋と夢』(1953年)
ジーナ・ロロブリジーダ
La_Bella_mugnaia Montecarlo
『バストで勝負』(1955年)
ソフィア・ローレンと
『モンテカルロ物語』(1957年)
マレーネ・ディートリッヒ
A_Farewell_to_Arms
Il_Generale_della_Rovere
『武器よさらば』(1957年)
ジェニファー・ジョーンズ、ロック・ハドソン(右)と

『ロベレ将軍』(1959年/監督:ロベルト・ロッセリーニ

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 ・4作品が米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞。これはフェデリコ・フェリーニ監督と共に歴代最多である。
 (右の写真) 『自転車泥棒』で獲得したオスカー像を手にするデ・シーカ監督
 
 ・イタリアのアカデミー賞とも言えるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(1956年〜)では、『殿方ごろし』(1955年)で主演男優賞、『アルトナ』(1962年)、『ああ結婚』(1964年)で監督賞、『悲しみの青春』(1971年)で作品賞を受賞した。
 * 作品賞は1970年に新説された。
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 ・1974年73歳で他界。
 

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