20世紀・シネマ・パラダ イス

filmbar
Rebecca

       レベッカ
        Rebecca
        監督:ア ルフレッド・ヒッチコック
        (1940年/アメリカ)
filmbar

  アカデミー賞作品賞を受賞したヒッチコック監督のハリウッド・デビュー作

  上流階級のホッパー夫人の 付き人として雇われ、モンテカルロへやって来た 「わたし」。
 ホテルのラウンジでホッパー夫人が顔見知りに声を掛けた。その人は、「わたし」 が散歩中に断崖付近で遭遇したイギリスの大富豪マキシムであった。彼は1年前に妻のレベッカを ボートの事故で亡くしていた…。
  ホッパー夫人が風邪で寝込んでしまった間、「わたし」 はマキシムに誘われデートを重ねた。
 ホッパー夫人が急遽ニューヨークへ戻ることになり、 「わたし」 はマキシムに別れを告げに行ったが、彼からプロポーズを受けて結婚した。
Rebecca-1
Rebecca-2 Rebecca-3
 マキシムの自宅は荘園マンダレーに建つ大豪邸。大勢の使用人がいて、家事を取り仕切ってい るのはダンバース夫 人だ。「わたし」 はマンダレーでの生活、とりわけダンバース夫人に馴染むことが出来ないでいた。

Rebecca-4
Rebecca-5

  

youtubelogo
 『レベッカ』 予告編


  主な出演者など

Rebecca-32
 ・「わたし」 役 … ジョーン・フォンテイン Joan Fontaine
 ・マキシム役 … ロー レンス・オリヴィエ Laurence Olivier
 ・ダンバース夫人役 … ジュディス・アンダーソン Judith Anderson
 ・ジャック役 … ジョージ・サンダース George Sanders
 
 ・独立系の映画製作者デビッド・O・セルズニックに招かれ、イギリスからアメリカへ渡ったアルフレッド・ヒッチコック監督のハリウッド・デビュー作。
 製作現場に過度に介入することで知られたセルズニックは、『レベッカ』 の撮影にも度々干渉してヒッチコック監督を悩ましたという。
  (右の写真) デビッド・O・セルズニック(左)とアルフレッド・ヒッチコック監督
Rebecca-39

Rebecca-34  ・原作者は女流作家のダフネ・デュ・モーリア。ヒッチコック監督の 『巌窟の野獣』 (1939年)、『鳥』 (1963年)の原作者でもある。
 原作では、レベッカはマキシムに殺されたことになっているが、殺人者が罰を受けないという設定は、当時の映画倫理コードに抵触するため事故死に変更され た。
  (左の写真) 左から、ヒッチコック監督、ジョーン・フォンテイン、ローレンス・オリヴィエ

 ・「わたし」 役の第一候補はオリヴィア・デ・ハヴィランドだったが、ワーナー・ブラザーズ社が貸し出し を拒んだ。その他、ロレッタ・ヤングアン・バクスターマー ガレット・サラヴァン等の名前が挙がっていた。そして、ローレンス・オリヴィエの恋人であったヴィヴィアン・リーもスクリーン・テストを受けたが不合格だった。
  (右の写真) ジョーン・フォンテイン
Rebecca-33

Rebecca-40
 ・マキシム役の第一候補はロ ナルド・コールマンだったが、役柄が気に入らず辞退。
 ローレンス・オリヴィエの他には、ウィリアム・パウエルレスリー・ハワードロバー ト・ドーナットなどが候補であった。
  (左の写真) ローレンス・オリヴィエ

 ・アカデミー賞では、作品賞など11部門でノミネート。この年は、『チャッ プリンの独裁者』『怒りの葡萄』 の一騎打ちとの前評判であったが、2作ともその社会的なメッセージがアカデミー協会会員に敬遠され、『レベッカ』 が作品賞を受賞。しかし、他の主要部門では受賞を逃し、作品賞と撮影賞(白黒部門)の2冠という珍記録を 打ち立てている。
 (右の写真) 左から、ヒッチコック監督、ジョーン・フォンテイン、ローレンス・オリヴィエ
Rebecca-35.

Rebecca-36
 ・主演女優賞にノミネートされていたジョーン・フォンテインが受賞していたら、役名がない ヒロインを演じてのオスカー受賞という、これまた珍記録となっていた。
 同作品で人気女優となった彼女 は、ヒッチコック監督との2作目 『断崖』 (1941年) で、念願のオスカーを獲得することなる。
  (左の写真) アカデミー賞授賞式会場でのジョーン・フォンテインとヒッチコック監督

  ヒッチコック監督 お約束のカメオ出演シーン

 映画の終盤、ジョージ・サンダース扮するジャックが公衆電話から出て、警官と話している シーンに通行人として登場 (左下の写真)。余程注意していないと分からない。(右下は宣伝用写真)
Rebecca-37 Rebecca-38

 
 ピック・ アップ … ジョージ・サンダース

George Sanders
  George Sanders 1906-1972  (イギリス)

 ・1906年、ロシアのサンクトペテルブルク生まれ。両親ともイギリス人。ロシア革命の勃発に伴い、家族でイギリスへ移住。

 ・俳優になる前は広告代理店に勤務していたが、その会社の秘書がグリア・ガースンだっ た。 

 ・1934年、ロンドンで舞台俳優としてデビュー。同年、端役ながらも銀幕デビューも果た し、36年にハリウッドへ。

 ・『イヴの総て』 (1950年) で、アカデミー賞助演男優賞を受賞。
Foreign_Correspondent
Man Hunt
『海外特派員』 (1940年/監督:アルフレッド・ヒッチコック) 
『マン・ハント』 (1941年/監督:フリッツ・ラング
Samson and Delilah All About Eve
『サ ムソンとデリラ』 (1949年/監督:セシル・B・デミル 『イ ヴの総て』 (1950年/監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ
 ・俳優業の他、小説作家、音楽家(歌と作曲)としても活動。私生活では皮肉屋として有名 で、1960年に出版した自伝のタイトルは 「Memoirs of a Professional Cad 」。Cad は 「ゲス野郎」 といった意味。滅多にサインにも応じず、
「嫌な奴」 を楽しんでいたとか。
 生涯で4度結婚しているが、2番目の妻は女優のザ・ザ・ガボール、3番目の妻はロナルド・ コールマンの未亡人ベニタ・ヒューム。そして、4番目の妻はザ・ザ・ガボールの姉のマグダ・ガポール。
Ivanhoe Viaggio in Italia
『黒騎士』 (1952年/監督:リチャード・ソープ)
 エリザベス・テイラーと

『イタリア旅行』 (1954年/監督:ロベルト・ロッセリーニ
 ・1972年65歳の時にスペインで自殺。遺書には 「退 屈だからこの世を去る…」 と書かれていた。認知症を患い、健康が悪化していたとされている。また、若い時から、65歳で死ぬと宣言をしていたとの話もあるようです。

HOME