20世紀・シネマ・パ
ラダ
イス
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素晴らしき哉、人生!
It's a Woderful Life
監督:フラ
ンク・キャプラ
(1946年/アメリカ)
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◆ 「感動のアメリカ映画ベスト100」で第1位に選出された人気のファンタジー作品
雪の降るクリスマス・イヴ。町の多くの人々がジョー
ジ・ベイリーの無事を祈っており、その声が夜空の遥か彼方の天国まで届いた。この
ままではジョージは自ら命を絶ってしまう。天国からの使者としてクラレンスが選ばれ
た。彼は誠実で信仰心も厚いが、お頭(おつむ)が弱いため、200年間、翼のない2級天使のままだった。
ジョージを絶望から救ったら翼を与えられる約束を得たクラレンスは、ジョージの過去を
学習していった…。 |
1919年、ジョージは12歳。父親は住宅ローン会社の経営者だが、家庭は決して裕福では
なく、ジョージはガ
ウワーさんの薬局店でアルバイトをして、世界旅行と大学進学の資金を稼いでいた。 |
1928年、資金が貯まり、ジョージは念願の世界旅行に出立することとなった。 |
弟のハ
リーの高校卒業パーティーへ行ったジョージは、アルバイト先の薬局店によく来ていたメアリーと
久しぶりに再会した。 |
パーティーからの帰り道。ジョージとメアリーは、廃屋となっているグランビル屋敷の窓に石
を投げ、願い事をした。その時、ジョージの父親が倒れたとの知らせが届いた。 |
父親が亡くなり、ジョージは夢だった世界旅行を取りやめて会社の仕事を手伝っていた。町で
一番の富豪
であるポッターが会社の清算を迫ったが、叔父のビ
リーらが猛反対した。ジョージはもう1つの夢だった大学進学をハリーに譲り、住宅ローン会社の社長に就任せざるを得なくなった…。 |
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…4年後、大学を卒業したハリーが町へ戻って来た。婚約者を連れており、彼女の父親が経営
する会社に雇われることも決まっていた。
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住宅ローン会社の社長をハリーに譲り、都市建設の仕事に携わるという願いも破れ、自棄に
なっていたジョージを救ったのはメアリーの存在だった。
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ジョージはメアリーと結婚した。2人がハネムーンに出発しようとした時、会社に危機が訪れ
た。
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町の銀行が経営難で封鎖され、預金者が現金を求めてジョージの会社に
も押し寄せて来た。だが、会社の当座の現金は銀行に取り立てられていた。更に、この混乱に乗じ、銀行の経営権を握ったポッターが、ジョージの会社の乗っ取
りを仕掛けてき
た。
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その時、メアリーがハネムーンの資金を差し出した。ジョージは預金者たちに当面必要な現金
を支給し、会社の危機を回避することが出来た。
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ジョージとメアリーはグランビル屋敷に移り住んだ。廃屋だったので至る所が綻んでいたが、
友人たちが改修を手伝ってくれた。
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ジョージの会社に対し、ポッターがあの手この手と横槍を入れて来たが、それに屈せずジョー
ジとメアリーは懸命に働き、4人の子宝にも恵まれた。
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第2次世界大戦が勃発した。12歳の冬に、氷の割れた湖に落ちたハリーを助けた際に左耳
の聴力を失っていたジョージは兵役を免除された。
1945年12月24日。出征し、軍功を立てたハリーに名誉勲章が授けられることが新聞に
載り、クリスマス・ムードと併せて町は賑わっていた。銀行へ行ったビリーが会社の8,000ドルを紛失してしまった。実は、気付かぬうちにポッターに渡し
ていたのだが、ポッターはだんまりを決め込んだ。
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明日は州の役人による会計監査がある。このままでは会社は破綻し、ジョージは逮捕されてし
まう。ジョージはビリーを問い詰め、罵倒した。
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夜になって雪が降りだした。絶望的な状況で家に帰ったジョージは子供たちに当り散らしてし
まった。
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8,000ドルもの大金を工面できるのはポッターしかいない。ジョージは生命保険証を持っ
て借金を頼みに行った。しかし、長年、ジョージが目の上の瘤であったポッターは、この時とばかりにジョージを蔑み、横領の罪人として通報した。家へ帰るこ
とも出来ないジョージ
は行きつけのバーで酒を煽った。
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バーを出て、橋の上で佇むジョージ。橋の上にはもう1人、ジョージを見守っている男がい
た。守護天使として地上に舞い降りた2級天使のクラレンスだ。愛する家族を守るには生命保険金しか無い。ジョージが自殺を思い立った時、クラレンスがとっ
た行動は…。
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『素晴らしき哉、人生!』 予告編
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◆ 主な出演者など
・フランク・キャプラ監
督が、ウィリアム・ワイラー、ジョー
ジ・スティーヴンスらと1945年に設立した製作会社
「リバティ・フィルム社」の最初の作品。原作「The Greatest Gift」(フィ
リップ・ヴァン・ドーレン・スターン著) の映画化権を最初に取得していたRKO社が配給した。
(右の写真)フランク・キャプラ監督(左)、ジェームズ・ステュアート
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・ジェームズ・ステュアート、ライオネル・バリモア、トーマス・ミッチェル、
H・B・ワーナー 、ボーラ・ボンディ(母親役)、ワード・ボンド(警官役)等、キャプラ
監督作品の常連俳優が多数出演。
ヒロイン役も、同監督のお気に入りだったジーン・アーサーが候補となったが、当時引
退に近い状況であった彼女が辞退し、MGM社の若手の人気女優ドナ・リードが抜擢された。 |
・
第2次世界大戦でB-24爆撃機のエース・パイロットとして活躍し、大佐にまで昇進した軍の英雄でもあるジェームズ・ステュアートが、名匠フランク・キャ
プラ
監督と再び組んだ戦後の復帰作として大いに期待されたが、興行成績は芳しくなく、作品、主演男優、監督、編集、録音の5部門でノミネートされたアカデ
ミー
賞も無冠に終わった。 |
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・1970年代から、クリスマス・シーズンにTVで頻繁に放送されるようになり、現在で
は、キャプラ監督、ジェームズ・ステュアートの代表作として高い人気を得ており、カラー化もされている。
1980年代後半から、多くのモノクロ作品がカラー化されているが、ジェームズ・ステュアートはモノクロ作品のカラー化にいち早く反対を表明した映画人
の1人である。
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・AFI(アメリカ映画協会)が1998年に選定した
「アメリカ映画100年ベスト100」で第11位、2006年に選定した「感動のアメリカ映画ベスト100」で第1位に選出された。 |
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◆ ピック・アップ … ヘンリー・トラヴァース
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Henry Travers 1874-1965
(イギリス)
・イギリスのノーサンバーランド州生れ。20歳の時にイギリスで舞台俳優としてデビュー。1917年、43歳の時にアメリカに移住し、ブロードウェイで
数多くの作品に出演。代表作は「我が家の楽園」
。1936年から2年間に亘るロング・ランとなった。フランク・キャプラ監督によって映画化(1938年)さ
れた際には、彼の役はライオネル・バリモアが演じた。 |
・ジョン・バリモア主演
の『ウィーンの再会』(1933年)で、59歳の時に銀幕デビュー。映画ファンの記憶に残る名脇役として
数多くの名作に出演。『ミニヴァー夫人』(1942
年)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートもされた。 |
・ロナルド・レーガン主演の『真夏の曲線美』(1949
年)への出演を最後に引退。
・1965年、91歳で他界。
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