20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ テキサス
の大牧場主一家の30年を描いた大河ドラマ
1920年頃。テキサスの大牧場主ジョーダ
ン・‟ビック”・ベネディクト2世は、種付け用の名馬を買うため東部のメリーランドへ行き、良家の令嬢レズリーと惹かれ合って結婚した。 |
ベネディクト家はビックの姉のラズが
切り盛りしており、ビックと仲の悪い牧童ジェット・リンクは、ラズのおかげで首を免れていた。
レズ
リーは東部との習慣の違いに戸惑っていたが、持ち前の気丈夫さで次第に馴染んでいった。 |
ビックをはじめテキサス人は、牧場で下働きをしているメキシコ人を見下して差別していた
が、レズリーは隣人として接し、ラズの反感を買っていた。 |
ある日、レズリーがジェットの案内でメキシコ人の集落を訪ね、病人の世話をしている時、ラ
ズがレズリーの愛馬を乗りこなそうとして落馬し、命を落とした。 |
ラズは牧場の一画をジェットに寄贈するとの遺書を残していた。牧場を分割したくないビック
は地価の倍の現金を支払うと言ったが、ジェットはそれを断り、小さいながらも自分の土地を手に入れた。 |
お互いに気の強いビックとレズリーは時に喧嘩をしながらも愛し合い、男女の双子を授かっ
た。 |
レズリーはメキシコ人の集落を訪ねた帰りにジェットの家に招待さ
れた。ジェットはレズリー
に想いを寄せており、家の壁には彼女の写真が貼られていた。 |
ビックとレズリーは3人目の子供にも恵まれたが、育児の考えに隔たりがあった。双子の4歳
の誕生日、ビックは泣
いて嫌がる息子を無理やり馬に乗せた。その夜、レズリーは子供たちを連れて暫らく里帰りすることを告げた。 |
夫婦は感謝祭を別々に過ごした。レズリーの妹の結婚式で久々に顔を合わせた2人は、愛し
合っ
ていることを再確認し、一緒にテキサスへ戻った。そして、ジェットは地下に石油があると踏み、借金をして土地を掘っていたが、遂に油脈を掘り当てた…。 |
時は流れ、ビックとレズリーは自分達の願いとは違う道を志望する子供たちに悩まされてい
た。石油王となったジェットは金にモノを言わせ、近隣の土地を次々と買収していたが、ビックはジェットの要求を頑なに拒み、祖父の代からの牧場を守ってい
た。
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第2次世界大戦が勃発し、ビックの牧場からもメキシコ人の牧童アンヘルと長女ジュディの婚約者ボブが出征することになった。長男のジョーディ(ジョーダン3世)は牧場の跡取りとなることを拒み、医師となる道を進んで
いた。
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ビックは義理の息子となるボブに
も跡取りとなることを拒否された。そんな折、ジェットが石油事業への協力を求めてきた。
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ビッグもついに石油事業に乗り出した。石油事業は戦争による特需や税制面での優遇措置もあ
り、ベネディクト家に巨万の富をもたらした。ジョーディがメキシコ人のホアナと結婚し、ボブが
生還したが、アンヘルは戦死した。
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全米屈指の大富豪となったジェットが空港とホテルを建設し、ベネディクト家は祝賀パー
ティーに招待された。成り上がりのジェットに対抗するため、ビックは自家用機を購入して会場に乗り込んだが、次女のラズ(ラズ2世)が祝賀パレードの女王になって
いるのを見て気分を害した。
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祝賀パーティーの前、ジェットがラズを相手に酒を煽っている頃、ホテルの美容院ではホアナ
が人種差別を受けていた。
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ジェットがパーティー会場に姿を現した。ジョーディが妻の受けた侮辱を抗議すると、ジェッ
トはジョーディを殴り倒した。すると、その様子を見ていたビックがジェットの前に立ちはだかった…。
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『ジャイアンツ』 予告編
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◆ 主な出演者など
・ラズ役
… マーセデス・マッケンブリッジ
・ジョーディ役 … デニス・ホッパー
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・ラズ2世役
… キャロル・ベイカー
・アンヘル役 … サル・ミネオ
