20世紀・シネマ・パラダイス
トーマス・ミッチェル
Thomas Mitchell
1892-1962 (アメリカ)
◆
代表作
駅馬車
Stagecoach
(1939年/アメリカ)
スミス都へ行く
Mr. Smith Goes to Washington
(1939年/アメリカ)
風と共に去りぬ
Gone with the Wind
(1939年/アメリカ)
運命の饗宴
Tales of Manhattan
(1942年/アメリカ)
素晴らしき哉、人生!
It's a Wonderful Life
(1946年/アメリカ)
真昼の決闘
High Noon
(1952年/アメリカ)
◆
演技賞の3冠 (アカデミー、トニー、エミー賞)を達成した最初の俳優
・
1892年
、ニュージャージー州生まれ。両親はアイルランドからの移民。父親と兄が新聞記者だったこともあり、高校を卒業すると地元の新聞社に入社。スクープ記者から漫画作家となった。
・1913年、新聞社を退社し、俳優チャールズ・コバーン主宰のシェークスピア劇団に入り、役者に転身。「
Under Sentence
」
(1916年)
でブロードウェイ・デビューし、『文明病』
(1923年)
で銀幕デビューもしたが、その後は舞台での活動に専念していた。
・役者のほか、劇作家、舞台監督としても活躍。フロイド・デルと共同執筆したブロードウェイ劇「
Little Accident
」
(1928年)
は、ダグラス・フェアバンクス・ジュニア主演『貰い児紛失事件』
(1930年)
、
ゲーリー・クーパー
主演『クーパーの花婿物語』
(1944年)
と2度映画化もされた。また、
フレドリック・マーチ
主演の『わたしのすべてを』
(1934年)
で、映画の脚本家としてもデビューした。
・『クレイグの妻』
(1936年)
への出演を機に、本格的に映画界に進出。翌1937年、『失はれた地平線』
(監督:
フランク・キャプラ
)
、『明日は来らず』
(監督:
レオ・マッケリー
)
、『ハリケーン
』(監督:
ジョン・フォード
)
と、名監督たちの大作、秀作に出演。『ハリケーン』の演技で、アカデミー賞助演男優賞に初ノミネートされた。
(右の写真)『ハリケーン』
・1939年には、出演した5作品が全てアカデミー賞にノミネート(内3作は作品賞にノミネート)されるという偉業を達成。名脇役として、一流監督たちの良作に出演した証である。
『駅馬車』
(監督:ジョン・フォード)
作品賞など7部門でノミネート
(左の写真)ジョン・キャラダイン(左)、ドナルド・ミーク(中央)と
『コンドル』
(監督:
ハワード・ホークス
)
撮影賞など2部門でノミネート
(左の写真)
ケーリー・グラント
(左)と
『スミス都へ行く』
(監督:フランク・キャプラ)
作品賞など11部門でノミネート
(左の写真)
ジーン・アーサー
と
『風と共に去りぬ』
(監督:
ヴィクター・フレミング
)
作品賞など13部門でノミネート
(左の写真)
ヴィヴィアン・リー
と
『ノートルダムの傴僂男』
(監督:ウィリアム・ディターレ)
作曲賞など2部門でノミネート
(左の写真)
モーリン・オハラ
と
・ミッチェル本人は、酔いどれの医者を演じた『駅馬車』の演技で、アカデミー賞助演男優賞を受賞した。
(右の写真)アカデミー賞授賞式でのトーマス・ミッチェル
『果てなき航路』
(1940年/監督:ジョン・フォード)
ジョン・ウェイン
(右)、
ワード・ボンド
(手前)と
『運命の饗宴』
(1942年/監督:
ジュリアン・デュヴィヴィエ
)
シャルル・ボワイエ
(左)、
リタ・ヘイワース
と
『素晴らしき哉、人生!』
(1946年/監督:フランク・キャプラ)
ジェームズ・ステュアート
(右)と
『真昼の決闘』
(1952年/監督:
フレッド・ジンネマン
)
ゲーリー・クーパー
(左)と
・1950年代からはTVでも活躍。1952年、エミー賞の主演男優賞を受賞。翌1953年、ブロードウェイ劇「
Hazel Flagg
」で、トニー賞のミュージカル主演男優賞を受賞。アカデミー賞(映画)、エミー賞(TV)、トニー賞(舞台)の3つの演技賞を受賞した最初の俳優となった。
・『ポケット一杯の幸福』
(1961年/監督:フランク・キャプラ)
が最後の映画となった。
(左の写真)『ポケット一杯の幸福』
ベティ・デイビス
と
・
1962年
、
70歳
で他界。
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