20世紀・シネマ・パラダイス
レオ・マッケリー
Leo McCarey
1898-1969 (アメリカ)
◆
代表作
我輩はカモである
Duck Soup
(1933年/アメリカ)
新婚道中記
The Awful Truth
(1937年/アメリカ)
邂逅
Love Affair
(1939年/アメリカ)
我が道を往く
Going My Way
(1944年/アメリカ)
聖メリーの鐘
The Bells of St. Mary's
(1945年/アメリカ)
めぐり逢い
An Affair to Remember
(1957年/アメリカ)
◆
アカデミー賞の作品、監督、脚本の3部門を受賞した最初の人物
・
1898年
、カリフォルニア州ロサンゼルス生れ。父親の勧めで、南カリフォルニア大学法科大学院を卒業し、刑事弁護士となったが、1度も勝訴することなく弁護士業に見切りをつけた。
・ユニヴァーサル社に入社。助監督を経て、『
Society Secrets
』
(1921年)
で監督デビュー。その後、
ハル・ローチ社
に移り、
喜劇『ちびっ子ギャング』シリーズのギャク・ライターとしても活躍。1927年には、
「極楽コンビ」
ローレル&ハーディの結成に関わり、1929年までにコンビの短編サイレント映画を8本監督した。
「極楽コンビ」 ローレル&ハーディ
チビでハニカミ屋のスタン・ローレルと、デブで気難しいオリバー・ハーディのお笑いコンビ。1927年にコンビを組み、トーキーの時代に入ってからも活躍。
1951年までにコンビで104本もの映画に出演した。
1960年、スタン・ローレルがアカデミー賞名誉賞を受賞。オリバー・ハーディは1957年に他界していた。ローレルは、ハリウッド・デビュー前のイギリス時代に、
チャップリン
と同じ劇団に所属していた。
・1933年、パラマウント社と契約。
マルクス兄弟
の
『吾輩はカモである』
(1933年)
、メイ・ウエストの『罪ぢゃないわよ』
(1934年)
、
ハロルド・ロイド
の『ロイドの牛乳屋』
(1936年)
といったコメディ映画を監督。脚本よりも、喜劇役者たちの即興的な演技を重視することで知られていた。
『我輩はカモである』(1933年)
マルクス兄弟
『
我輩はカモである』撮影時
チコ(中央)、グルーチョ(右)と
『罪ぢゃないわよ』
(1934年)
メイ・ウエストとロジャー・プライアー
『罪ぢゃないわよ』撮影時
メイ・ウエストと
・1937年、コロンビア社で製作・監督したスクリューボール・コメディ『新婚道中記』が、アカデミー賞の作品賞を含む6部門でノミネートされ、監督賞を受賞。マッケリー監督は、同作の前に撮った『明日は来たらず』がベスト作と信じていたので、「
アカデミー協会は、賞を与える作品を間違えた
」と語った。
『新婚道中記』(1937年)
アイリーン・ダン
、
ケーリー・グラント
『新婚道中記』撮影時
アイリーン・ダン、ケーリー・グラント(右)と
・『明日は来たらず』は、家を手離すことになった老夫婦が子供たちのところへ行くが、別れて暮らすことになるというヒューマンドラマ。
オーソン・ウェルズ
曰く、「
石だって泣かせる映画だ
」。
『明日は来たらず』(1937年)
ヴィクター・ムーア、ビューラ・ボンディ
『明日は来たらず』撮影時
ヴィクター・ムーア、ビューラ・ボンディと
・1939年、RKO社でメロドラマの秀作『邂逅』を製作・監督。アカデミー賞で作品賞を含む6部門でノミネートされたが受賞はならず。
『邂逅』(1939年)
シャルル・ボワイエ
、アイリーン・ダン
『邂逅』 撮影時
シャルル・ボワイエ
(中央)、アイリーン・ダンと
・1944年、ヒューマンドラマの名作
『我が道を往く』
が、この年最大のヒット作に。アカデミー賞では9部門でノミネートされ、作品、監督、主演男優
(
ビング・クロスビー
)
、助演男優
(バリー・フィッツジェラルド)
、脚色、原案、主題歌の7部門で受賞。マッケリー監督は製作者、原案者でもあったので、1人で3つのオスカーを獲得。アカデミー賞の歴史において、作品賞、監督賞、脚本賞の3部門を受賞した最初の人物となった。
*
その後、
ビリー・ワイルダー
、フランシス・コッポラ、ジェームズ・L・ブルックス、ピーター・ジャクソン、コーエン兄妹が達成 (2014年現在)。
『我が道を征く』(1944年)
ビング・クロスビー、バリー・フィッツジェラルド
アカデミー賞授賞式後
イングリッド・バーグマン
、ビング・クロスビー(右)と
・翌1945年の『聖メリーの鐘』は、インフレ調整後の興行成績で歴代51位
(2014年現在)
という記録的な大ヒットとなった。当初の予定と異なり、続編の『我が道を征く』の方が先に完成・公開された。アカデミー賞の作品賞を含む8部門でノミネートされたが、受賞は録音賞だけだった。
『聖メリーの鐘』(1945年)
ビング・クロスビー、イングリッド・バーグマン
『聖メリーの鐘』撮影時
イングリッド・バーグマン、ビング・クロスビー(右)と
・戦後は創作活動がスローダウンした。
ゲーリー・クーパー
主演の『善人サム』
(1948年)
、短編ドキュメンタリー『
You Can Change the World
』
(1950年)
を撮った後 、反共産主義の作品『
My Son John
』
(1952年)
を監督。その後、暫らく映画製作の現場から遠ざかった。
『善人サム』
(1948年)
ゲーリー・クーパー、アン・シェリダン
『善人サム』
撮影時
ゲーリー・クーパー(中央)、アン・シェリダンと
『
My Son John
』(1952年)
ヘレン・ヘイズ
、ロバート・ウォーカー
『
My Son John
』撮影時
ヘレン・ヘイズと
・5年ぶりの新作『めぐり逢い』
(1957年)
は、自身の作品『邂逅』をリメイクした作品。前作に劣らず、メロドラマの秀作として人気の高い作品で、マッケリー監督の戦後の代表作となった。
『めぐり逢い』
(1957年)
デボラ・カー
、ケーリー・グラント
『めぐり逢い』撮影時
ケーリー・グラント(中央)、デボラ・カーと
・その後、
ポール・ニューマン
主演の『女房万歳!』
(1958年)
、
ウィリアム・ホールデン
主演の『誘惑の夜』
(1962年)
の2作を監督した。
(右の写真)『女房万歳!』撮影時
ポール・ニューマン(左)と
・
1969年
、
70歳
で他界。
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