20世紀・シネマ・パラダ
イス
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サンセット大通り
Sunset Boulevard
監督:ビリー・ワイルダー
(1950年/アメリカ)
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◆ ハリウッ
ドのスキャンダルを描いた不朽の名作
ハリウッドのサンセット大通りに面する大邸宅で殺人事件が発生。警官隊や新聞記者が駆けつ
けるとプールに若い男の死体が浮かんでいた。男はB級映画の脚本家ジョー・ギリ
ス。「欲しがっていたプールをこんな形で手にいれるなんて…」。
…ジョーの回想として事件の顛末が明らかにされる…。 |
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…半年程前。脚本が売れず、首の回らなくなったジョーは、パラマウント社のプロ
デューサーに脚本を売り込みに行った。「20世紀FOX社も興味を持っている…。でも、タイロン・パワーじゃ無理だ。アラン・ラッドならハマリ役
だ…」。しかし、若手の脚本部員ベティ・シェーファーから
も
駄作と言われる
ような作品で、脚本は売れなかった。 |
車のローンを滞納していたジョーは取り立て屋に追われ、逃げ込んだ先がサンセット大通
りに面する荒れ果てた大邸宅だった。
ジョーは葬儀屋と間違われ(主のペットのサルが死んだばかりだった)、女主と対面した。無声映画時代の
大ス
ター、ノーマ・デズモンドだった。 |
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「私は大物よ。小さくなったのは映画の方だわ」。世間からはすっかり忘
れ去られたノーマだが、今でも世界中のファンが復帰を待ち望んでいると思い込んでいた。 |
ジョーが作家だと知ったノーマは、復帰作として執筆していた脚本の手
直しを要求した。「『サロメ』よ。監督はデミルよ」。 |
ジョーは給料をふっかけ、脚本の手直しを引き受けることにし、その日は大邸宅の離れに泊
まった。 |
翌朝。目を覚ますと、自宅のアパートの荷物がノーマの執事マックスによって運び込まれてい
た。ジョーは住込みで脚本の手直しをするハメに…。 |
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家の中は若かりし頃のノーマの写真ばかり。彼女は過去の栄光の中だけで生きていた。居間
で鑑賞する映画は決まってノーマの主演作品。『台詞なんて要らない。顔で語れるのよ。今じゃそんな女優はいないわ。ガルボだけは別
』…。
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マックス以外の人とは、時おり、無声映画時代に俳優だった者たちを招き、トランプ・ゲーム
をす
るだけ…。そんな彼等はジョーから見れば、「ロウ人形ようだ」った 。
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離れの部屋は雨漏りがひどく、ジョーは母屋のノーマの隣室に移った。ジョーは高価な衣服や貴金属類を買い与えられ、大晦日には2人だけのパーティーが開か
れ
た。ノーマからの求愛だった。このままではずるずると囲い込まれてしまう。ジョーはノーマと喧嘩をして大邸宅から出て行った。
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ジョーは友人のアーティを訪
ねた。彼の家はニュー・イヤー・パーティーの最中で、ジョーはアーティの恋人だったベティ・シェーファーと再会した。
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ジョーは私物を引き取るためマックスに電話をし、ノーマが手首を切ったと知らされ
た。ジョーは大邸宅へ戻った。
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ジョーは囲われ者としての生活に戻り、ノーマはジョーが手直しし
た脚本をデミル監督に送った。
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ある夜。ジョーはノーマの煙草を買いに行った店でアーティとベ
ティに出くわし、ベティから共同で脚本を書こうと誘われた。
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ジョーが退屈していると、ノーマが寸劇でもてなした。
水着美人にチャップリン…。そんなある日、パラマウント社から電話が入ったが、デミルからではなかったのでノーマは電話に出なかった。「出演料を値
切るつもりだわ」。
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パラマウント社から再び電話が入り、ノーマはパラマウント社の撮影所へ向かった。
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デミルは撮
影を中断し、ノーマを丁重に出迎えた。電話を入れたのは美術部門の人間で、ノーマの年代物の高級車を借りるた
めだったが、さすがのデミルもその事を伝えられなかった。
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銀幕復帰が決まったと思い込んだノーマは撮影に備え始めた。邸宅
