20世紀・シネマ・パラダ イス

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     陽のあたる場所
     A Place in the Sun
     監督:ジョージ・スティーヴンス
     (1951年/アメリカ)
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 チャップ リンも絶賛した恋愛映画の古典的名作

 伝道師の母親と2人きりの貧しい家庭に育ち、ホテルの給仕をしていたジョージ・イーストマンは、伯父が営む水着メーカーの工場での職を得た。
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 ある晩、ジョージは映画館で女工のアリス・ト リップと偶然に隣り合わせた。会社の規則で職場 恋愛は禁じられていたが、2人は恋愛関係になった。
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 工場へ見回りに来た社長(伯父)は、ジョージの働きぶりが申し分ないと聞くと、ジョージを 自宅でのパーティーに招待した。
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 伯父の家でのパーティーに行ったジョージは、‟高嶺の花”だった名家の令嬢アンジェラ・ヴィッカースと親しくなることが出来た。
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 その日はアリスの家でジョージの誕生日を祝う約束だったが、ジョージは4時間も遅れてし まった。アリスは泣きながら妊娠したかもしれないと打ち明けた。
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 『陽のあたる場所』 予告編



  主な出演者など

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ジョージ・イーストマン役モンゴメリー・クリフト
アンジェラ・ヴィッカース役エリザベス・テイラー 
アリス・トリップ役 … シェリー・ウィンタース

 ・原作はセオドア・ドライサーの小説「アメリカの悲劇」(1925 年出版)。1906年に実際に起った殺人事件を題材に、貧富の差を生む資本主義、物質的な豊かさ・成功をアメリカン・ドリームと 煽る社会へ警鐘を鳴らした社会派のベストセラー。尚、モデルとなった実際の殺人犯チェスター・ジレットは、恋人をテニスラケットで殴 り倒した後、溺死させたとされている。

 ・1926年、ブロードウェイで上演され、1930年には、アメリカに滞在していたセルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督が映画化を試みるも実現しなかっ た。1931年、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督によって映画化さ れ たが、単なるメロドラマだったため、製作したパラマウント社は、作品を歪めたとしてセオドア・ドライサーから訴えられた。(右 の写真)『アメリカの悲劇』(1931年) シルヴィア・シドニー、フィリップ ス・ホームス An_American_Tragedy

A_Place_in_the_Sun-23  ・セオドア・ドライサーの没(1945年)後 に 製作された本作もメロドラマで、社会風刺的な内容は影を潜めた。主人公のジョージを野心的な人物と評する文献が散見されるが、彼のアンジェラに対する愛情 は純粋なものとして描かれており、そこには物欲や立身出世欲 といった不純なもの、嫌らしさは見られない。(左の写真) 左から、シェリー・ウィンタース、モンゴメリー・クリフト、ジョージ・スティーヴンス監督

 ・ 悪人に成りきれなかったジョージをはじめ、本作には悪役が登場しない。誰かを悪役としていたら、メロドラマ仕立ての通俗な犯罪ドラマとなっていたかもし れない。登場人物たちに悪意がないからこそ、観客は彼等に同情する。原作とは趣旨が異なるが、あまりにも悲しい第一級のメロドラマに仕立てたジョージ・ス ティーヴンス監督の手腕は見事である。(右の写真) 左から、ジョージ・スティーヴンス監督、モンゴメリー・クリフト、エリザベス・テイラー
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 ・本作は1951年に公開されたが、撮影は1949年にスタートし、エリザベス・テイラー が最初の結婚(1950年5月)をする前に終了している。パラマウント社が自社の『サンセット大通り』(1950年)と アカデミー賞で競合するのを避けるため公開を遅らせたとされていたが、これは後付けの理由で、
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編集に1年近くかかったというの が本当らしい。ちなみに、ハリウッドきっての完璧主義者と言われていたスティーヴンス監督は、『偉大な生涯の物語』(1965年)の編集には2年を要している。
 (左の写真)左から、スティーヴンス監督、エリザベス・テイラー、モンゴメリー・クリフト。リズが湖に入るシーンは雪が残る冬に撮影された。そのため、 水から出た彼女は本当に寒そうに映っている。


 ・批評家、観客から好評を得て、その年のパラマウント社最大のヒット作となった。チャップリンが、「アメリカについて、これまでに作られた最高の映画」 と絶賛した。
 (右の写真)左から、エリザベス・テイラー、モンゴメリー・クリフト、シェリー・ウィンタース

 
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 ・アカデミー賞では、作品賞など9部門でノミネートされ、監督、脚色、撮影(白黒部門)、編集、劇・喜劇映画音楽、衣 装デザイン(白黒部門/イーディス・ヘッドの 6部門で受賞した。
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  ピック・アップ … シェリー・ウィンタース

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 Shelley Winters  1920〜2006 (アメリカ)

 ・1920年、ミズーリ州にて、ユダヤ系の両親のもとに生れた。1941年にブロードウェイ、1943年に銀幕でデビュー。下積みの期間が長く続いた が、ロナ ルド・コールマン主演の『二重生活』(1947年)でブレイク。1940年代後半の一時期、ハ リウッド・スタジオ・クラブで、マリリン・モンローのルームメイトだっ た。* ハリウッド・スタジオ・クラブ … 映画業界で働く女性たちの共同宿舎。1975年に閉鎖された。

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Winchester_'73
『二重生活』 (1947年/監督:ジョージ・キューカー
ロナルド・コールマンと
『ウィンチェスター銃 ’73』(1950年/監督:アンソニー・マン)
ジェームズ・ステュアート

 ・デビュー当時は金髪とグラマーが売りの典型的なハリウッド・タイプの女優だったが、演技 派への脱皮を図って出演した 『陽のあたる場所』(1951年)で、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
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『陽 のあたる場所』 (1951年)
モンゴメリー・クリフトと
『狩 人の夜』(1955年/監督:チャールズ・ロートン
ロバート・ミッチャム

 ・ジョージ・スティーヴンス監督との2作目『アンネの日記』(1959年)、『いつか見た青い空』(1965年)で、2 度アカデミー賞助演女優賞を受賞。『アンネの日記』でのオスカー像をアンネ・フランク財団に寄贈。アムステルダムの「アンネ・フランクの家」 に展示されている。
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『ア ンネの日記』(1959年)
リチャード・ベイマー
『ロ リータ』(1962年/監督:スタンリー・キューブリック
ジェームス・メーソン
A_Patch_of_Blue /Bloody_Mama
『い つか見た青い空』(1965年)
シドニー・ポワチエ
『血 まみれギャングママ』(1970年/監督:ロジャー・コーマン)

 ・『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)で もアカデミー賞助演女優賞にノミネートされ、受賞は 逃したが、ゴールデン・グローブ賞の助演女優賞を受賞した。
 (右の写真)『ポセイドン・アドベン チャー』 ジャック・アルバートソンと
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 ・ブロードウェイでも活躍。ユダヤ系のコメディアン、マルクス兄弟の母親を演じた「Minnies's Boy(1970年)等に出演した。

Shelley_Winters_Oscar  ・私生活では4度結婚した。2番目の夫(1952〜1954 年)はイタリアの人気俳優ヴィットリオ・ガスマン。『マンボ』(1954年)で共演した。3番目の夫(1957〜1960年)は 舞 台で共演したアンソニー・フランシオサ。その後、ある男性と長年連れ添っていたが、亡くなる数時間前にその男性と結婚した。

 ・2006年85歳で他界。




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