20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ チャップ
リンも絶賛した恋愛映画の古典的名作
伝道師の母親と2人きりの貧しい家庭に育ち、ホテルの給仕をしていたジョージ・イーストマンは、伯父が営む水着メーカーの工場での職を得た。 |
ある晩、ジョージは映画館で女工のアリス・ト
リップと偶然に隣り合わせた。会社の規則で職場
恋愛は禁じられていたが、2人は恋愛関係になった。 |
工場へ見回りに来た社長(伯父)は、ジョージの働きぶりが申し分ないと聞くと、ジョージを
自宅でのパーティーに招待した。
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伯父の家でのパーティーに行ったジョージは、‟高嶺の花”だった名家の令嬢アンジェラ・ヴィッカースと親しくなることが出来た。 |
その日はアリスの家でジョージの誕生日を祝う約束だったが、ジョージは4時間も遅れてし
まった。アリスは泣きながら妊娠したかもしれないと打ち明けた。 |
ジョージはアンジェラからデートに誘われた。そして、2人はお互いに愛を告白した。
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アリスはやはり妊娠していた。2人の関係が明らかになれば会社をクビになってしまう。
ジョージは堕胎するように説得し、アリスは渋々ながらも医者を訪ねたが、医者は堕胎を承知しなかった。ジョージはアリスから結婚を迫られ、止む無く同意し
た。
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ジョージはアリスに嘘をつき、連休をヴィッカース家の湖畔の別荘で過ごしていた。
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ジョージとアンジェラたちの写真が新聞に載り、ジョージの嘘を知ったアリスは電話でジョー
ジを呼び出した。
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ジョージは母親が病気になったと言って別荘を後にし、アリスのもとへ向かった。アリスは結
婚しなければ全てを皆にぶちまけると迫った。
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翌日、2人は婚姻届を出しに役所へ行ったが、祭日のため休みだった。ジョージはアリスを溺
死させようと湖へ誘った。
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湖に着いた2人はボートに乗った。ジョージが犯行を躊躇っていると、彼の心中を察したアリ
スが感情を高ぶ
らせたはずみで立ち上がり、ボートが転倒してしまった。そして、岸へ泳ぎ着いたジョージは、その場から逃亡した。
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翌日、ジョージはヴィッカース家の別荘に
戻った。アンジェラの父親から結婚を前提とした交際を認められたが、その頃、アリスの溺死体が発見され、捜査当局はジョージの存在を嗅ぎ取っていた。
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裁判が始まった。ジョージは殺意があったことを認めたも
のの、あくまでも事故だったと訴えたが…。
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『陽のあたる場所』 予告編
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◆ 主な出演者など
・原作はセオドア・ドライサーの小説「アメリカの悲劇」(1925
年出版)。1906年に実際に起った殺人事件を題材に、貧富の差を生む資本主義、物質的な豊かさ・成功をアメリカン・ドリームと
煽る社会へ警鐘を鳴らした社会派のベストセラー。尚、モデルとなった実際の殺人犯チェスター・ジレットは、恋人をテニスラケットで殴
り倒した後、溺死させたとされている。
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・1926年、ブロードウェイで上演され、1930年には、アメリカに滞在していたセルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督が映画化を試みるも実現しなかっ
た。1931年、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督によって映画化さ
れ
たが、単なるメロドラマだったため、製作したパラマウント社は、作品を歪めたとしてセオドア・ドライサーから訴えられた。(右
の写真)『アメリカの悲劇』(1931年) シルヴィア・シドニー、フィリップ
ス・ホームス |
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・セオドア・ドライサーの没(1945年)後
に
製作された本作もメロドラマで、社会風刺的な内容は影を潜めた。主人公のジョージを野心的な人物と評する文献が散見されるが、彼のアンジェラに対する愛情