に美容師たちを招き、夜の9時には就寝するようになった。
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ジョーはノーマが寝入った頃合いを見計らって密かに外出し、撮影
所でベティと脚本を共作し始めた。
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ジョーが毎晩外出していることに気付いたマックスは、自分はかつ
てノーマをデビューさせ
た映画監督であり、最初の夫(ノーマは3度結婚・離婚している)でもあったという過去を告白し、
ノーマを傷つけることの無いように注意を促した。
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ジョーはその後も外出を続け、ベティと愛し合うようになった。
ジョーがノーマの大邸宅から抜け出そうと決心した矢先、2人の関係に気付いて嫉妬に狂ったノーマがベティに電話をかけた。
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ジョーはベティをノーマの大邸宅に呼び、自分の事は忘れてアー
ティと結婚
するように諭した。
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ベティが去った後、ジョーは荷造りを始めた。ジョーが出て行く気だと知ったノーマは必死で
引き留めた。
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ジョーは、パラマウント社に呼ばれた
理由や毎日届くファンレターはマックスが送っていることなどを暴露した。20数年間、自分は今でも大スターだとの妄想の中で生きてきたノーマ。初めて現実
を突きつけられた彼女は正気を失ってしまい…。
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『サンセット大通り』 予告編
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◆ 主な出演者など
・名コンビだったビリー・ワイ
ルダーとチャールズ・ブラケットの最後のコラボで最も代表的な作品となった。当初は2人で脚本を執筆していたが、行
き詰りを打破するためジャーナリストのD・M・マーシュマン・Jr が雇われた。D・M・マーシュマン・Jr がLife 誌に寄せた
『皇帝円舞曲』(1948年/監督:ビリー・ワイルダー)の批評がきっかけだった。
(右の写真)左から、ブラケット、スワンソン、ワイルダー
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・グロリア・スワンソンは、ジョー
ジ・キューカーの推薦だった。脚本に興味を示したものの、スクリーン・テストを受けることを渋っていたスワンソンを説得したのもジョージ・キュー
カーだった。
(右の写真)撮影時のグロリア・スワンソン |
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・映画の中のノーマ・デズモンドはトーキーを毛嫌いしているが、スワンソン本人は、自身初
のトーキー作品『トレスパッサー』(1929年)でオスカー候補にもなっている。但し、1930年代には
人気が凋落し、1941年に銀幕からは引退。9年ぶりの復帰作であり、役柄同様、映画ファンからは忘れ去られた過去の大女優といった状況だった。出演料は
50,000ドル。
(左の写真)ビリー・ワイルダー監督、グロリア・スワンソン
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ウィリアム・ホールデンは恵まれたデビューをしたものの、第2次世界大戦中に入隊し、4年
近く銀幕から離れていたことも
あって、鳴かず飛ばずの状況だったが、本作をきっかけに大スターへと飛躍していった。出演料は30,000ドル。モンゴメリー・クリフトに予定されていた
金額の半分
以下だった。
(右の写真) ビリー・ワイルダー監督、ウィリアム・ホールデン |
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・執事のマックス役には、グロリア・スワンソンと因縁浅からぬエリッヒ・フォン・シュトロ
ハイムが起
用された。ノーマ・デズモンドが鑑賞する映画を『Queen Kelly』(1929年)にするよう提案し、ノーマに届くファンレターは、実はマックスが送っていたという設定を提案したのもシュトロハイムだった
という。やはり大した映画人である。 |
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「私はかつて、グリフィスやデミルのように、将来
を嘱望された映画監督でした…」
という実人生そのもの、自虐的な台詞までも発して見せた。ビリー・ワイルダー監督の『熱砂の秘密』(1943年)にも出演しており、信頼関係があったのだろう。
(左の写真)左から、ビリー・ワイルダー監督、グロリア・スワンソン、エリッヒ・フォン・シュトロハイム |
・大女優グロリア・スワンソンの育ての親とも言える大御所セシル・B・デミル監督が本人役で出演。映画にリアリティーを与えるのに効果てき
