20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ ヒトラーの独裁政治を痛烈に風刺したチャップリン最大のヒット作
1918年。 第1次世界大戦中、トメニア国(架空の
国)陸軍のチャーリー2等兵は、勝利を信じて奮闘していた。 |
チャーリーは味方からはぐれてしまったが、
同国空軍の将校を助け出し、彼の飛行機で本国の司令部に向かって飛び立った。しかし、燃料が切れて墜落。2人とも一命は取り留めたが、トメニア国は敗戦し
た。 |
墜落の際に負傷したチャーリーが病院にいる間に、トメニア国では
反乱が起こり、彼にそっくりなヒンケル総統が独裁政権を樹立していた。ヒンケルは国民へ向けた
演説で、民主主義と言論の自由をこき下ろし、ユダヤ人問題について言及。 |
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トメニア国では、ユダヤ人たちが軍の突撃隊員から迫害を受けてい
た。
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チャーリーが病院へ収容されてから数年が経っていた。しかし、彼
は記憶喪失症で、数週間前に自分の店(床屋)
から運び込まれたと思い込んでおり、トメニア国の政変の事も全く知らなかった。
ある日、チャーリーは病院を抜け出し、ユダヤ人街にある自分の店に戻った。 |
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店の中は蜘蛛の巣だらけ。チャーリーが唖然としている時、店の前に来た突撃隊員が、窓に白
ペンキで「JEW(ユダヤ人)」と書いて立ち去った。その文字を消そうとしたチャーリーは突撃隊員に暴行
を受けたが、近所に住む娘ハンナの力添えで突撃隊員を撃退した。 |
暫らくすると、通報を受けた突撃隊員が大勢押しかけて来て、チャーリーは捕まってしまっ
た。 |
◆ 主な出演者など
・チャップリンが、『モダン・
タイムス』(1936年)以来、4年ぶりに発表した自身初の全編トーキー作品。
チャップリンは150万ドルもの私財を投じたが、彼の作品として最大のヒット作となっ
た。
(右の写真)左から、ジャック・オーキー、ポーレット・ゴダード、チャップリン。『独裁者』
のプレミア試写会時。 |
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・チャップリンが、お馴染みの山高帽にステッキのスタイルで登場する最後の作品。
(左の写真)ポーレット・ゴダード、チャップリン
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・世界は我がものとばかりに地球の風船を弄ぶ独
裁者ヒンケル。最後に風船が破裂してしまうのは独裁者の末路を暗示しているのか。この発想、この動き。やっぱりチャップリンは天
才!
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・シュルツの裏切りには「なぜ私を見放した」
と嘆き、ナパロニには押しまくられ、ガービッチには操られているヒンケル。1人で地球の風船と戯れ、ユダヤ人抹殺の演説をした日の
夜には、1人でピアノを弾くヒンケル。
チャップリンは、独裁者を<裸の王様>ならぬ、孤独な<裸の独裁者>として茶化して見せた。 |
・ラストの床屋のチャーリーの演説シーン。映画の台詞ではあるが、偉大なチャップリン本人
のメッセージであることは間違いない。‟ハンナ”が、チャップリン最愛の母親(1928年没)の名前でも
あると知って観ると、よりチャップリンの強い思いが伝わってくる。何回観ても、チャップリンと字幕に目が釘付けになってしまう。 |
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・アカデミー賞では、作品賞、主演男優賞、助演男優賞(ジャッ
ク・オーキー)、脚本賞、作曲賞の5部門でノミネート。
作品賞の有力候補とされていたが受賞ならず。当時、アメリカは第2次世界大戦への参戦ムードが高まっていたため、戦争を批判している本作は敬遠されたと
言われている。
チャップリンは、ニューヨーク映画批評家協会賞の主演男優賞を受賞した。 |
・本作公開時、チャップリンは51歳。チャップリンの4日後に生まれ、1945年に自殺し
た独裁者ヒトラーは、この作品を少なくとも2回は鑑賞したと言われている。
・日本では20年後の1960年に公開され、その年のキネマ旬報ベストテンで、『甘い生活』、『太
陽がいっぱい』等を抑えて、第1位に選出された。
(右の写真)左から、レジナルド・ガージナー、チャップリン、ヘンリー・ダニエル |
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