20世紀・シネマ・パラダ イス

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     ジャイアンツ
     Giant
     監督:ジョージ・スティーヴンス
     (1956年/アメリカ)
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 テキサス の大牧場主一家の30年を描いた大河ドラマ

 1920年頃。テキサスの大牧場主ジョーダ ン・‟ビック”・ベネディクト2世は、種付け用の名馬を買うため東部のメリーランドへ行き、良家の令嬢レズリーと惹かれ合って結婚した。
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 ベネディクト家はビックの姉のラズが 切り盛りしており、ビックと仲の悪い牧童ジェット・リンクは、ラズのおかげで首を免れていた。 レズ リーは東部との習慣の違いに戸惑っていたが、持ち前の気丈夫さで次第に馴染んでいった。
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 ビックをはじめテキサス人は、牧場で下働きをしているメキシコ人を見下して差別していた が、レズリーは隣人として接し、ラズの反感を買っていた。
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 ある日、レズリーがジェットの案内でメキシコ人の集落を訪ね、病人の世話をしている時、ラ ズがレズリーの愛馬を乗りこなそうとして落馬し、命を落とした。
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 ラズは牧場の一画をジェットに寄贈するとの遺書を残していた。牧場を分割したくないビック は地価の倍の現金を支払うと言ったが、ジェットはそれを断り、小さいながらも自分の土地を手に入れた。
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 お互いに気の強いビックとレズリーは時に喧嘩をしながらも愛し合い、男女の双子を授かっ た。
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 レズリーはメキシコ人の集落を訪ねた帰りにジェットの家に招待さ れた。ジェットはレズリー に想いを寄せており、家の壁には彼女の写真が貼られていた。
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 ビックとレズリーは3人目の子供にも恵まれたが、育児の考えに隔たりがあった。双子の4歳 の誕生日、ビックは泣 いて嫌がる息子を無理やり馬に乗せた。その夜、レズリーは子供たちを連れて暫らく里帰りすることを告げた。
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 夫婦は感謝祭を別々に過ごした。レズリーの妹の結婚式で久々に顔を合わせた2人は、愛し 合っ ていることを再確認し、一緒にテキサスへ戻った。そして、ジェットは地下に石油があると踏み、借金をして土地を掘っていたが、遂に油脈を掘り当てた…。
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 『ジャイアンツ』 予告編



  主な出演者など

レズリー役
エリザベス・テイラー
ビック役
ロック・ハドソン
ジェット役
ジェームズ・ディーン
Elizabeth_Taylor Rock_Hudson
James_Dean

ラズ役 … マーセデス・マッケンブリッジ
ジョーディ役 … デニス・ホッパー
ラズ2世役キャロル・ベイカー
アンヘル役 … サル・ミネオ

 ・女流作家エドナ・ファーバーが12年かけて執筆した大河小説「Giant(1952年)の映画化作品。
 * エドナ・ファーバー … 「ショウ・ボート」(1929年、1936年、1951年と3度映画化)、「シマロン」(1931年、1960年と2度映画化)、「サラトガ本線」 (1950年に映画化)等の小説家。
 (右の写真)エドナ・ファーバー、ジョージ・スティーヴンス監督
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 ・ビック役には、クラーク・ゲー ブルゲーリー・クーパージョン・ウェインといった大物が候補として挙がっていたが、年齢が高過ぎると見送られた。その 後、ウィリアム・ホールデンスターリング・ヘイドンなどが候補となったが、スティーヴン ス監督がロック・ハドソン主演の 『決斗!一対三』(1953年)を観て、彼の起用を決めたと言われてい る。
 (左の写真) エリザベス・テイラー、ロック・ハドソン

 ・レズリー役はオード リー・ヘップバーンが辞退。エリザベス・テイラーとグレース・ケリーが最終候補 として残り、スティーヴンス監督がロック・ハドソンに意見を求めた結果、エリザベス・テイラーの起用が決まったという。本作はワーナー・ブラザース社の作 品だが、ロック・ハドソンはユニヴァーサル社、エリザベス・テイラーはMGM社から借り受けての起用だった。(右の写 真)ロック・ハドソン、エリザベス・テイラー
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 ・ジェット役は、第一候補だったアラ ン・ラッドに辞退され、この役を得たくてアピールしていたジェームズ・ディーンが起用された。
 自分の考えに妥協を許さぬ完璧主義者のジョージ・スティーヴンス監督と、役作りに熱中するジェームズ・ディーンとは、時に軋轢を生じさせながらの撮影 だったという。
 (左の写真)ジェームズ・ディーン

 ・キャストも決まり、いざ撮影開始という頃に、エリザベス・テイラーが妊娠(2人目の子)していることが判明。彼女が出産(1955年2月)し、 現場復帰出来るまで撮影が延期された。この期間に、ジェームズ・ディーンは『理 由なき反抗』(1955年)に出演し、『ジャイアンツ』 の撮影は1955年5月に開始された。
 (右の写真)エリザベス・テイラー、ジェームズ・ディーン
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 ・マーセデス・マッケンブリッジのカウボーイ・ハットはゲーリー・クーパーから贈られたも のだった。撮影所で偶然に居合わせたクーパーが、彼女の真新し い帽子を見て、手持ちの衣装から取り寄せたもので、馬の小便のシミがあったという。クーパー曰く、「馬の小便のシミはテキサス人の誇りです」。 ジェームズ・ディーンに横取りされそうになったとのエピソードも。(左の写真)マーセデス・マッケンブリッジ、ジェーム ズ・ディーン

 ・自身の出演シーンを撮り終えたジェームズ・ディーンが事故死(1955年9月30日)し、エリザベス・テイラーはショックで数日間寝込んでしまったという。ラストのロック・ハ ドソンとの対話のシーンはディーンの死後に撮影された。ディーン演じるジェッ ト・リンクが泥酔して演説するシーンの台詞の一部が聞き取りづらかったため、ニック・アダムスによって吹き替えられた。(右 の写真)エリザベス・テイラー、ジェームズ・ディーン
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 ・ジョージ・スティーヴンス監督は、一つのシーンを多くの角度から撮影するスタイルだった ため、最終的に撮影されたフィルムは約100時間分(完成した作品は3時間21分)にも及んだ。編集作業 に1年を要し、この間、スティーヴンス監督は無報酬だった という。同監督が映画化に着手してから4年後の1956年10月に作品が公開された。(左の写真)左から、ジョージ・ス ティーヴンス監督、エリザベス・テイラー、ロック・ハドソン

 ・ワーナー・ブラザース社最大のヒット作(当時)と なり、アカデミー賞では、作品賞、主演男優賞(ロック・ハドソンとジェームズ・ディーン)、助演女優賞(マーセデス・マッケンブリッジ)等、9部門で10のノミネーションを受け、ジョージ・スティーヴンス監督が『陽 のあたる場所』(1951年)以来、2度目の監督賞を受賞した。
 (右の写真)オスカー像を手にするジョージ・スティーヴンス監督
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 ところで、映画の原題は‟Giant”。単数形なのに、邦題は『ジャイアンツ』と複数形になっているのは何故なんで しょうかね?
 (左の写真)ジャイアンツ時代のジャイアント馬場

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