20世紀・シネマ・パラダイス
ハロルド・ロイド
Harold Lloyd
1893-1971 (アメリカ)
◆
代表作
ロイドの要心無用
Safety Last!
(1923年/アメリカ)
猛進ロイド
Girl Shy
(1924年/アメリカ)
ロイドの人気者
The Freshman
(1925年/アメリカ)
キッド・ブラザー
The Kid Brother
(1927年/アメリカ)
◆
丸縁メガネの人気コメディアン
サイレント期に特に人気の高かった喜劇役者で、
チャップリン
、
キートン
と並び
、
「3大喜劇王」と称された。
年齢はチャップリン
(1889年生)
より下で、キートン
(1895年生)
よりも上。
丸縁メガネ
(レンズは付いていなかった)
がトレード・マークで、その昔、同型のメガネは「
ロイド眼鏡
」とも呼ばれていた。
・
1893年
、ネブラスカ州生れ。17歳の時に両親が離婚し、父親と共にカリフォルニア州へ。
1913年、エキストラ稼業をスタート。ある作品で、同じくエキストラ出演していた
ハル・ローチ
と出会い、意気投合。
1915年、ハル・ローチが映画製作会社を設立し、ロイドは主役として迎えられた。
(右の写真)ハル・ローチ(左)と
・ハル・ローチと組んだ7作目『
Spit-Ball Sadie
』
(1915年)
で、チャップリンの「浮浪者」を真似て?、口髭を付けたキャラクター「
孤独なルーク = Lonesome Luke
」を初お披露目。
「
孤独なルーク
」に扮した6作目『
Giving Them Fits
』
(1915年)
で、以後、不動のメンバーとなるスナッブ・ポラードとビーブ・ダニエルズが初登場。
「
孤独なルーク
」シリーズは、1917年までに70本弱が製作された。
(左の写真)「
孤独なルーク
」に扮したロイド
・『ロイドの野球』
(1917年)
で初めて丸縁メガネの青年「
The Boy
」として登場。
以後、ロイドと言えば丸縁メガネというキャラクターが定着した。
この頃から、多忙となったハル・ローチに代って、別の人が監督をする作品が多くなったが、スナッブ・ポラード、ビーブ・ダニエルズとのトリオは不変だった。
(右の写真)丸縁メガネの青年に扮したロイド
ビーブ・ダニエルズ
『
Giving Them Fits
』
(1915年)
以後
、
約150本でロイドと共演。 『
Captain Kidd's Kids
』
(1919年)
を最後にパラマウント社へ移籍。喜劇からドラマの女優へ転身し、『男性と女性』
(1919年)
、『四十二番街』
(1933年)
等に出演。
ルドルフ・ヴァレンチノ
の相手役も務めた。
(左の写真)『ロイドの父に聞いて』(1919年)
スナッブ・ポラード
『ずるい若様』
(1920年)
までロイドと共演。
ダニエルズより2本多い。
チャップリンとも、『アルコール先生海水浴の巻』
(1915年)
、
『ライムライト』
(1952年)
で共演。
『雨に唄えば』
(1952年)
では、
ジーン・ケリー
から傘を渡される通行人として出演
(顔は見えない)
した。
(右の写真)ロイド(左)とポラード
・『其の日ぐらし』
(1919年)
から、ビーブ・ダニエルズの後釜として、ヒロインを務めたのが、後にロイド夫人となるミルドレッド・デイビス。
それまでは短編だったが、デイビスとの12作目『ロイドの水兵』
(1921年)
からは長編映画に。
(左の写真)『ロイドの水平』 ミルドレッド・デイビスと
・4作目の長編
『ロイドの要心無用
』
(1923年)
は、その年の興行成績で第4位の大ヒットとなり、ロイドの1番の代表作となった。
本作の撮影後にミルドレッド・デイビスと結婚。2人の最後の共演作でもある。
(右の写真)『ロイドの要心無用』
・新ヒロインにジョビナ・ラルストンを迎えた『ロイドの巨人征服』
(1923年)
を最後に、ハル・ローチとのパートナーシップを解消。
自ら製作も兼ねた『猛進ロイド』
(1924年)、
『ロイドの人気者』
(1925年)
、『ロイドの福の神』
(1926年)
等をヒットさせ、トーキーになってからも、『危険大歓迎』
(1929年)
、『ロイドの足が第一』
(1930年)
等をヒットさせたが、徐々に興行成績が下降し、『ロイドのエジプト博士』
(1938年)
を最後に引退した。
(左の写真)『ロイドの人気者』 ジョビナ・ラルストンと。
・『ハロルド・ディドルボックの罪』
(1947年/監督:
プレストン・スタージェス
)
で、9年ぶりに銀幕復帰。
ロイドの最大のヒット作『ロイドの人気者』
(1925年)
の続編で、大富豪ハワード・ヒューズからの要請で出演したが、これが最後の映画出演となった。
(右の写真)『ハロルド・ディドルボックの罪』
・1952年、アカデミー賞名誉賞を受賞。
尚、ロイドはアカデミー協会の創設会員36名の中の1人でもあった。
(左の写真)オスカー像を手にするロイド
・1962年、自身の作品の名場面を再編集した『ロイドの喜劇の世界』を発表。
・ミルドレッド・デイビスとは、彼女が1969年に亡くなるまで連れ添った。家族が暮らしたビバリーヒルズの大豪邸、通称「グリーン・エーカーズ」 は、部屋が44、バス・ルームが26もあり、6000坪の敷地内には噴水が12もある。現在は、歴史的建物として国に登録されている。
・1971年
、
77歳
で他界。
!
『ロイドの化物退治』
(1920年)
の撮影時に、爆発事故で右手の親指と人差し指を失くしている。
!
人気コミック「スーパーマン」のクラーク・ケントのモデルだと言われている。
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