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・女流作家エドナ・ファーバーが12年かけて執筆した大河小説「Giant」(1952年)の映画化作品。
* エドナ・ファーバー …
「ショウ・ボート」(1929年、1936年、1951年と3度映画化)、「シマロン」(1931年、1960年と2度映画化)、「サラトガ本線」
(1950年に映画化)等の小説家。
(右の写真)エドナ・ファーバー、ジョージ・スティーヴンス監督
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・レズリー役はオード
リー・ヘップバーンが辞退。エリザベス・テイラーとグレース・ケリーが最終候補
として残り、スティーヴンス監督がロック・ハドソンに意見を求めた結果、エリザベス・テイラーの起用が決まったという。本作はワーナー・ブラザース社の作
品だが、ロック・ハドソンはユニヴァーサル社、エリザベス・テイラーはMGM社から借り受けての起用だった。(右の写
真)ロック・ハドソン、エリザベス・テイラー
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・ジェット役は、第一候補だったアラ
ン・ラッドに辞退され、この役を得たくてアピールしていたジェームズ・ディーンが起用された。
自分の考えに妥協を許さぬ完璧主義者のジョージ・スティーヴンス監督と、役作りに熱中するジェームズ・ディーンとは、時に軋轢を生じさせながらの撮影
だったという。
(左の写真)ジェームズ・ディーン
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・キャストも決まり、いざ撮影開始という頃に、エリザベス・テイラーが妊娠(2人目の子)していることが判明。彼女が出産(1955年2月)し、
現場復帰出来るまで撮影が延期された。この期間に、ジェームズ・ディーンは『理
由なき反抗』(1955年)に出演し、『ジャイアンツ』
の撮影は1955年5月に開始された。
(右の写真)エリザベス・テイラー、ジェームズ・ディーン |
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・マーセデス・マッケンブリッジのカウボーイ・ハットはゲーリー・クーパーから贈られたも
のだった。撮影所で偶然に居合わせたクーパーが、彼女の真新し
い帽子を見て、手持ちの衣装から取り寄せたもので、馬の小便のシミがあったという。クーパー曰く、「馬の小便のシミはテキサス人の誇りです」。
ジェームズ・ディーンに横取りされそうになったとのエピソードも。(左の写真)マーセデス・マッケンブリッジ、ジェーム
ズ・ディーン
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・自身の出演シーンを撮り終えたジェームズ・ディーンが事故死(1955年9月30日)し、エリザベス・テイラーはショックで数日間寝込んでしまったという。ラストのロック・ハ
ドソンとの対話のシーンはディーンの死後に撮影された。ディーン演じるジェッ
ト・リンクが泥酔して演説するシーンの台詞の一部が聞き取りづらかったため、ニック・アダムスによって吹き替えられた。(右
の写真)エリザベス・テイラー、ジェームズ・ディーン
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・ジョージ・スティーヴンス監督は、一つのシーンを多くの角度から撮影するスタイルだった
ため、最終的に撮影されたフィルムは約100時間分(完成した作品は3時間21分)にも及んだ。編集作業
に1年を要し、この間、スティーヴンス監督は無報酬だった
という。同監督が映画化に着手してから4年後の1956年10月に作品が公開された。(左の写真)左から、ジョージ・ス
ティーヴンス監督、エリザベス・テイラー、ロック・ハドソン
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・ワーナー・ブラザース社最大のヒット作(当時)と
なり、アカデミー賞では、作品賞、主演男優賞(ロック・ハドソンとジェームズ・ディーン)、助演女優賞(マーセデス・マッケンブリッジ)等、9部門で10のノミネーションを受け、ジョージ・スティーヴンス監督が『陽
のあたる場所』(1951年)以来、2度目の監督賞を受賞した。
(右の写真)オスカー像を手にするジョージ・スティーヴンス監督
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ところで、映画の原題は‟Giant”。単数形なのに、邦題は『ジャイアンツ』と複数形になっているのは何故なんで
しょうかね?
(左の写真)ジャイアンツ時代のジャイアント馬場
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