20世紀・シネマ・パラダ イス

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The Grapes of Wrath

       怒りの葡萄
        The Grapes of Wrath
         監督:ジョ ン・フォード
         (1940年/アメリカ)
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  ジョン・フォードがアカデミー賞監督賞を受賞した社会派映画の名作

 殺人罪で入獄していた小作人の息子トム・ ジョードは、仮釈放となり、4年ぶりに家族のいるオクラホマの農場へ向かっていた。道中、元説教師のケーシーと一緒になった。
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 トムが漸く実家に着くと、そこは空家になっていた。小作人仲間のミューリーから、トムの家族 は2週間前にジョン伯父のところへ行ったと知らされた。近辺の農家は皆、大資本に土地を奪わ れ、移転を余儀なくされていたのだった。
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 トムはジョン伯父の家で家族や親戚と再会を果たした。
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 新しい家族、妹ローザシャーンの 結婚相手コニーも加わっていた。
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 だが、ジョン伯父の家も立ち退きを迫られていた。トムの家族と親戚は、800人の求人があ るというカリフォルニアに行くことにした。
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 ケーシーも同行することになり、トム等12人は中古のオンボロトラックで新天 地カリフォルニアに向かって出発した。
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 『怒りの葡萄』 予告編



  主な出演者など 

The Grapes of Wrath-32 トム・ジョード役 ヘンリー・フォンダ
母親役 … ジェーン・ダーウェル
父親役 … ラッセル・シンプソン
ケーシー役 … ジョン・キャラダイン

 ・1939年に出版されたジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」 は、大ベストセラーとなり、翌年、ピューリッツァー賞を受賞した。
 題名は聖書から採ったもので、葡萄の汁が布にしみ込んでいくが如く、怒りがじわじわと広がっ ていく様子を指している。
 20世紀FOX社のダリル・F・ザナックが、10万ドルで映画化権を取得し た。
 (右の写真)ジェーン・ダーウェル、ヘンリー・フォンダ
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John Steinbech  ・スタインベックの小説で映画化された作品としては、『廿日鼠と人間』(1939年/監督:ルイス・マイルストーン『エデンの東』(1955年/監督:エリア・カザンなども有名。
 彼は映画の脚本も執筆しており、『救命艇』(1944年/監督:ア ルフレッド・ヒッチコック、 『ベニイの勲章』(1945年)でアカデミー賞の原案賞、『革命児サパタ』(1952年/監督:エリア・カザンで同脚本 賞にノミネートされている。1962年、ノーベル文学賞を受賞。
 (左の写真) ジョン・スタインベック

 ・スタインベックは、映画『怒りの葡萄』でのヘンリー・フォンダの演技に満足し、以後、2 人は友人となった。
 スタインベックの葬儀(1968年没)では、フォンダが詩を朗読した。
 (右の写真)ジェーン・ダーウェル、ヘンリー・フォンダ
 
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The Grapes of Wrath-41  ・ジョン・フォード監督とヘ ンリー・フォンダが組んだのは、『若き 日のリンカーン』、『モホークの太鼓』(1939年)に引き続き3作目。
 ダリル・F・ザナックは、トム・ジョード役に自社のタイロン・パワーを起用する考え だったが、この役を熱望していたヘンリー・フォン ダは、20世紀FOX社と7年契約をする条件 でこの役を得た。
 (左の写真)ヘンリー・フォンダ

 ・ フォード監督は僅か7週間で撮影を完了させ、使用したフィルムも通常の半分以下だったという。
 フォード監督は、トムが母親と別れてキャンプ場を後にするシー ンをラストとしていたが、その後に出てくる父親と母親がトラックの中で語り合うシーンは、ダリル・F・ザナックが付け加えたとされている。
 (右の写真)左から、フォード監督、ジェーン・ダーウェル、ヘンリー・フォンダ
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 ・撮影は、『市民ケー ン』(1941年/監督:オーソン・ウェルズ、 『偽りの花園』(1941年/監督:ウィリアム・ワイ ラーで、「パン・フォーカス」の技法を開発した伝説の名カメラマン、グレッグ・トーランドが担当。
 (左の写真)左から、エディ・クイラン、ドリス・ボードン、ジョン・キャラダイン、ヘンリー・フォンダ

 ・アカデミー賞では、作品賞、主演男優賞など7部門でノミネートされ、作品賞の有力候補と されていたが、大資本による搾取、独占を批判したメッセージが敬遠され、監督賞と助演女優賞(ジェー ン・ダーウェル)の2部門での受賞に留まった。
 (右の写真)ジョン・フォード監督と出演者たち
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The Grapes of Wrath-35  ・AFI(アメリカ映画協会)が1998年に選定した 「アメリカ映画100年ベスト100」で第21位。ジョン・フォード監督作品では最上位にランクされた。
 (左の写真)左から、ジェーン・ダーウェル、ヘンリー・フォンダ、ラッセル・シンプソン


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 ピック・ アップ … ジェーン・ダーウェル

Jane Darwell
  Jane Darwell 1879-1967 (アメリカ)

 ・1879年、ミズーリ州生まれ。

 ・舞台女優として活躍し、1914年に短編映画で銀幕デビュー。翌年までに20本近くの映画に出演した後、舞台での活動に戻った。
 

 ・ジャッキー・クーガン主 演の『トム・ソーヤの冒険』(1930年)で15年ぶりに銀幕に復帰(自 身初のトーキー作品)。その後、シャーリー・テンプルと5本の映画 で共演。『風と共に去りぬ』(1939 年)では、アトランタのご意見番(うるさがた)のマダムを演じた。
Bright Eyes
Gone_with_the_Wind
『輝く瞳』(1934年)
シャーリー・テンプル(中央)と
『風と共に去りぬ』 (1939年)
クラーク・ゲーブル

  ・ヘンリー・フォンダの推薦で出演した『怒りの葡萄』(1940年)で、アカデミー賞助演女優賞を受賞。
  フォード監督とフォンダのコンビ作品『荒野の決闘』(1946年)に も出演した。
 (右の写真)アカデミー賞授賞式でのジェーン・ダーウェル(右)
Jane Darwell Oscar

Mary Poppins  ・1950年代以降はTVでも活躍。

 ・ウォルト・ディズニー本人からの要請で出演した『メリー・ポピンズ』(1964年)が遺作となった。
 (左の写真) 『メリー・ポピンズ』

 ・1967年87歳で他界。


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