20世紀・シネマ・パラダ イス

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Citizen Kane

       市民ケーン
        Citizen Kane
        監督:オーソ ン・ウェルズ
        (1941年/アメリカ)
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  映画史上No.1とも謳われる 鬼才オーソン・ウェルズの代表作

 大邸宅の一室で、初老の男性が 「バラの蕾 」 という言葉を最後に息を引き取った。最後に手にしていたものは、雪景色の一軒家が入っているガラス玉だった。
 故人は、世界一とも言われる大邸宅・通称 「ザナドゥ」 の領主、新聞王チャールズ・フォスター・ケーン
 彼の死は世界中で報道された。
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 『市民ケーン』 予告編


  主な出演者など

Citizen Kane-44  ・ケーン役 … オーソン・ウェルズ Orson Welles
  ・リーランド役 … ジョゼフ・コットン Joseph Cotten
  ・バーンステイン役 … エヴェロット・スローン Everett Sloane
  ・スーザン役 … ドロシー・カミンゴア Dorothy Commingore

 ・22歳で 「マーキュリー劇団」 を率いて、ニューヨークの演劇界で 「神童」 と称され、23歳の時にラジオの火星人来襲の放送で、その名を全米に轟かせた奇才オーソン・ウェルズ。
 彼が25歳の時に、初の劇場用長編映画として製 作・監督・脚本(共同)・主演をこなしたのが 『市民ケーン』。
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Citizen Kane-46  ・予算以外は一切口出しをしないとの破格の条件で、RKO社と契約を交わしたウェルズ。当 初は、ジョ セフ・コンラッドの小説 「闇の奥」 の映画化を企画したが予算的にNGとなった。
  * ジョセフ・コンラッドの 「闇の奥」 … フランシス・フォード・コッポラ監督 『地獄の黙示録』
        (1979年) の原作。

  (左の写真) オーソン・ウェルズ(左)とジョゼフ・コットン(右)
 次に、ニコラス・ブレイクのミステリー小説 「短刀を忍ばせ微笑む者」 が候補となったが、主演として考えていたキャロル・ロンバードをキャスティングす ることが出来ずこれもNGとなった。
   * ニコラス・ブレイク  … 本名 セシル・デイ・ルイス。イギリスの詩人。ニコラス・ブレイク
      名義でミステリー小説も執筆。俳優ダニエル・デイ・ルイスの父親。
  (右の写真) 撮影時のオーソン・ウェルズ (右)
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Citizen Kane-47  ・『市民ケーン』 の脚本は、ウェルズとハーマン・J・マンキウィッツとの共同執筆。
 ウェルズは撮影に入る前に、『カリガリ博士』 (1920年)『駅馬車』 (1939年) 等を鑑賞して勉強。特に、敬愛していたジョ ン・フォード監督の 『駅馬車』 は繰り返し40回も観たと言われている。
  (左の写真) 撮影時のオーソン・ウェルズ
  * ハーマン・J・マンキウィッツ … 『晩餐八時』 (1933年)、『打撃王』 (1942年) 等の脚本家。 『イヴの総て』 (1950年) 等の 監督
      ジョゼ フ・L・マンキウィッツの兄。

 ・新人監督のウェルズをサポートしたのが、伝説の名カメラマン、グレッグ・トーランド。
 彼が開発したパン・フォーカスの技法など、斬新なカメラ・ワークを大いに発 揮。ウェルズも、最高のカメラマンであったと賞賛している。
  (右の写真) 撮影時のオーソン・ウェルズ。後ろの白いシャツがグレッグ・トーランド。
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Citizen Kane-48  トーランドは、ニュース映画の中でケーンにインタビューする記者役で出演も している。
 (右の写真)グレッグ・トーランドの出演シーン
 * グレッグ・トーランド … ウィリアム・ワイラー 監督の 『嵐が丘』、『偽りの花園』、
  『我等の生涯の最良の年』、ジョン・フォード監督 の 『怒りの葡萄』ハ ワード・ホークス
  監督『教授と美 女』を撮影。 『嵐が丘』 でアカデミー賞撮影賞を受賞。

 ・映画のモデルとされた新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト (1863-1951) は、『市民ケーン』 の公開を阻止しようと、自らの新聞・ラジオを総動員。
 RKO社の広告、宣伝をボイコットし、同社の幹部やウェルズを誹謗中傷した。更には、フィルムを焼却処 分すれば、製作費全額を支払うとの提案まで持ち出したとされている。
  (右の写真) 新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト
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Orson Welles  ・ハーストの妨害が逆に宣伝ともなり、映画の公開だけでもスキャンダルとなった。
 批評家からは絶賛されたが、ハーストの報復を恐れて上映を拒否する映画館も多く、興行成績は赤字となった。
  (左の写真) 『市民ケーン』 公開中の劇場とオーソン・ウェルズ 

 ・アカデミー賞では、作品賞を含む9部門でノミネートされたが、受賞は脚 本賞(オーソン・ウェルズとハーマン・J・マンキウィッツ) のみに留まった。

 ・「バラの蕾 」 については、ハーストの母親のニックネームとする説、ハーストのペットの犬の名前とする説など諸説がある。中には、ハーストが愛人の女優マリオン・デイヴィスの恥部を 「バラの蕾 」 と呼んでいた、という説まである。
  (右の写真) ハーストの愛人、女優のマリオン・デイヴィス 
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Rosebud Sled  ・撮影で使用された 「バラの蕾 」 の雪橇は3つ作られていたが、その1つは、1982年にスティーブン・スピルバーグ監督が約6万ドルで購入した。
  (左の写真) 「バラの蕾」 の橇を手にするスティーブン・スピルバーグ監督

 ・「映画の教科書」 と賞賛され後世に計り知れない程の影響を与えた 『市民ケーン』。
 AFI (アメリカ映画協会) が1998年に選定した 「アメリカ映画100年ベスト100」 では、堂々の第1位に選出された。
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