20世紀・シネマ・パラダイス
シド・チャリシー
Cyd Charisse
1922-2008(アメリカ)
◆
代表作
雨に唄えば
Singin' in the Rain
(1952年/アメリカ)
バンド・ワゴン
The Band Wagon
(1953年/アメリカ)
ブリガドーン
Brigadoon
(1954年/アメリカ)
絹の靴下
Silk Stockings
(1957年/アメリカ)
◆
美脚のダンシング・クィーン
・1922年、テキサス州生れ。本名は
Tula Ellice Finklea
。幼い頃からバレエを習い、14歳の時にオーディションに合格して、‟バレエ・リュス・ド・モンテカルロ”に入団。1939年、バレエ団のヨーロッパ公演中、パリでダンサーのニコ・チャリシーと結婚。1942年に長男を授かった。
・『
Escort Girl
』
(1941年)
以後、何本かの映画にエキストラのダンサーとして出演していたところ、MGM社の振付師にスカウトされ、同社のオールスター・キャスト作品『ジーグフェルド・フォリーズ』
(1945年)
に出演。
フレッド・アステア
にエスコートされた後、バレエを踊る役で短い出演だったため名前もクレジットされなかったが、MGM社との契約を勝ち取った。
(右の写真)『ジーグフェルド・フォリーズ』フレッド・アステアと
・MGM社で、‟シド・チャリシー”の芸名を授けられた。子供の頃、彼女の弟が、‟
Sister
”の略‟
Sis
”を発音出来ずに‟
Sid
”と呼んでいた、というエピソードを聞いた
アーサー・フリード
が、‟
Sid
”の綴りを‟
Cyd
”に変えた。
・1947年に離婚し、翌1948年に歌手のトニー・マーティンと再婚。1950年に次男を授かり、彼女が亡くなるまで連れ添った。
(左の写真)2番目の夫トニー・マーティンと
・
ジーン・ケリー
主演の大ヒット作
『雨に唄えば』
(1952年)
でブレイクした。ヒロイン役の
デビー・レイノルズ
がバレエやダンスの経験が無かったため、本格的なバレエのシーンにシド・チャリシーが起用されたとも言われている。台詞は無く、ジーン・ケリーと踊るだけの出演だったが強烈なインパクトを残した。
(右の写真)『雨に唄えば』 ジーン・ケリーと
・1952年、彼女の脚に500万ドルの保険が掛けられた。美脚の彼女はグラビアでも大人気だった。
(左の写真)『暗黒街の女』(1958年)出演時
・フレッド・アステア主演の『バンド・ワゴン』
(1953年/監督:
ヴィンセント・ミネリ
)
でヒロインを務め、一番の代表作となった。その後、ジーン・ケリーと共演した『ブリガドーン』
(1954年/監督:ヴィンセント・ミネリ)
、『いつも上天気』
(1955年/監督:ジーン・ケリー&
スタンリー・ドーネン
)
、フレッド・アステアと共演した『絹の靴下』
(1957年/監督:
ルーベン・マムーリアン
)
等に出演。
(右の写真)『バンド・ワゴン』 フレッド・アステアと
*
『絹の靴下』 …
グレタ・ガルボ
主演
『ニノチカ』
(1939年/監督:
エルンスト・ルビッチ
)をミュージカルにアレンジした作品。
『ブリガドーン』(1954年)
ジーン・ケリーと
『絹の靴下』(1957年)
フレッド・アステアと
・『雨に唄えば』 でブレイクした時には30歳と遅咲きだったが、フレッド・アステア、ジーン・ケリーの相手役として、MGM社ミュージカルの黄金時代の一翼を担った。
『ブリガドーン』(1954年)ジーン・ケリーと
『絹の靴下』(1957年)フレッド・アステアと
・1950年代後半、ミュージカル映画の人気が衰退し、ハリウッド・ミュージカルへの出演は『絹の靴下』が最後となったが、フィルム・ノワール作品『暗黒街の女』
(1958年/監督:
ニコラス・レイ
)
では、キャバレーの踊り子に扮してダンスも披露。また、フランスのミュージカル『ブラック・タイツ』
(1961年/監督:
テレンス・ヤング
)
にも出演した。
『暗黒街の女』(1958年)
ロバート・テイラー
(中央)と
『明日になれば他人』
(1962年/監督:ヴィンセント・ミネリ)
カーク・ダグラス
と
・日本では公開されなかった作品が多いが、その後も映画に出演し続け、TVやジャネット・ジャクソンのミュージック・ビデオ「
Aliright
」
(1990年)
等にも出演。1992年には、70歳でブロードウェイ・デビューを果たした。
(左の写真)未完成の『
Something's Got to Give
』
(1962年/監督:
ジョージ・キューカー
)。
マリリン・モンロー
(右)と
・MGM社 の創立70周年を記念して製作されたミュージカルのアンソロジー『ザッツ・エンターテインメント PartV』
(1994年)
が、最後に出演した劇場用映画となった。
(右の写真)『ザッツ・エンターテインメント PartV』
・
2008年
、
86歳
で他界。
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