20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ 映画史に
燦然と輝く西部劇の金字塔
1885年。アリゾナ州トントからニューメキシコ州ローズバーグへ向かう駅馬車に、以下の
人々が乗り合わせた。 |
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ルーシー・マロリー
夫の任地へ向かう騎兵隊大尉の妻
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ピーコック
家族の待つカンザスへ向かう酒の
行商人
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ダラス
風紀にうるさい婦人会により、トントから逐われた娼婦 |
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ブーン
宿
賃も払えず、トントから逐われた酔いどれの医師 |
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ハットフィールド
ルーシーに一目惚れした賭博師
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バック
お喋り好き
な御者 |
ト
ントの保安官カーリー・ウィルコックは、脱獄囚のリ
ンゴ・キッドを捜索していた。リンゴが脱獄したのは、父と弟を殺したプラマー3兄弟へ
復讐するためだ。御者のバックから、プラマー兄弟がローズバーグにいると聞いたカーリーは、駅馬車の護衛として同行することになった。
ローズバーグへの道中、ジェ
ロニモ率いるアパッチ族が村々を襲撃しているとの急報を受けた騎兵隊も、護衛として同行することになった。更に、金庫から5万ドルの公金を持ち出した銀行
家
のゲートウッドも駆け込み乗車した。 |
トントを出発して暫くすると、山間に1発の銃声が響いた。銃を撃って駅馬車を停車させたの
はリンゴ・キッドだった。リンゴは自分の馬が怪我をしたため、駅馬車への乗車を求めた。 |
カー
リーはリンゴから銃を取り上げて逮捕した。カーリーは、リンゴの亡父と親友だったので、リンゴがプラマー兄弟に殺されるのが忍びないのだった。 |
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最初の停留所に到着すると、そこから先の護衛をするはずの騎兵隊がいなかった。
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バックとピーコックはトントへ戻ることを主張したが、多数決によりローズバーグへ向かうこ
ととなった。
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次の停留所にも騎兵隊はいなかった。前夜、アパッチ族と小競り合いがあり、マロリー大尉は
負傷してローズバーグへ運ばれたと知らされ、ルーシーが倒れてしまった。彼女は身篭っていたが、酔を覚ましたブーンが無事に女の子を取り上げた。
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その日の夜、リンゴはダラスにプロポーズした。プラマー兄弟への復讐を遂げた後、国境外に
ある自分の牧場で一緒に暮らすことを求めた。
ダラスは自分の身の上に引け目を感じており、返事をせずにその場から立ち去った。
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翌朝。一晩中悩んだダラスはブーンに相談し、彼の言葉を受けて決心した。
ダラスは、リンゴがプラマー兄弟との決闘を諦めるのであればプロポーズを受けると返事をした。
彼女は、リンゴが逃げるためにライフルと馬を用意していた。
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一旦は逃げ出したリンゴだったが、アパッチ族ののろしを見て留まることにし
た。
アパッチ族の襲撃を恐れた駅馬車の一行は、急ぎローズバーグへ向かって出発した。
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次の停留所は、アパッチ族の焼き討ちに遭い、住民は皆殺しにされていた。
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ローズバーグまであと僅か。旅の終了を祝して、ブーンが乾杯をしたその瞬間、ピーコックの
胸
に弓矢が突き刺さった。
アパッチ族の大群が駅馬車を襲撃してきた。駅馬車の男たちも銃を取って応戦したが、御者のバックが腕を撃たれて負傷。駅馬車の男たちの銃の弾は底を突い
てし
まった。
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絶体絶命のその時、進軍ラッパの音が聞こえてきた。ローズバーグから騎兵隊が駆けつけて来
たのだ。
騎兵隊によりアパッチ族は撃退されたが、ハットフィールドが敵の弾に当たって落命していた。
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駅馬車は漸くローズバーグに到着した。トントからの通報で公金横領の罪が発覚していたゲー
トウッドはその場で逮捕された。
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決闘に臨むリンゴに、カーリーはショットガンを手渡した。リンゴはカウボーイハットの中に
弾を3発だけ残していた。リンゴはダラスの事をカーリーに託して、プラマー3兄弟との決闘に立ち向かった…。
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『駅馬車』 の予告編
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◆ 主な出演者など
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・リンゴ・キッド役 … ジョン・ウェイン
・ダラス役 … クレア・トレヴァー
