20世紀・シネマ・パラダイス
ノーマ・シアラー
Norma Shearer
1902-1983 (カナダ/アメリカ)
◆
代表作
結婚双紙
The Divorcee
(1930年/アメリカ)
自由の魂
A Free Soul
(1931年/アメリカ)
白い蘭
The Barretts of Wimpole Street
(1934年/アメリカ)
ロミオとジュリエット
Romeo and Juliet
(1936年/アメリカ)
マリー・アントアネットの生涯
Marie Antoinette
(1938年/アメリカ)
ザ・ウィメン
The Women
(1939年/アメリカ)
◆
MGM社のファースト・レディ-
・
1902年
、カナダのモントリオール生れ。裕福な家庭だったが、16歳の時に父親の会社が倒産。一転して貧しい生活を余儀なくされた。
母親と姉の3人でニューヨークへ移住。子供の頃からの夢だった女優となるため、ブロードウェイの人気歌劇団 ジーグフェルド・フォーリーズの門を叩いたが、入団は叶わなかった。それでも夢を諦めず、エキストラとして映画 『
The Star Boarder
』
(1919年)
で銀幕デビュー。
D・W・グリフィス
監督の『東への道』
(1920年)
には、姉のアソーレも一緒にエキストラで出演した。
・彼女は斜視だったので、映画の出演料や広告のモデル料をその治療費に充てていたという。
(右の写真)タイヤの広告のモデルも務めた
・1923年、ニューヨークからハリウッドへ移り、翌年、結成されたばかりのMGM社と専属契約。
『殴られる彼奴』
(1924年)、
『夜の女』
(1925年)、
『思い出』
(1927年/
監督:
エルンスト・ルビッチ
)
等がヒットし、人気女優となった。
(左の写真)『殴られる彼奴』
ジョン・ギルバー
ト(中央)、
ロン・チェイニーと
『夜の女』(1924年)
『思い出』(1927年) ラモン・ノヴァロと
・1927年、MGM社興隆の立役者である映画製作者の
アービング・G・タルバーグ
と結婚。
1930年に長男、1935年に長女を授かった。
タルバーグはノーマが専業主婦になることを望んでいたらしいが、彼女は女優を続けた。
(右の写真)アービング・G・タルバーグとの結婚時
・第3回アカデミー賞で、『
Their Own Desire
』
(1929年)
と『結婚双紙』
(1930年)
で主演女優賞にダブル・ノミネートされ、『結婚双紙』の演技でオスカーを獲得。
『
Their Own Desire
』 ロバート・モンゴメリーと
『結婚双紙』
同じ社の看板女優
グレタ・ガルボ
(『アンナ・クリスティ』)
を破っての受賞。名実ともに‟MGM社のファースト・レディ”となった。
『結婚双紙』の当初のヒロイン候補だった
ジョーン・クロフォード
は、「
ノーマには敵いっこないわ。だってスタジオのボスと寝ているんだもの
」とボヤいたとか。
(左の写真) オスカー像を手にするノーマ・シアラー
・第3回アカデミー賞では、兄のダグラスも『ビッグ・ハウス』で録音賞を受賞。兄妹での同時受賞となった。ダグラスはノーマたちより遅れて渡米。MGM社で音響の技術者となり、生涯でアカデミー賞に21回ノミネートされ、7回も受賞した名サウンド・エンジニアだった。
また、姉のアソーレは、1928年に
ハワード・ホークス
監督と結婚したが、1940年に離婚した。
ノーマ・シアラーとダグラス・シアラー
・その後、『自由の魂』
(1931年)
、『白い蘭』
(1934年)
、『ロミオとジュリエット』
(1936年)
、『マリー・アントアネットの生涯』
(1938年)
で4度アカデミー賞主演女優賞にノミネートされるなど、1930年代を代表する女優の1人として大活躍。
『自由の魂』(1931年)
レスリー・ハワード
と
『白い蘭』(1934年)
フレドリック・マーチ
と
『ロミオとジュリエット』(1936年)
レスリー・ハワードと
『マリー・アントアネットの生涯』(1938年)
タイロン・パワー
と
・1936年、『マリー・アントアネットの生涯』の製作準備中に、夫のアービングが37歳の若さで亡くなったが、その後も女優を続けた。
・
『風と共に去りぬ』
(1939年)
のスカーレット・オハラ役の有力候補の1人と目されたが、「
スカーレット役は割に合わない役、
できればレット・バトラー役をやりたいわ
」とジョークを飛ばした。
そのレット・バトラー役の
クラーク・ゲーブル
とは、『自由の魂』
(1931年)
、『
Strange Interlude
』
(1932年)
、『
Idiot's Delight
』
(1939年)
の3作で共演した。
(右の写真)『
Idiot's Delight
』 クラーク・ゲーブルと
・『
Her Cardboard Lover
』
(1942年/監督:
ジョージ・キューカー
)
を最後に映画界から引退。
(左の写真)『
Her Cardboard Lover
』
ロバート・テイラー
(左)、
ジョージ・サンダース
と
・私生活では、タルバーグ亡き後、
ジョージ・ラフト
、
ミッキー・ルーニー
、
ジュームズ・ステュアート
などとの間でロマンスがあったが、1942年、12歳年下のスキー・インストラクター
Martin Arrouge
と再婚した。
ジョージ・ラフトと
ミッキー・ルーニーと
ジェームズ・ステュアートと
2番目の夫
Martin Arrouge
と
・
1983年
、
80歳
で他界。最初の夫アービング・G・タルバーグと一緒に埋葬されている。
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