20世紀・シネマ・パラダ イス
ロック・ハドソン
Rock Hudson
1925-1985(アメリカ)
◆
代表作
心のともしび
Magnificent Obsession
(1954年/アメリカ)
天はすべて許し給う
All That Heaven Allows
(1955年/アメリカ)
風と共に散る
Written on the Wind
(1956年/アメリカ)
ジャイアンツ
Giant
(1956年/アメリカ)
夜を楽しく
Pillow Talk
(1959年/アメリカ)
恋人よ帰れ
Lover Come Back
(1961年/アメリカ)
◆
立派な体格と甘いマスクで人気を博す
・
1925年
、イリノイ州生れ。本名は
Roy Harold Scherer Jr.
。4歳の時に両親が離婚し、母親に育てられた。映画館でアルバイトをして演技に興味を覚え、演劇学校を受験したが不合格に。高校卒業後、海軍に入隊し、フィリピン諸島で爆撃機の整備士を務めた。
・1946年、海軍を除隊し、ロスアンゼルスに移住。トラックの運転手などをしながら南カリフォルニア大学の演劇科を受験したが落第。自分の写 真をタレント・エージェントに送付したところ、その中の1人ヘンリー・ウィルソンに見出され、193cmの立派な体格ゆえ、ジブラルタルの岩とハドソン川を合わせた‟ロック・ハドソン”の芸名を授けられた。
・エドモンド・オブライエン主演の『特攻戦闘機中隊』
(1948年/監督:
ラオール・ウォルシュ)
で銀幕デビュー。台詞を吐く場面ではNGを連発し、38回目で漸くOKとなったとのエピソードも。その後、ユニヴァーサル社と契約し、2作目の『
Undertow
』
(1949年)
で初めて名前が表記された。
(右の写真)『特攻戦闘機中隊』左から、ロバート・スタック、ロック・ハドソン、エドモンド・オブライエン
・
ジェームズ・ステュアート
主演の『ウインチェスター銃 '73』
(1950年)
でアメリカ先住民に扮するなど、脇役、助演クラスを経て、『
Scarlet Angel
』
(1952年)
で初めて主演男優となり、以後、B級のアクション映画を中心に活躍するようになった。
(左の写真)『ウインチェスター銃 '73』
・メロドラマ『心のともしび』
(1954年)
がヒットし、人気スターに。監督のダグラス・サーク、主演女優の
ジェーン・ワイマン
とは『天はすべて許し給う』
(1955年)
でもタッグを組み、ダグラス・サーク監督とは合計8作品で組んだ。
(右の写真)『心のともしび』 ジェーン・ワイマンと
『天はすべて許し給う』
(1955年)
ジェーン・ワイマンと
『風と共に散る』(1956年/監督:ダグラス・サーク)
ローレン・バコール
と
・
ジョージ・スティーヴンス
監督の大作
『ジャイアンツ』
(1956年)
の主役に抜擢され、時代の波に押し流されてゆく古きアメリカの象徴である牧場主を堂々と演じ、アカデミー賞主演男優賞にノミネート。トップスターの仲間入りを果たした。
(左の写真)『ジャイアンツ』
エリザベス・テイラー
と
・1957年のドル箱
(マネー・メイキング)
ス ター・ベストテンで第1位になり、以後、1958年(第5位)、1959年(第1位)、1960年(第2位)、1961年(第1位)、1962年(第2 位)、1963年(第3位)、1964年(第3位)と8年連続でランクイン。当時、アメリカで最も人気の高い男優の1人だった。
・
『風と共に去りぬ』
の大プロデューサー、デビッド・O・セルズニックの『武器よさらば』
(1957年)
に出演。当初の監督
ジョン・ヒューストン
が途中解任される等のトラブルもあって失敗作に。ロック・ハドソンは
『ベン・ハー』
(1959年)
等のオファーを辞退しての出演だったが、後々までこの時の判断を後悔していたという。
(右の写真)『武器よさらば』
ジェニファー・ジョーンズ
と
・彼の人気絶頂期、女優で1番人気だったのが
ドリス・デイ
。そんな2人が共演したラブ・コメディ作『夜を楽しく』
(1959年)
、『恋人よ帰れ』
(1961年)
、『花は贈らないで』
(1964年)
は大ヒットした。
(左の写真)『夜を楽しく』 ドリス・デイと
『恋人よ帰れ』
(1961年)
ドリス・デイと
『九月になれば』(1961年)
ジーナ・ロロブリジータ
と
・1960年代後半に入っても、『セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身』
(1966年)
のようなカルト的な人気作に出演したが、従前のような興行成績を収めることが出来なくなった。
人気スターだったが、後世の映画ファンからも広く愛されるような作品は『ジャイアンンツ』だけに終わった。
(右の写真)『大いなる男たち』(1969年)
ジョン・ウェイン
(左)と
・1970年代はTVを中心に活躍。主役を務めた「署長マクミラン」は、1971年〜1977年までに全40話が放映された人気番組だった。
・アガサ・クリスティ原作のオールスター・キャスト作品『クリスタル殺人事件』
(1980年)
でエリザベス・テイラーと再共演し、往年のファンを喜ばせた。
(左の写真)『クリスタル殺人事件』
キム・ノヴァク
(左)、エリザベス・テイラーと
・1985年7月、ドリス・デイの新番組「
Doris Day's Best Friends
」の発表記者会見に、初回のゲストである彼も一緒に登場。激ヤセした彼の健康状態について様々な憶測が飛び交った。当初、肝癌に侵されていると発表されたが、記者会見から9日後、エイズに侵されているとの声明が出され、世界中に衝撃を与えた。
(右の写真)ドリス・デイと。1985年7月。
・私生活では、エージェントのヘンリー・ウィルソンの秘書だったフィリス・ゲイツと1955年に結婚したが、3年後に離婚した。
彼が同性愛者だという噂はかなり早い時期からあり、この結婚は彼のキャリアを守るための偽装結婚だったとも言われている。
(左の写真)フィリス・ゲイツとの結婚式時
・
1985年10月
、
59歳
で他界。エイズで亡くなった最初の世界的な著名人だった。
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