・ブーン役 … トーマ
ス・ミッチェル
・カーリー役 … ジョージ・バンクロフト
・ハットフィールド役 …
ジョン・キャラダイン
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・「西部劇の神様」ジョン・
フォード監督の、トーキーでは初の西部劇。フォード監督は、原作「ローズバーグ行き駅馬車」(アーネスト・ヘイ
コックス著)の映画化権を自ら
購
入したが、当時、西部劇は流行遅れ、B級映画のジャンルと見なされており、20世紀フォックス社をはじめ、大手のスタジオからは製作を見送られていた。
(右の写真)『駅馬車』撮影時。 |
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* クーパーとディートリッヒの起用を主張したのはセ
ルズニックで、この案が受け入れられなかったことが、ご破産となった理由の1つとする説や、2人の起
用は予算的に無理だったとの説もある。 |
・当初、ジョン・ウェインはフォード監督から主役を推薦するように依頼されて、ロイド・
ノーランを提案したが、その翌日に、自身が主役のオファーを受けたという。
B級西部劇の大根役者とのレッテルが貼られていたジョン・ウェインの起用には、ウェンジャーをはじめ難色を示す者が多く、他の出演者からの批判を心配し
たフォード監督は、ウェインには故意に厳しく接した。そして、「演技しようとは思うな。俺の言う通りに反応 (React)す
ればいい 」 とアドバイスしていたという。 |
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・ジョン・ウェインは、出世作となった本作で使用したカウボーイハットを、その後も多く
の
西部劇で着用。最後に着用したのは20年後の『リオ・ブラボー』(1959年)だった。
(左の写真)『駅馬車』でのジョン・ウェイン
・本作での彼のギャラは、クレア・トレヴァーの約1/4だった。 |
・映画の中で、ポーカーをしていたプラマーの最後の手が、‘A’と‘8’のツーペア。
これは、ポーカーをしている時に背中を撃たれて死んだ西部開拓時代の実在のガンマン、ワイルド・ビル・ヒコックの最後の手で、以来、
「デッドマンズ・ハンド」として不吉なものとされている。
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・アカデミー賞では、作品賞など7部門でノミネートされ、助演男優賞(トーマス・ミッチェル)と作曲・編曲賞の2部門で受賞した。
・オーソン・ウェルズは『市
民ケーン』を撮る前に繰り返し40回も鑑賞し、小津安二郎はアンケートで「これを見逃した奴は馬鹿だ」と答えた。
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・ユナイテッド・アーチスツ日本支社は、『地獄馬車』
という邦題を考えていたが、当時宣伝部にいた淀川長治さんが猛反対して『駅馬車』となった。
日本でも大ヒットして、宣伝担当だった淀川さんは、ウォルター・ウェンジャーから銀時計を贈られた。 |
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◆ ピック・アップ … クレア・トレヴァー
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Claire
Trevor 1910-2000 (アメリカ)
・1910年、ニューヨーク生れ。名門コロンビア大学、アメリカン演劇アカデミーで演技を学び、短編映画『The Meal
Ticket』(1931年)で銀幕デビュー。
・『デッド・エンド』(1937年/監督:ウィリア
ム・ワイラー)で、アカデミー賞助演女優賞に初ノミネートされ、『キー・ラーゴ』(1948年/
監督:ジョン・ヒューストン)で同賞を受賞。
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・ジョン・ウェインと再共演した『紅の翼』(1954年
/監督:ウィリアム・A・ウェルマン)で、3度目のアカデミー賞助演
女優賞候補となり、TVドラマ「孔雀夫人」(1956年)でエミー賞を受賞。
・2000年、90歳で他界。カリフォルニア大学アーバイン校には、彼女の名を冠した芸術スクールがあり、彼女のオスカー
像とエミー賞の像は同校に展示されている。
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◆ ピック・アップ … ヤキマ・カヌート (伝説のスタントマン)
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Yakima Canutt 1895-1986
(アメリカ)
・1895年、ワシントン州生れ。1917、19、20、23年に、ロデオの世界選手権でチャンピオンになった。
・1915年、トム・ミックス主演の映画で初スタン
ト。以後、数多くの映画でスタントマン、俳優として活躍。 |
・『駅馬車』でブレイクする前のジョン・ウェインとも共演しており、彼の紹介で
『駅馬車』にスタントマンとして出演。全力疾走している馬の背を飛び移るシーンは、スタントマンとしてのキャリアのハイライトとなった。
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『The
Star Packer』(1934年) ジョン・ウェインと
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『駅馬車』
のスタント・シーン
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・『ベン・ハー』(1959年/監督:ウィリアム・
ワイラー)の戦車レースのシーン等のアクション監督としても活躍。
・スタントマンとしての業績と、スタントマンの安全を向上させる機器の開発が評価され、1967年度のアカデミー賞で特別賞を受賞。
・1986年、90歳で他界。 |
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