20世紀・シネマ・パラダ イス

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Rebecca

       レベッカ
        Rebecca
        監督:ア ルフレッド・ヒッチコック
        (1940年/アメリカ)
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  アカデミー賞作品賞を受賞したヒッチコック監督のハリウッド・デビュー作

 ‟わたし”は、上流階級のホッパー夫人の 付き人として雇われ、モンテカルロへやって来た。
 ホテルのラウンジで、ホッパー夫人が顔見知りに声を掛けた。その人は、‟わたし”が散歩中に断崖付近で遭遇したイギリスの大富豪マキシムだった。彼は1年前に妻のレベッカを ボートの事故で亡くしていた…。
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 ホッパー夫人が風邪で寝込んでしまった間、‟わたし”はマキシムに誘われてデートを重ね た。
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 ホッパー夫人が急遽ニューヨークへ戻ることになり、 ‟わたし”はマキシムに別れを告げに行ったが、彼からプロポーズを受けて結婚した。
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 マキシムの自宅は、荘園マンダレーに建つ大豪邸。大勢の使用人がいて、家事を取り仕切って い るのはダンバース夫 人だ。‟わたし”は、マンダレーでの生活、とりわけダンバース夫人に馴染むことが出来ないでいた。
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 マキシムの姉夫妻が訪ねて来た。‟わたし”は、マキシムの姉ベアトリスか ら、ダンバース夫人がレベッカを慕っていたことを教えられた。
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 マキシムと散歩へ出かけた‟わたし”は、飼犬の後を追いかけているうちに、海岸のボート小 屋にたどり着いた。小屋の中にはレベッカの私物が放置されたままだった。‟わたし” がボート小屋に入ったことで、マキシムはなぜか気分を害してしまった。
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Rebecca-8  ‟わたし”は、レベッカのことが気になり、財産管理人のフランクに彼女のことを尋ねた。彼から返ってきた応えは、「誰よりも美しい方でした…」 というものだった。


  


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 『レベッカ』 予告編



  主な出演者など

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‟わたし”役 ジョーン・フォンテイン 
マキシム役 ロー レンス・オリヴィエ 
ダンバース夫人役 … ジュディス・アンダーソン
ジャック役 … ジョージ・サンダース
 
 ・独立系の映画製作者デビッド・O・セルズニックに招かれ、イギリスからアメリカへ渡ったアルフレッド・ヒッチコック監督のハリウッド・デビュー作。
 製作現場に過度に介入することで知られていたセルズニックは、『レベッカ』の撮影にも度々干渉してヒッチコック監督を悩ましたという。
 (右の写真)セルズニック(左)とヒッチコック監督
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Rebecca-34  ・原作者は女流作家のダフネ・デュ・モーリア。ヒッチコック監督の『巌窟の野獣』(1939年)『鳥』(1963年)の原作者でもある。
 原作では、レベッカはマキシムに殺されたことになっているが、殺人者が罰を受けないという設定は、当時の映画倫理コードに抵触するため事故死に変更され た。
 (左の写真) 左から、ヒッチコック監督、ジョーン・フォンテイン、ローレンス・オリヴィエ

 ・‟わたし”役の第1候補はオリヴィア・デ・ハヴィランドだったが、ワーナー・ブラザーズ社が貸し出し を拒んだ。その他、ロレッタ・ヤングアン・バクスターマー ガレット・サラヴァン等の名前が挙がっていた。そして、ローレンス・オリヴィエの恋人だったヴィヴィアン・リーもスクリーン・テストを受けたが不合格だった。
 (右の写真)ジョーン・フォンテイン
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 ・マキシム役の第1候補はロ ナルド・コールマンだったが、役柄が気に入らず辞退。その他には、ウィリアム・パ ウエルレスリー・ハワードロバー ト・ドーナットなどが候補になっていた。
 (左の写真) ローレンス・オリヴィエ

 ・アカデミー賞では、作品賞など11部門でノミネート。この年は、『チャッ プリンの独裁者』『怒りの葡萄』の一騎打ちとの前評判だった が、2作とも、その社会的なメッセージがアカデミー協会会員に敬遠され、『レベッカ』 が作品賞を受賞。しかし、他の主要部門では受賞を逃し、作品賞と撮影賞(白黒部門)の2冠という珍記録を 打ち立てている。 (右の写真)左から、セルズニック、ジョーン・フォンテイン、ヒッチコック監督。アカデミー賞授賞式 会場にて。
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 ・主演女優賞にノミネートされていたジョーン・フォンテインが受賞していたら、役名がない ヒロインを演じてのオスカー受賞という、これまた珍記録となっていた。
 本作で人気女優となった彼女 は、ヒッチコック監督との2作目『断崖』(1941年)で、 念願のオスカーを獲得することとなる。
 (左の写真)アカデミー賞授賞式会場でのジョーン・フォンテインとヒッチコック監督

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  ヒッチコック監督 お約束のカメオ出演シーン

 映画の終盤、ジョージ・サンダース扮するジャックが公衆電話から出て、警官と話している シーンに通行人として登場(左下の写真)。余程注意していないと分からない。(右下は宣伝用写真)
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 ピック・ アップ … ジョージ・サンダース

George Sanders
  George Sanders 1906-1972 (イギリス)

 ・1906年、ロシアのサンクトペテルブルク生まれ。両親ともイギリス人。ロシア革命の勃発に伴い、家族でイギリスへ移住。

 ・俳優になる前は広告代理店に勤務していたが、その会社の秘書はグリア・ガースンだっ た。 

 ・1934年、ロンドンで舞台俳優としてデビュー。同年、端役ながらも銀幕デビューも果た し、1936年にハリウッドへ。

 ・『イヴの総て』(1950年) で、アカデミー賞助演男優賞を受賞した。
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『海外特派員』
(1940年/監督:アルフレッド・ヒッチコック)
『マン・ハント』 (1941年/監督:フリッツ・ラング
ウォルター・ピジョン(右)と
Samson and Delilah All About Eve
『サ ムソンとデリラ』
(1949年/監督:セシル・B・デミル
『イ ヴの総て』
(1950年/監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ

 ・小説家、音楽家(歌と作曲)としても活動。私生活では皮肉屋として有名 で、1960年に出版した自伝のタイトルは 「Memoirs of a Professional Cad 」。Cad は 「ゲス野郎」といった意味。滅多にサインにも応じず、「嫌な奴」を楽しんでいたとか。

 ・生涯で4度結婚したが、2番目の妻は女優のザ・ザ・ガボール、3番目の妻はロナルド・ コールマンの未亡人ベニタ・ヒューム。そして、4番目の妻はザ・ザ・ガボールの姉のマグダ・ガポール。
Ivanhoe Viaggio in Italia
『黒騎士』(1952年/ 監督:リチャード・ソープ)
エリザベス・テイラー
『イタリア旅行』 (1954年/監督:ロベルト・ロッセリーニ
イングリッド・ バーグマン

 ・1972年65歳の時にスペインで自殺。遺書には、「退 屈だからこの世を去る…」 と書かれていた。認知症を患い、健康が悪化していたとも言われている。また、若い時から、「65歳で死ぬ」と宣言していたとの話もあるよう です。


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