20世紀・シネマ・パラダイス
ドリス・デイ
Doris Day
1922- 2019(アメリカ)
◆
代表作
カラミティ・ジェーン
Calamity Jane
(1953年/アメリカ)
知りすぎていた男
The Man Who Knew Too Much
(1956年/アメリカ)
夜を楽しく
Pillow Talk
(1959年/アメリカ)
恋人よ帰れ
Lover Come Back
(1961年/アメリカ)
◆
好感度抜群のそばかす美人
・
1922年
、オハイオ州生れ。本名は
Doris Mary Ann von Keppelhoff
。当時人気のあった映画女優のドリス・ケニヨンにちなんで ‟ドリス”と名付けられた。
*
ドリス・ケニヨン … サイレント期に活躍し、トーキー後も『巨人登場』(1933年/監督:
ウィリアム・ワイラー
)等に出演した。
・プロのダンサーを志し、地元シンシナティの舞台にも出演していたが、15歳の時に事故 で右足大腿骨を骨折。ベッドに寝たきりで、ラジオの楽曲に合わせて唄っているうちに歌手に憧れるようになった。特にエラ・フィッツ ジェラルドの歌声に魅了されたという。怪我の回復後、歌のレッスンを受け始めた。
(右の写真)13歳の時のドリス・デイ。当時のダンス・パートナーと
・ 1939年、ジャズのビッグバンドの歌手としてキャリアをスタート。バンド・リーダーのバーニー・ラップから‟ドリス・デイ”の芸名を授かった。その後、 いくつかのビッグバンドを経て、1941年にレス・ブラウン楽団に加入。1944年発表の「センチメンタル・ジャーニー」が大ヒットし、人気歌手に。 1946年、ソロ歌手となり、
ボブ・ホープ
のラジオ番組等で活躍した。
(左の写真)レス・ブラウン、ドリス・デイ
・『洋上のロマンス』
(1948年/監督:
マイケル・カーティス
)
で銀幕デビューし、『二人でお茶を』
(1950年)
、『カラミティ・ジェーン』
(1953年)
、『情欲の悪魔』
(1955年)
といったミュージカルのヒット作に出演。
(右の写真)『洋上のロマンス』 ジャック・カーソンと
『カラミティ・ジェーン』
(1953年)
『情欲の悪魔』
(1955年)
ジェームズ・キャグニー
と
・『知りすぎていた男』
(1956年/監督:
アルフレッド・ヒッチコック
)
の中で唄った
「ケ・セラ・セラ」
は大ヒットし、「センチメンタル・ジャーニー」と並ぶ代表曲となった。
(左の写真)『知りすぎていた男』
ジェームズ・ステュアート
と
・ロマンチック・コメディ作『夜を楽しく』
(1959年)
で、アカデミー賞主演女優賞にノミネートもされた。
ロック・ハドソン
とは、『恋人よ帰れ』
(1961年)
、『花は贈らないで』
(1964年)
でも共演。私生活でも良き友人となった。
(右の写真)『夜を楽しく』 ロック・ハドソンと
『恋人よ帰れ』
(1961年)
ロック・ハドソンと
『花は贈らないで』
(1964年)
ロック・ハドソンと
・人気のバロメーター、ドル箱
(マネー・メイキング)
スター・ベストテンでは、1951年(第9位)、1952年(第7位)、1959年(第4位)、1960年(第1位)、1961年(第3位)、1962〜1964年(第1位)、1965年(第3位)、1966年(第8位)に。
・第1位に4回もランクしたのは、女優では彼女と子役の
シャーリー・テンプル
だけ。本国アメリカで高い人気を誇った。
(左の写真)『ミンクの手ざわり』(1962年)で共演した
ケーリー・グラント
と
・1968年にスタートしたTV番組「ドリス・デイ・ショー」 は高い人気で1973年まで続いた。実は、1968年に亡くなった3番目の夫と彼のビジネス・パートナーが不動産投資に失敗して莫大な借金をしていたこと が発覚し、TV番組への出演を余儀なくされたとも言われている。
(右の写真)「ドリス・デイ・ショー」出演当時
・1978年、ペットの保護団体を設立。以後、動物の保護にも尽力していた。
・1989年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞。
・2009年、グラミー賞の特別功労賞(生涯業績賞)を受賞。
・2011年、大統領自由勲章を授与される。
・
2019年
、
97歳
で他界。
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