は純粋なものとして描かれており、そこには物欲や立身出世欲
といった不純なもの、嫌らしさは見られない。(左の写真)
左から、シェリー・ウィンタース、モンゴメリー・クリフト、ジョージ・スティーヴンス監督
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・
悪人に成りきれなかったジョージをはじめ、本作には悪役が登場しない。誰かを悪役としていたら、メロドラマ仕立ての通俗な犯罪ドラマとなっていたかもし
れない。登場人物たちに悪意がないからこそ、観客は彼等に同情する。原作とは趣旨が異なるが、あまりにも悲しい第一級のメロドラマに仕立てたジョージ・ス
ティーヴンス監督の手腕は見事である。(右の写真)
左から、ジョージ・スティーヴンス監督、モンゴメリー・クリフト、エリザベス・テイラー
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・本作は1951年に公開されたが、撮影は1949年にスタートし、エリザベス・テイラー
が最初の結婚(1950年5月)をする前に終了している。パラマウント社が自社の『サンセット大通り』(1950年)と
アカデミー賞で競合するのを避けるため公開を遅らせたとされていたが、これは後付けの理由で、 |
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編集に1年近くかかったというの
が本当らしい。ちなみに、ハリウッドきっての完璧主義者と言われていたスティーヴンス監督は、『偉大な生涯の物語』(1965年)の編集には2年を要している。
(左の写真)左から、スティーヴンス監督、エリザベス・テイラー、モンゴメリー・クリフト。リズが湖に入るシーンは雪が残る冬に撮影された。そのため、
水から出た彼女は本当に寒そうに映っている。
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・批評家、観客から好評を得て、その年のパラマウント社最大のヒット作となった。チャップリンが、「アメリカについて、これまでに作られた最高の映画」
と絶賛した。
(右の写真)左から、エリザベス・テイラー、モンゴメリー・クリフト、シェリー・ウィンタース
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・アカデミー賞では、作品賞など9部門でノミネートされ、監督、脚色、撮影(白黒部門)、編集、劇・喜劇映画音楽、衣
装デザイン(白黒部門/イーディス・ヘッド)の
6部門で受賞した。 |
◆ ピック・アップ … シェリー・ウィンタース
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Shelley Winters 1920〜2006
(アメリカ)
・1920年、ミズーリ州にて、ユダヤ系の両親のもとに生れた。1941年にブロードウェイ、1943年に銀幕でデビュー。下積みの期間が長く続いた
が、ロナ
ルド・コールマン主演の『二重生活』(1947年)でブレイク。1940年代後半の一時期、ハ
リウッド・スタジオ・クラブで、マリリン・モンローのルームメイトだっ
た。*
ハリウッド・スタジオ・クラブ … 映画業界で働く女性たちの共同宿舎。1975年に閉鎖された。 |
・デビュー当時は金髪とグラマーが売りの典型的なハリウッド・タイプの女優だったが、演技
派への脱皮を図って出演した
『陽のあたる場所』(1951年)で、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。 |
・ジョージ・スティーヴンス監督との2作目『アンネの日記』(1959年)、『いつか見た青い空』(1965年)で、2
度アカデミー賞助演女優賞を受賞。『アンネの日記』でのオスカー像をアンネ・フランク財団に寄贈。アムステルダムの「アンネ・フランクの家」
に展示されている。 |
・『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)で
もアカデミー賞助演女優賞にノミネートされ、受賞は
逃したが、ゴールデン・グローブ賞の助演女優賞を受賞した。
(右の写真)『ポセイドン・アドベン
チャー』 ジャック・アルバートソンと |
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・ブロードウェイでも活躍。ユダヤ系のコメディアン、マルクス兄弟の母親を演じた「Minnies's Boy」(1970年)等に出演した。
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・私生活では4度結婚した。2番目の夫(1952〜1954
年)はイタリアの人気俳優ヴィットリオ・ガスマン。『マンボ』(1954年)で共演した。3番目の夫(1957〜1960年)は
舞
台で共演したアンソニー・フランシオサ。その後、ある男性と長年連れ添っていたが、亡くなる数時間前にその男性と結婚した。
・2006年、85歳で他界。
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