20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ 本国で
ミュージカル映画ベスト1に
1920年代のハリウッド。無声映画の人気カップル、ドン・ロックウッドとリナ・ラモント主演作のプレミア試写会に大勢のファンが集まっていた。
無名の舞台芸人だったドンは、幼なじみのコズモ・ブラウンとドサ回りをしているうちにハリ
ウッドに流れ着き、人気女優リナの相手役に抜擢されてスターの地位を築いたのだった。 |
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プ
レミア試写会の後、スタジオの社長宅でのパーティーに向かう途中、ドンはファンに取り囲まれてしまい、側を通
りかかった車に飛び乗った。
車を運転していたキャシー・セルドンは舞台俳優を志望しており、無声映画を馬鹿にしたため、
2人は口喧嘩をして別れた。 |
パーティー会場で余興が始まると、コーラス・ガールの1人としてキャシーが登場した。ドン
は彼女に魅かれて声をかけたが、2人の間にリナが入ってきたことでややこしくなった。リナは、自分とドンが恋人同士だと一方的に思い込んでいたのだ。 |
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1927年、初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」
が大ヒットすると、スタジオの社長はドンとリナの新作をトーキーで撮り直すと宣言した。
しかし、スタジオの関係者たちは一抹の不安を感じていた。リナの声は悪声だったのだ…。 |
ドンは撮影所でキャシーと再会した。映画の宣伝のため、ドンとリナは恋人だと喧伝されてお
り、キャシーはその事を真に受けていたが、ドンがその誤解を解いた。ドンとキャシーの仲は急速に進展していった。
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リナもドンも発声の訓練を受けて撮影に臨んだが、トーキーの撮影は初めてなので、台詞を
録音するのは試行錯誤の連続だった。
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新作の試写会が開催されたが、映像と音声がズレるなど散々な出来で、観客から失笑を買って
しまった。
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ドンは絶望したが、キャシーが新作をミュージカルに作り直すことを提案し、コズモがリ
ナの歌声をキャシーが吹き替えることを思いついた。
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キャシーをアパートまで送り届けた帰り道。新しいアイデアで胸が一杯のドン
は、雨が降る中、唄って踊った。
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スタジオの社長も新しいアイデアを気に入った。但し、リナがキャシーを嫌っているため、彼
女の声をキャシーが吹き替えることは秘密にして撮影が行われた。
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撮影は順調に進み、キャシーはリナの歌声だけでなく全ての台詞を吹き替えることになった
が、この事がリナにバレてしまった。
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リナは契約を盾にして、キャシーの名前をクレジットから消し、今後も自分の声の吹き替えを
行うことを要求してきた…。
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『雨に唄えば』 予告編
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◆ 主な出演者など
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・ドン・ロックウッド役 … ジーン・ケリー
・キャシー・セルドン役
… デ
ビー・レイノルズ
・コズモ・ブラウン役
… ドナルド・オコナー
・リナ・ラモント役
… ジーン・ヘイゲン
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・『踊る大紐育』(1949年)の
製作者、監督、主演男優、脚本家、撮影監督が再結集した作品。映画のタイトルにもなった主題歌「雨に唄えば」をはじめ、本作の製作者でもあるアーサー・フリード(作詞)とナシオ・
ハーブ・ブラウン(作曲)によるMGM社の旧ミュージカル・ナンバーを使用することを前提に脚本が執筆さ
れた。
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・ヒロインに抜擢されたデビー・レイノルズは、ダンスの経験が無かったため、猛レッスンを
受けて撮影に臨み、その甲斐あって、映画女優としてブレイクし
た。
また、ギャングの情婦の踊り子を演じたシド・チャリシーは、役名も台詞もない出演
だったが、強烈なインパクトを残してミュージカル女優としてブレイクした。
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・アカデミー賞では、助演女優賞(ジーン・ヘイゲン)、
ミュージカル映画音楽賞の2部門でのノミネートにとどまった。
・AFI(アメリカ映画協会)が1998年に選定した「アメリカ映画100年ベスト100」で第10位。2006年に選定した
「ミュージカル映画ベスト25」で見事第1位に選出された。
< 主題歌 「雨に唄えば」 > |
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◆ ピックアップ … ドナルド・オコナー
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Donald O'Connor 1925〜2003
(アメリカ)
・1925年、イリノイ州生れ。舞台芸人だった両親の7番目の子供で、1歳の頃から家族と共に舞台に出演していた。
・1937年、11歳の時に銀幕デビュー。大ヒットした『ボー・ジェスト』(1939年)では、ゲーリー・クーパー扮する主人公の子供の頃を演じた。
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・『雨に唄えば』(1952年)で、ジー
ン・ケリーを押しのけて
ゴールデン・グローブ賞の主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされ、見事受賞。
・第26回(1953年度)アカデミー
賞授賞式では、フレドリック・マーチと共に司会を務めた。 |
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