面だった。2人が再会するシーンはドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥ってしまう。 |
予備知識
も持たずに観ても十分に楽しめるが、色々な事を知って観ると面白味が増す。それは製作サイドが意図したことでもあるからだ。映画の中で、「車ぐらい
俺が買ってやる 」
と格好良い台詞を発したデミルが、出演条件として、10,000ドルと新車のキャデラックを要求していたという裏話も。
(右の写真)左から、ワイルダー監督、グロリア・スワンソン、セシル・B・デミル |
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・ノーマとトランプ・ゲームをするバスター・キートン、H・B・ワーナー、アンナ・Q・ニルソンの3人は、エンド・ロール
で本人役とクレジットされているものの、映画の中では、「無声映画で俳優だった者たち…」としか紹介されず、ジョーに「ロウ人形
のようだ」と言われてしまう役柄。余りと言えば余りに酷い出演だった。
(左の写真)左から、キートン、スワンソン、ニルソン、ワーナー |
・女優からゴシップ・コラムニストに転身して名を馳せたヘッダ・ホッパーも本人役で出演。
ギャ
ラはキートン1,000ドル、ワーナー1,250ドル、ニルソン250ドル、ホッパー5,000ドルだった。参考までに、1920年代に‟ハリウッドの女
王”と称され、派手な私生活が喧伝されたグロリア・スワンソンの1週間の食費が1,000ドルだと言われていた。
(右の写真)映画のラスト近く。シュトロハイムとホッパー |
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・本作の成功はグロリア・スワンソンの名演技なしにはあり得なかった。彼女の起用が決ま
り、脚本は大幅に書き直された。 |
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スワンソンは、30数年ぶりに‟水着美人”も披露。「メーベルには、よく足を踏まれ
たわ」との台詞もあるが、スワンソンはメーベル・ノーマンドとは共演したことは
ないが、ノーマ・デズモンドの役名は、メーベル・ノーマンドとウィリアム・デズモンド・テイラー監督が由来となっている。(詳
細はこちら)
(左の写真)‟水着美人”に扮したグロリア・スワンソン |
・チャップリンのモノマネを披
露
し、「ヴァレンチノの勧めで、床をタイルに換えた」とのホールで、タンゴ(ヴァレンチノと言えばタンゴ)
を踊るシーンもあるが、スワンソンはチャップリンともルドルフ・ヴァレンチノと
も共演したことがある。
(右の写真)スワンソンの宣伝用写真
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・正気を失ったノーマが、ニュース映画の撮影隊をデミル映画のそれと思い込み、「サロメ」
を演じながら階段を下りていくシーンは何度観ても目が釘付けになる。この撮影の終了後、スタジオ内は盛大な拍手に包まれ、スワンソンの眼には涙が溢れて
いたという。ハリウッド映画史に残る圧巻の名演技だった。
(左の写真) 映画のラストでのスワンソン |
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・映画スターは大衆の憧れの的であり、呼び名の如く、いつでも星のように輝いていなければ
ならない。銀幕の外においても高価な衣装を身に纏い、華やかなパーティーに集う姿などが殊更に広報された。デビュー当時のマーロン・ブランド
が、TシャツにGパンで撮影所に出入りする姿に眉をひそめた関係者も多かったという。 |
・映画の都ハリウッドを栄華の都ともするように努めてきたルイス・B・
メイヤーのような人間にとって、ハリウッド・スターをスキャンダラスに描いた本作は許し難いものであり、当時はメイヤーと同じ思いを抱いた映画人も多
かったようだ。 |
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・アカデミー賞では11部門でノミネートされたが、主要部門は全て受賞を逃し、脚本賞、
美術監督・装置賞(白黒部門)、劇・喜劇映画音楽賞の3部門での受賞に留まった。
(左の写真)ニューヨークの会場で授賞式の模様を見守った人たち。手前左から、ジュディ・ホリディ、ホセ・フェラー、
グロリア・スワンソン、ジョージ・キューカー、セレステ・ホルム |
・AFI(アメリカ映画協会)
が1998年に選定した「アメリカ映画100年ベスト100」で第12位に。賞レースにおいて苦杯を舐めさせられたライバル作品『イヴの総て』(第16位)よりも上位にランクされた。
・AFIが2005年に選定した
「アメリカ映画名セリフ・ベスト100」で、次のセリフがランインした。 |
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第24位
「私は大物よ、小
さくなったのは映画の方だわ ー I am big, It's the pictures that got small」 |
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第7位
「デミル監督、クローズ・アップを ー All right,
Mr. DeMille, I'm ready for my close-up」 |
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